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イスタンブールの日々・その4



  イスタンブールの日々・その4



アジア側からヨーロッパ側新市街を望む



イスティクラル通り



ガラタ橋名物「サバサンド」船



焼き栗ととうもろこしの屋台



タクシム近くの正教会

日本でも報道されたように、トルコでは2015年から2016年にかけてさまざまな事件が勃発しました。ISやPKK(クルディスタン労働者党)によるテ ロ、軍の一部によるクーデターなどは記憶に新しいところです。これらの事件にともなって、社会情勢も大きく変化し始めています。シリア難民の問題も解決に は程遠い状態と言えるでしょう。
16年10月末の外務省渡航安全情報によると、トルコはレベル4の退避勧告(シリアとの国境地帯、イラクとの一部国境地帯)、レベル3の渡航中止勧告(南 東部ディヤルバクルとイラクとの国境地帯)、レベル2の不要不急の渡航中止(南東部7県)、レベル1の注意喚起(イスタンブール、アンカラ他東部11県、 南東部3県)と、すべてのレベルが出揃っています。
こう聞くとトルコ全体がどこも危険なように感じられますが、もちろんそんなことはありません。実際にイスタンブールの街を歩いてみると、いつもと変わりな い光景に出会います。





  タクシム広場近くのホテル街



たまに行っていた中華料理屋も閉店



アジア側ウスキュダルのバザール入口



乾物屋



魚屋



菓子屋

ただし、この一年で街は急速に変わりました。数年 前から毎年イスタンブールを訪れていますが、こんなに大きく変わったのは初めてではないでしょうか。郊外のタワービルや街中の建設ラッシュ、歴史的建造物 の大掛かりな修復、交通手段の変化等々。すっかりお上りさんの気分です。
たとえばタクシム広場の地下にあるメトロやケーブルに乗ろうとすると、降り口が今までとまったく違う場所にあってうろうろしてしまいます。トラムの新市街 側出発点カバタシュには港があり、アジア側やマルマラ海の島々、ブルサなどに向かう船がたくさん出ていましたが、港ごと全部なくなりました。港周辺にあっ た海峡沿いを散歩できる歩道や公園も、トタンに囲まれて改修工事中。
こういった変更はあまり告知されていないらしく、地元の人たちもあちこちで戸惑っている姿を目にします。人の流れが大きく変わったのにそれをフォローする 代替交通網が追いつかないため、今までスムーズだった移動がかなり不便になった印象を受けました。

一方でインフラ整備も猛烈な速さで進みつつあります。イスタンブールの舗道は敷石がはずれていたり陥没していたりでたいそう歩きにくいのですが、今回は意 外とあちこちで足元がしっかりしていることに気がつきました。わたしが滞在するアパートの前には「10の小路のアスファルト舗装が完成しました。5000 トンのアスファルトをつぎ込みました」という区の横断幕がかかっています。こういうことを横断幕にするのがトルコらしいところ、歩きやすくなったのは歓迎 すべきことです。

観光客の大幅減によるダメージは、タクシム周辺のホテル街に顕著に現れています。ホテルや土産物店、レストランなどが軒並み閉店して、がらんとしている通 りもありました。一流のベリーダンスを見せることで有名だったナイトクラブ「ケルバンサライ」も閉店してしまったそうです。イスタンブール一番の繁華街、 イスティクラル通りも修理中の足場がかかっていたりシャッターが閉まっている店が目につき、相変わらず人通りは多いとはいえ少し様子が変わってきていま す。
観光客が減って唯一好ましいのは、旧市街スルタンアフメット・ジャーミー周辺にたむろしていた客引きがいなくなって、外国人が歩いていてもしつこく引き留 められることがなくなったことかもしれません。〈2016.11.09.〉



  共和国記念日







タクシム広場



:メトロのコンコースにあるパネル



:トラムの車両



「テュネル」の車両

10月29日はトルコ共和国の建国記念日です(➡2009年の共和国記 念日:➡2012年の共和国記念日)。このサイトでもたびたび取り上げてきまし たが、2016年のこの日はこんな感じでした。

新市街タクシム広場には共和国を象徴する記念塔が建ち、トルコ内外から訪れた人々が必ず記念撮影をする場所です。巨大な幕がかかっているのは、何年も前か ら閉鎖中の「アタテュルク文化センター」。
広場の地下にあるメトロのコンコースで見た3枚組のパネルには、左から「我らが共和国91周年おめでとう」、「主権は国民にあり」、「我々国民はトルコで クーデタ・テロを許さない」といったことが書かれています。最後のパネルは昨年から今年にかけてトルコで起きたさまざまな事件を受けたものでしょう。他の 場所でも同じことが書かれた横断幕やポスターなどが目につきました。

この日に限らず、旗日になると公共の乗り物すべてに国旗が掲げられます。トラム路線は市内にいくつかありますが、写真は新市街と旧市街を結ぶ観光に便利な 路線の車両です。「テュネル」はイスティクラル通りの終点とガラタ橋の新市街側カラキョイの2駅を結ぶケールブカー式の地下鉄。今年で開通141年目とい う歴史的地下鉄です。いずれも頭の両脇にちょこんと小さな国旗がはためいています。



アヤソフィヤ



ガラタ塔とガラタ橋



満艦飾の軍艦



近所の商店街



薬局の店先

旧市街のアヤソフィアにも国旗が掲げられています。記念日と 土曜日が重なったせいか、入場待ちの観光客が列を作っていました。ここ数年で観光業が大打撃を 受けているトルコですが、世界遺産に登録されている歴史地区には訪問者の足が絶えません。数日ぶりに晴れておだやかな天気になったこともあり、アヤソフィ ア前の公園では観光客も地元の人も散策を楽しんでいます。
新市街と旧市街を結ぶガラタ橋は、鈴なりの釣り人と電飾船で売っている「サバサンド」が名物です。ここでもあちこちに国旗が下がり、風景のアクセントに なっています。トプカプ宮殿の下あたりに軍艦が停泊していました。ここはちょうどマルマラ海からボスポラス海峡に向かう入り口に当たるため、軍の施設が置 かれています。軍艦も今日のためにおめかししているようです。〈2016.11.09.〉



  イスタンブールの秋









タクシム広場の公園



アジア側の街角



南天



秋の果物

タクシム広場裏手の公園は緑が多く、夏場は芝生でくつろぐ人をよく見かけます。秋を迎えると樹々の紅葉が始まります。プラタナスやマロニエなど葉が黄色く なる樹が多いので、黄葉と言うべきかもしれません。日本の紅葉とだいぶ趣が違うものの、これはこれで風情があるものです。地方の山あいに行くともっときれ いな場所もありますが、トルコの人々はわざわざ紅葉を見に行って楽しむということはないそうです。
別の公園の片隅に実をつけた南天を見つけました。かなり大きな茂みでしたが、何故そこに植わっているのかは不明。あまり他では見かけないのでちょっとびっ くりです。
八百屋の店先には洋梨、林檎、柘榴、柑橘類など色とりどり。柿もよく見かけます。みかんは味も香りも日本のものとほぼ同じでした。 〈2016.12.13.〉



  第11回コンテンポラリー・イスタンブール



コングレス・センター側正面玄関



会場ブース







「コレクターズ・ストーリーズ」









フォトモンタージュ作品

今までこのサイトで何回かご紹介した現代芸術展「コンテンポラリー・イスタンブール」(➡第4回コンテンポラリー・イスタンブール:➡第9回コンテンポラリー・イスタンブール)。2016年も第11回目として、11月3日から6 日まで開催されま した。20か国70のギャラリーから、約150人の作家による1500点ほどの作品が一堂に結集します。ヨーロッパの主要都市はもちろん、ポーランド、イ ラン、ジョージア(グルジア)、韓国のギャラリーからの出展もありました。
会場は今までと同じイスタンブール・コングレス・センターİstanbul Kongre Merkesi とイスタンブール・コンベンション・アンド・エキシビション・センターLütfi Kırdar Uluslararası Kongre ve Sergi Sarayıです。入場料は一般40リラ(約1400円)、教員や学生などの割引は半額。今回は割引に当たって身分証の提示も求められませんでした。2年 前に比べるとだいぶ高くなっていますが、レートの関係でさほど違いは感じられません。
今回はコングレスセンター側から入ってすぐのエリアに「コレクターズ・ストーリーズ」と銘打ったセクションが設けられていました。トルコの著名な芸術愛好 家60人の収集品約120点を集めて、入場者数を制限しながらゆったり見られるという試みです。現在最前線を行く芸術の概略として、これから会場を見て回 る前のウォーミングアップにぴったりという感じがします。

トルコ現代芸術は格段に進化しました。以前はヨーロッパと比べるとどうしても見劣りするものがありましたが、今回は違います。むしろヨーロッパ勢を超えつ つあると思うのはひいき目でしょうか。見ていてはっとする、楽しい、考え込むといった作品がたくさんあって刺激的です。表現の目的が非常に明確になってき たように感じます。
フォトモンタージュというのでしょうか、いわゆる合成写真の一種ですが、その作品に優れたものが多くありました。(こういう場所で写真作品の写真を撮ると どうしても照明が写り込んでしまい、ちょっと見づらくなってしまいました)。



ソウルから出展













作品いろいろ



オスマン時代の細密画…?



ロンドンから出展、座り込んでいるお姉さんも 作品です。



記念写真に納まる関係者



名作に挑戦



おしゃれなコーヒーデリバリー



やっぱり出ていた焼栗屋台

会場はものすごく混んでいました。以前は午前中はがらがらで午後になってやっと人が入ってくるという感じでしたが、今回は開場して間もないころからチケッ ト売り場で並んでいます。内容の充実さを反映した盛況ぶりでした。
会場の外ではおしゃれなワゴン車でコーヒーを売っていて、笑顔がとてもキュートなお姉さんがてきぱきとサービスをしています。さすが「コンテンポラリーし てる」と思ったら、少し離れた所にやっぱり出ていた焼き栗屋台。ひょっとして以前もここで栗を焼いていたおじさんと同じ?〈2016.12.13.〉



  イスタンブール・テロ事件



ヴォーダフォン・アリーナ





追悼行進に集まる人々



翌日の新聞「われわれの警察に卑劣漢が襲撃」



追悼行進(以下NTVの映像写真)



各国大使による追悼行進

2016年12月10日夜10時半ごろ、イスタンブールで2回にわたるテロ事件がありました。
場所は新市街中心部、サッカー場の「ヴォーダフォン・アリーナ」と、アリーナに隣接するマチカ公園です。
この日は週末の土曜日、このアリーナを本拠地とするサッカーチーム、ベシクタシュとブルサスポールの試合があり、試合終了後数時間してからの爆発事件でし た。当初は29名死亡、166名負傷と報道されましたが、時間がたつにつれて被害者が増え、44名が亡くなったということです。
サッカー観戦者が引けるのを待っての犯行と思われ、警備にあたっていた警官隊に多くの被害者が出ました。自動車に仕掛けた爆弾による被害が大きく、その後 公園で犯人が自爆したと伝えられています。翌11日にPKK(クルド労働者党)の関連組織TAK(クルド解放の鷹)が犯行声明を出し、テロ事件と確定され ました。

現場はわたしのアパートから丘ひとつ越えたところ、4、5キロほど離れた場所です。
この時わたしは部屋にいました。突然大きな爆発音が響き、近くにいたカモメの一群が「くわくわ」と叫びながら一斉に飛び立ちました。驚いているところへ2 回目の小さな爆発音が聞こえました。いずれも爆弾が爆発したというよりも、大型車が事故か何かを起こしたような音です。何事かと思って窓を開けると、ご近 所もみなさんも窓を開けて外をうかがっています。もちろん何があったかはわかりません。しばらくした後、みなさん何事もなかったかのように部屋に引っ込ん でしまい、「何だ何だ、よくわからないからもう寝ちまえ」という雰囲気でした。地元住民の反応というか心境を垣間見た気がします。
それから5分後、大量の救急車やパトカーが走り回る音が聞こえ、何か事件だったのかと思い至りました。すぐにテレビをつけましたが、事件直後はまだ通常の 番組です。20分ほどして見るとどこの局もこの件を報道していて、やっと爆発事件であること、現場や被害の規模などがわかりました。

事件直後、首相が報道禁止令を出したという話を聞きました。これはメディア規制ではなく、個人が現場を撮影したものをSNSなどに投稿してはいけないとい うことだそうです。
翌日は喪に服すためあちこちで半旗が掲げられ、追悼集会が開かれました。容疑者13名が拘束され、テレビでは亡くなった警官のお葬式の様子をしきりに伝え ています。ほとんどが20歳代の若者たちです。月曜日に現場近くをバスで通った時、追悼行進に参加する人々が集まっている様子を目にしました。
亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。〈2016.12.16.〉



  サバサンド船の異変!
 


10月末、従来の姿





11月中旬、突然の工事



海側から眺めると



  トウモロコシの屋台

ガラタ橋名物サバサンド、電飾船で作っているのが売りでいつも大人気です。つい先日もおおいに繁盛していましたが、その数日後近くを通ったら何と船がもぬ けの殻になっていました。船を横づけにしている河岸の工事で、床のコンクリートを全部ひっぺがして新しくするようです。工事現場は板で仕切られ、船に近づ くことはできません。むなしく波に揺られるからっぽの船を眺めて、茫然とたたずむ人々。仕方ないので、みんな屋台の焼きトウモロコシなどをむさぼり食べて います。工事がいつ終わるのかわかりませんが、その間サバサンドは食べられないのでしょうか!?



  橋下食堂



  12月中旬、屋根がつきました



  その10日後

…と思ったら、ガラタ橋の一階に「サバサンド店」が出現していました。ガラタ橋は上階が道路、下階がシーフードレストラン街になっていて、その店は船に一 番近いところに出ています。他のレストランでもサバサンドを扱っていますが、ここはお兄さんの売り声が船の時と同じなので、一時的にこちらに引っ越したと いうことがわかりました。陸に上がっても大盛況。
その後に行ってみると工事が急ピッチで進んでいて、すでに床にはコンクリートが敷かれ、屋根までついています。さらにその10日後はもう敷石が整備されつ つありました。サバサンド船は数年前、見栄えが悪いとか衛生的ではないなどといった理由で一時閉鎖されかかりましたが、ガラタ橋の風物詩をなくすのかとい う抗議が殺到して廃止を免れたという経緯があります。その河岸がこんなにすごい速さで改築されるとは、たいした出世ぶりです。
工事は一か月ほどで終了する予定だそうです。サバサンド船復活近し。やっぱり船から買ってみたいですね、サバサンド。〈2016.12.22.〉



  魚市場リニューアル



市場入口







こんな感じの市場です

サバサンドついでに魚の話です。ガラタ橋の新市街側、サバサンド船の対岸に魚市場があります。アクセスが簡単なので何となく魚の顔を見に行ったり、シャコ を買ったりしたのもこの市場です。そこが去年、突然跡形もなくなくなっていました。リニューアルのためということでしたがいつ再開するのかもわからず、ず いぶんがっかりしたものです。
今回見に行くと見事に復活、おまけに別物のようにぴかぴかになっています。半年ほど前に営業を再開したと聞きました。以前は寒風吹きすさぶなかに露店が並 んでいるだけでしたが、何やらモダンなデザインのホールのようになり、昔とのギャップがありすぎてびっくりです(昔の様子)。かつては足元が非常に悪く、 床がデコデコでつまずいたり、そのへんに転がっているホースに足を取られたり、水たまりに足を突っ込んだりと難儀しましたが、今やその心配もまったくなく なりました。



魚食堂



サバサンド



サラダと無料のパン



鰯の唐揚げ



魚スープ



この道一筋のアリさん



かもめのお昼ごはん

そして市場の奥に3軒あったテント式の簡易食堂もひとつにまとめられ、ちゃんとした屋根がつきました。もはやテント食堂ではなく、立派な魚料理専門店で す。テーブル席も広々として明るく清潔。暖房までついています。
システムは以前と同じで、料理を注文すると食堂で扱っている魚を調理して出してくれます。名物のサバサンドも置いてあります。ここのはレタスや玉ねぎの他 に赤キャベツの酢漬けが挟まっていて、この酢漬けがまた焼きサバとよくマッチします。サバ船よりちょっとだけ値段も安い。他にさまざまな魚を焼いたり揚げ たりしたものが安くて新鮮です。もちろん寒い時期ならば鰯の唐揚げが一番のおすすめ。たくさんの人がこれを注文して、一心不乱に食べています。
魚スープはお澄まし系ではなく、こってりとろりとした感じでスズキのほぐし身が入っていました。魚の出汁というよりもバター風味が強く、やたら黄色いのは 玉子の黄身を溶きほぐしたものをさっと混ぜてあるように思いましたが、詳細は不明です。

調理場には焼き魚専門と揚げ物専門の料理人がいて、次々と注文をさばいている様子を見ることができます。焼き物名人のアリさんは、テント時代からずっと続 けてお務めです。外ではかもめに大盤振る舞い。魚の切れっぱしを入れたトロ箱にかもめがすごい勢いで群がってきて、殺気(?)を感じます。
以前ここはちょっと薄暗くてかなり入りにくい雰囲気でしたが、明るくオープンになったせいか外国人観光客の姿を多く見かけるようになりました。それはそれ で結構なことですが、何だか「昭和は遠くなりにけり」みたいな、ちょっと寂しい感じがしないでもありません。〈2016.12.22.〉



  2017年8月旧市街
 


  アヤソフィア



  入館待ち



スルタンアフメット・ジャーミー





  オスマントルコ軍楽隊





  サバサンド船



  売り場前



  サバサンド



  ピクルス屋



  ガラタ橋とガラタ塔

2017年夏のイスタンブールはだいぶ観光客が戻ってきました。昨年までのトルコはテロ事件などが相次いだため客足が遠のきましたが、今年に入ってからは とくに問題がなく、夏のバカンスで訪れた各国の観光客が目につきます。観光客とともに客引きも戻ってきて、旧市街を歩くとあちこちから声がかかるように なってしまいました。

旧市街にあるアヤソフィア前には入館待ちの行列ができていて、なつかしい光景です。ちょうどオスマントルコ軍楽隊を再現した楽隊がメフテルを演奏中。いつ もながら大太鼓の演奏者がかっこいいバチさばきを見せてくれます。軍楽隊員は軍に所属する国家公務員で、専門的な音楽教育を受けた人々です。公務員はこう いう古風な髭を生やすことが禁止されているので、実は全員「付け髭」。演奏が終わって移動のバスに乗り込んだ彼らは、髭を取ってさばさばした表情をしてい ました。メフテルの演奏は、タクシム広場近くにある軍事博物館でほぼ毎日聞くことができます。

またサバサンドの話ですみません。目立つ存在なのでどうしても目が行ってしまうのです。ガラタ橋たもとのサバサンド船、昨年の改築できれいになりました。 わたしが好きな魚市場の中の食堂は、市場の工事で閉店中でした。去年新装開店なったばかりなの に?10日間で工事は終わるということでしたが、果たしてど うなるでしょうか。真っ赤なピクルスはサバサンドのお供。トルコのひとたちはしょっぱくて酸っぱい漬け汁もごくごく飲んでしまいます。



  カフェレストランの店先



  地下街おもちゃ屋



爆睡



朝食の定番「ボレッキ」



百日紅

歴史地区にあるカフェレストランの店先に、料理のサンプルが並んでいました。日本ではおなじみですが、外国で見かけるのはめずらしいことです。朝食セット や伝統的なお菓子を模したもので、緑色の粒々は砕いたピスタチオのつもりでしょう。チーズの断面など質感がよく出ていますが、野菜の作りが大雑把でちょっ と残念。〈2017.9.3.〉



  2017年8月新市街
 


タクシム広場、共和国記念塔



骨董市



ズラリと並ぶお店



大物



小物



こんなモノも



待機中



夏の花壇

新市街のタクシム広場では、8月中旬から末日まで骨董市が開かれていました。ここでは毎年初夏から秋にかけて映画祭や古書市など、さまざまな催し物が行わ れます。タクシム広場やイスティクラル通りのあるベイオウル区が主催、今年が3回目ということで観光客も地元住民も楽しめるイベントとなっています。

広場の中心に建つ共和国記念塔は、いつも記念撮影をする人々でにぎやかです。今回訪れてみるとその周囲を警察のバリケードが囲み、広場脇に装甲車が待機し ています。以前からもパトカーが詰めていたりしましたが、そこだけ見るとちょっと物々しい雰囲気です。最近欧州で自動車が歩道を暴走して人をはねるという テロ行為が頻発しているため、それを警戒しているのかもしれません。
しかしイスタンブール市内に限ってはこうした自動車テロは起きにくいように思われます。人出の多いイスティクラル通りは警察や軍の車両、清掃車以外原則的 に車は入れません。ここに車で突入するためには、広場を横切ってかなりの距離を走らなければならず、その間に装甲車が発動する可能性があります。
旧市街のスルタンアフメット界隈も、上記の車両の他に観光バスなどを除いて一般車両通行禁止です。アヤソフィヤ前の広場も、タクシム広場のようにバリケー ドが置かれていました。
連絡船やフェリーの港があるシルケジやエジプシャン・バザール周辺も人出が多い場所ですが、ここは車道と歩道の間に背の高い鉄柵があって完全に分離されて います。もっともこの鉄柵は車が歩道に入らないようにするのではなく、歩行者がのべつ車道を渡ろうとするのを防ぐためのように見えます。
一般にイスタンブールの広い車道は、歩道側一車線にいつもびっしり車が駐車しています。車道から歩道に乗り上げるのは簡単ではありません。そもそもいつも 渋滞で、車が暴走できるほど道が空いていません。だからといって安心するわけにはいきませんが。



イスティクラル通り



レールが消えた?



新しいレール



代替案



ジュース屋に並ぶ柘榴



クムピル



イスティクラル夜景



公園の風船屋台



夾竹桃



果物売り

イスティクラル通りの名物、レトロな車両のノスタルジック・トラムが姿を消してしまいました。トラムのレールを通りの 石畳ごと一新する工事真っ最中です。 ついでに地中の排水管やら何やらも交換するのか、いたる所ほじくり返してわけがわからない状態になっています。一部レールは新しくできていますが、全線完 成するにはまだまだ時間がかかる様子。通りは真ん中で二分され、古いレール跡はごてごてとセメントで塗り固められ、工事の粉塵が舞いあがり、歩きにくいこ とおびただしい。これではこの時期に巡り合わせてしまった観光客はがっかりです。
代わりにということでしょうか、タクシム広場の催し物会場に記念写真用の模型トラムが置いてありました。それらしい背景までパネルになっていて、これはこ れで楽しいかもしれません。

「クムピル」は大人の握りこぶし2つ分以上はあるベイクドポテトをマッシュし、チーズやピクルス、サラミ、コーンなどをトッピングしたボリュームたっぷり の屋台スナックです。海峡沿いにあるちょっとおしゃれなオルタキョイが発祥だそうで、今ではあちこちに普及しています。じゃがいもの味が充実しているため なかなかおいしいものですが、量が多くて全部食べるのはひと苦労です。
果物売りの馬車はわたしのアパートの近くに出没します。この日はメロンを積んでいました。馬の名前は「エフェ」。エフェはエーゲ海地方の若衆を取り仕切る 親分のことです。馬車のおじさんはわざわざエフェを路地に止めて写真を撮らせてくれました。〈2017.9.3〉



  ウズベキスタン・トルコ絵画展



分水場



入口の横断幕



両国国旗





トルコからの出展









作者のグルメトフさん

タクシム広場の一角に、横に長い石造りの建物があります。オスマントルコ時代の18世紀、水道橋から運ばれた水を一旦ここに溜め、新市街の各方面へ分配し た分水施設です。内部を改築して2008年からイスタンブール市のギャラリーとして一般公開されています。ここで開催される展覧会はたいてい入場無料。奥 へ奥へと連なるアーチが特徴的な建物内部を見学するチャンスでもあります。2017年9月15日から27日まで、第5回ウズベキスタン・トルコ友好絵画展 が開かれていました。
ウズベキスタンは中央アジアにある二重内陸国(海に出るまでに少なくとも2回国境を越える国)で、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、アフガニスタ ン、トルクメニスタンと国境を接しています。カスピ海のさらに東側に位置します。
この地域は旧石器時代から人が住んでいましたが、ペルシャやギリシャなどさまざまな国に侵入された後、16世紀にウズベク人の国が形成されました。19世 紀以降ロシアに合併され、1991年ソ連崩壊と同時に独立して共和国となります。テュルク語系諸族のウズベク人が7割以上で、公用語はウズベク語ですが、 ロシア語も広く使われているということです。首都はタシケント。南部のサマルカンドはシルクロードのオアシスの街として栄えました。イスタンブールからタ シケントまでは飛行機で4時間程度ということで、トルコにとって地理的にも言語的にもそれほど遠い国ではないようです。









水彩画



作業台









精緻な作品

その色彩の明るさにびっくりしました。題材は17世紀フランドル地方の静物画を思い起こさせますが、もっと軽やかで伸びやかさを感じます。透明感という か、空気感や光のとらえ方がモダンで際立っています。花や果物の間に置かれた食器や敷物などに、中央アジアの雰囲気が漂う作品もありました。水彩画は静か な筆致で、風景の中に吸い込まれてしまいそうです。
何人かの作品が並んでいて、みなさん1960年代生まれ、国際的に活躍している方ばかりです。おそらくこうした画風がウズベキスタン美術界の正統なのだろ うと思います。一人の方と少しお話しましたが、自然が豊かで暮らしやすいお国の様子をうかがい知ることができました。〈 2017.10.2. 〉



  2018年8月犠牲祭



アヤソフィア



ブルーモスク鉛筆5本半



サバサンド船前広場



行き倒れ的爆睡猫



お手軽スナック「ラフマジュン」



タクシム広場露店市



お土産いろいろ



似顔絵屋



石鹸やハマム用タオル



ぬいぐるみです



古本屋



夜の風景

2018年の犠牲祭(クルバン・バイラム)は8月21日から23日の3日間です。このサイトで一番最初に犠牲祭を取りあげた2009年では、11月の下旬 でした(➡「犠牲祭・その1」:「犠牲祭・その2」:「犠牲祭・その3」)。イスラム教のお祭はイスラム歴にのっとって行われ るため、1年に11日ずつ早まります。60年でほぼ一巡する計算です。
断食月最後の3日間に行われる「砂糖祭」に比べるとかなり地味なお祭ですが、今年はその前後合わせて9日間の連休となるため、街全体が浮足立っていまし た。休みの間は郷里へ里帰りしたり、バカンスに出かけたりするのが一般的です。
バイラム中、観光客が集まる地域の飲食店や土産物店はここ一番の書き入れ時。普段より張り切っています。しかし普通の街角にある個人営業のよろず屋などは しっかり休業します。コンビニ代わりの店が1週間以上も閉まると、何かと不便です。とはいえ当節は始業時間を遅くして営業するスーパーなどが増えたよう で、今年はバイラム3日目あたりから何とか通常通りの生活ができるようになりました。

バイラム突入寸前の旧市街、肌に当たると痛い日差しの下でアヤソフィアに入場待ちの行列ができます。スルタンアフメット・ジャーミー(ブルーモスク)は現 在改修中、6本ある鉛筆のようなミナーレが5本半になっていました。学校の夏休みとバイラムが重なって、家族連れの観光客や団体旅行の外国人が目につきま す。トルコリラが激安ということもあり、前年比3割増し以上の客足だそうです。テロやクーデタなどで一時すっかり落ち込んだ観光業界ですが、去年あたりか ら持ち直し、もはや完全復活というところでしょうか。



文化センター跡



前年8月30日の戦勝記念日



新ジャーミー建設中



共和国記念塔



復活レトロトラム



バーガーキングのソフトクリーム



ドネルケバブ屋



「わたしにも早くちょうだいな」



広場の植え込み

バイラムの間、新市街側は道が空いてて渋滞なし。人出も少なく静かで快適です。お盆休みの都内みたいです。路地を回る物売りの声も聞こえません。ただし観 光名所のタクシム広場やイスティクラル通りに近づくにつれ、わらわらと人が増えていきます。折しもお店はどこもバーゲン真っ最中。「爆買い」の観光客が殺 到しているかどうかはわかりませんが、いつもより紙袋をぶら下げた人が多いのは確かです。
タクシム広場には区が運営する期間限定の露店市があり、今はトルコらしいお土産品やアクセサリー、古本などを売る店が並んでいます。

広場の片隅にあった「アタテュルク文化センター」が、跡形もなく消え失せていてびっくり。このセンターは長らく閉鎖中で、毎年いろいろな記念日に国旗が掲 げられるだけの建物となっていました。代わりに広場の反対側に巨大なジャーミーが建設中。コンクリートのドームがそびえ立っています。完成したら相当目立 つジャーミーになりそうです。「大きいことはいいことだ」!?
共和国記念塔や、復活したレトロ・トラムのまわりも写真撮影する人が順番を待っています。記念写真を撮っているとい うことは、みなさん観光客。広場の一角 にある名物のドネルケバブ屋やハンバーガー店には、ケバブサンドやソフトクリームを求める人々が群がっています。いつも混雑している場所ですが、今日はま た一段とにぎやかです。バイラム3日目午後3時ごろの光景でした。
〈2018.8.25.〉






歴史的建造物



美しい玄関



常設展







「眠る少女」



部分





常設展





トゥンジャ「ロトンダT」(2016年)



部分、炭とエアブラシ

月曜日休館。木・日をのぞき10:00〜18:00。木10:00〜20:00、日11:00〜18:00。
新市街のカバタシュからカラキョイにかけて、ボスポラス海峡沿岸部は数年前から一大再開発プロジェクトが始まり、今も続行中です。びっしり並んでいた大小 の建物はすべて取り壊され、新しい沿岸沿いの景観がどんなものになるのかは、まだまったく見当がつきません。
確か去年はまだ海峡沿いにあったイスタンブール近代美術館(イスタン ブール・モデルン)も、跡形もなく消え去っていました。あれほどの美術館が不在のまま であるはずがないと思っていたら、ちゃんとお引越しをして健在でした。
新しい場所はイスティクラル通りの裏手、アクセスに便利なロケーションです。2018年3月にこちらに移ってきました。元の場所には3年後に戻るそうで す。
このあたりはかつて外国人居住区だったエリアで、ヨーロッパ風の歴史的建造物が多く残っています。モデルンが入っているのは1896年建造の美しい建物で す。設計はフランス・オスマン様式の建築家Alexander Vallaury (1850-1921) 。彼はイスタンブール考古学博物館なども手がけまし た。

展示フロアは5階から地下1階まで。各階は常設コレクション、特別展、写真ギャラリー、図書館、イベント室などに分かれています。以前に比べると面積はか なり縮小されましたが、その分厳選された作品を集中的に鑑賞できます。
「近代」というよりも「現代」の作品が多い美術館です。トルコの芸術家を中心に、ベルギー人のハンス・オプ・デ・ビーク(Hans Op de Beek, 1969〜)なども並びます。ブロンズにグレイの特殊コーティングをした「眠る少女」(2018)の質感が独特です。



クラッグ特別展















モデルンなお手洗い





入館者シールが貼られた道端のメータボックス

この時の特別展は英国の彫刻家、トニー・クラッグ(Anthony Cragg,1949〜)。クラッグは、天然ゴムの生産調査機関の技術者として勤務したのち、美術学校に入ったという、ちょっと変わった経歴の持ち主で す。1988年ターナー賞、2007年高松宮殿下記念世界文化大賞の彫刻部門を受賞。メタルやプラスティック、ガラスなどを使って有機的な作品を発表して います。
特別展は「人間の本質」と銘打って、人間の内なる自然や思考について表現された作品群が集められました。角度によって人間の顔がいくつも見え隠れする作品 など、つややかでなめらかな曲線が美しく、いつまでも眺めていたくなります。

モデルンだけあって、暗く落とした照明や展示室の静かでクールな雰囲気が心地よく感じます。
しかしそれよりも、建物の優美で古典的な外観と、一歩中に足を踏み入れた途端に展開するコンテンポラリーな世界とのギャップが新鮮です。新市街でも歴史の ある古い地区に、そこだけ現代アートが躍動している感じが突出していて、美術館そのものに新しい魅力が加わりました。
たとえばそれは、2017年に訪れたヴェネツィア・ビエンナーレで感じたことにも似ています。あの独自な街の景色の中に、意表を突くオブジェがそこかしこ に点在していました。しかし不思議と違和感はまったくなく、むしろ両方が両方の存在を引き立てているような印象です。
歴史的景観と現代芸術、相性は抜群と見ました。〈2018.9.13.〉



  ベシクタシュ



第一大橋が近くに見えます







ベシクタシュの港









楽しい街角

新市街の海峡沿いにある波止場のひとつにベシクタシュBeşiktaş があります。波止場の建物は1913年の建造で、アリ・タラト・ベイAli Talat Bey設計。タイルの装飾が特徴的な美しい建物です。
ここは19世紀半ば以降スルタンの住まいとなったドルマバフチェ宮殿やユルドゥズ宮殿、海軍博物館などがある地域です。とくに観光エリアというわけではな く、むしろ快適で文化的な生活レベルの高い地域として知られており、外国人も多く住んでいます。サッカーチームのベシクタシュのホームタウンがここにあ り、さらに内陸に入るとエティレルEtilerやレヴェントLeventといった高級住宅地につながります。

新市街の中心部タクシムからほど近いのに、街の様子はまったく違います。波止場周辺には市場、商店街、カフェ、レストランが密集して、「にぎやかな生活の 現場」という雰囲気。昔ながらの商店の合間におしゃれなカフェやバーがたくさんあり、大学が多いせいか学生やセンスのいい若い人たちが目につきます。便利 で安全、暮らしやすい街ともっぱらの評判です。



シナンパシャ・ジャーミー





ジャーミー内部



古風なミナーレのトゥズババ・ジャーミー



ジャーミー内の霊廟



タイル製ミフラープ



ウフラムル庭園



ウフラムル・カスル





豪華な室内装飾



総大理石のお手洗い



別棟



庭園内のカフェ



庭に咲くアガパンサス





アカレトレル

現在はモダンな雰囲気とはいえ、オスマン帝国時代は海軍のドックがあったそうで、歴史的には古い地域です。シナンパシャ・ジャーミーは海軍司令官シナン・ パシャ(Sinanüddin Yusef Paşa)の命を受けてミマール・シナンが設計、1555年に完成しました。内部は新しくなっていますが、ところどころ以前の状態が残っています。この 後、傷んでいる箇所を2年ぐらいかけて修復する予定になっているということでした。

ウフラムル・カスルIhlamur Kasrı はアブデュルメジド1世が1894年に建てた夏の離宮。設計はアルメニア人建築家一族のニコオス・バルヤンNigoğyos Balyanです。かつては森と小川に囲まれた静かな場所でした。池のある広々とした庭園にはカフェがあり、孔雀が闊歩していました。庭園内では、テラス や別棟でブランチを頂くという素敵な企画が毎週末催されます。

道路の両側に延々と1ブロックも続く美しいテラスハウスはアカレトレルAkaretler。ドルマバフチェ宮殿を訪れた要人の宿舎として、アブデュルアジ ズによって1875年に建設されました。設計は先の建築家一族のひとり、サルキス・バルヤンSarkis Balyan。修復された後、現在は高級ブティックやホテルが入っています。壮観な眺めで、街のなかでもひときわ目立つ存在です。







個性的な民家



ビヤホール





魚市場





市場裏のシーフードレストラン街



前菜各種



スズキの開き



毎度おなじみイカリング





金曜日夜のにぎわい



地元で人気の野党第一党

名のある歴史的建造物ばかりではなく、あちこちに素敵な民家もあって退屈しません。進歩的な街だけあって、トルコではめずらしいクラフトビールを出す店も ちらほら。魚市場は毎日営業。これとは別に、毎土曜日に開かれる市場もあります。魚市場の裏手はシーフードレストランが軒を連ね、ギリシャ正教教会の脇も テーブル席がびっしりです。金曜日の晩とあって、時間が経つにつれてどの店も満席状態、仲間と楽しい宴会でみんな盛り上がっています。お料理はどれもおい しく値段も良心的、物価の高いイスタンブルでも穴場的な場所だと感じました。
港に戻る途中の小路も若い人たちであふれています。こうして夜更けまで飲み、語り、充実した学生生活を満喫している様子が好ましく、また頼もしく見えまし た。〈2018.10.3.〉



エ ミルガン公園散策



公園入口





緑豊かな園内



二足歩行?



ボスポラス海峡



ビザンツ時代の遺構?



池と滝



レストハウス

無休・7:00〜23:00
ベシクタシュからバスで約30分、海峡沿いを北上して第二大橋を越えた先にあるのがエミルガン公園Emirgan Parkıです。海峡に向かった斜面に47万uの森が広がり、整備された歩道のまわりにさまざまな種類の針葉樹が茂っています。園内には滝や池などもあ り、海峡を望む散歩にぴったり。週末にはそぞろ歩きを楽しむ人が多く訪れます。
この森は17世紀にムラト4世が屋敷を建て、その後所有者が転々としましたが、現在はイスタンブール市の管理地となって開放されています。敷地内にある3 つの瀟洒な館は、19世紀当時の所有者がゲストハウスや狩猟用のロッジとして建てたもので、その後修復されて結婚式場やカフェ、レストランとして使われて います。
針葉樹が多いので秋の紅葉が名物というわけでもありませんが、時折きれいに色づいた落ち葉を見かけます。この公園は何といっても春のチューリップが有名 で、見事に咲きそろった景色は素晴らしいと評判です。



第二大橋



カフェ





朝食セット



焼いていただくヘリム・チーズ



とうもろこしの屋台

第二大橋近くの海峡沿いにはカフェやレストランが並び、人々が大挙して週末のブランチに訪れます。海峡の美しい景色を眺めながら、いろいろな種類のチー ズ、オリーブ、新鮮なサラダ、玉子料理といったトルコの朝食をのんびり楽しみます。
お天気がよければたいへん気持ちの良いスポットですが、このエリアはバスか車でアクセスするしかなく、道路が渋滞するのが難点です。ベシクタシュから行き は30分程度でも、帰りが午後になると1時間半から2時間かかることもしょっちゅうあります。急ぐ用事が何もない時のブランチ、および散歩限定というとこ ろかもしれません。〈2018.12.23.〉






  庭園の向かい



  庭園入口



  池



  お茶室





  日本情緒



  集会所



  滝



  南天



  プラタナスと四阿



  敷石

無休・夏期7:00〜19:30、冬期7:00〜17:00
エミルガン公園から第二大橋へ戻る海峡沿いに、突然日本情緒あふれる門が出現します。この地区の名前をつけて「バルタリマヌ日本庭園 Baltalimanı Japon Bahçesi」と呼ばれる本格的な日本庭園です。これは1972年山口県下関市とイスタンブール市が「海峡に面した都市」として姉妹都市になったご縁か ら、2003年に両市の協力で開園されました。
6137uの敷地にはお茶室、四阿、池などがしつらえられ、地元の人々が散策しています。お茶室の「陽月庵」は、トルコと日本両国の国旗にある太陽と月に 由来して名づけられました。桜、カエデ、松といった園内の木々も日本庭園にふさわしく、四季折々の風情を楽しめるようになっています。桜は日本から、カエ デや松はトルコで調達されました。池の周辺に配置された庭石は色合いや形も立派なもので、総重量600トンの石をわざわざ日本から運んできたのかと驚きま したが、ブルサのウル山から運ばれたそうです。

園内にそびえるプラタナスを除けば、日本にいるのとまったく同じ気分になります。丁寧に造園され、手入れの行き届いた美しい庭園です。でも何か足りない… と思って考えていたら、池に鯉がいないことに気がつきました。たしかに、猫が多いイスタンブールで鯉を飼育するのは少しむずかしいかもしれません。日本に いる時は当たり前すぎて気にも留めていませんでしたが、実は日本庭園には鯉が大きな役割を果たしていたのだ、と改めてわかりました。 〈2018.12.23.〉






  海からの眺め



  「幽霊屋敷」



  玄関





  最上階からの景色



  エントランス



  ミーティングルーム



  オフィス



  階段とスケルトンのエレベータ

土・日のみ開館・10:00〜19:00
第二大橋のたもとに、煉瓦色のひときわ目立つ風変わりな建物があります。ボルサン・ホールディングスが運営する現代美術館、ボルサン・コンテンポラリー Borusan Contemporaryです。
この建物は1910年代、オスマン帝国のエジプト太守顧問だったユスフ・ズィヤー・パシャYusuf Ziya Paşaが自分の屋敷としてみずから設計し、建設を始めたものでした。しかし第一次大戦の混乱で建設は中断し、未完のまま長らく放置されていました。その ため、地元ではいつしか「幽霊屋敷Perili Köşk」と呼ばれるようになったということです。
1995年から新しい建築家によって建設・改築が進み、2007年にボルサン・ホールディングスが借り受けて現代美術館としてオープンしました。

何といっても最上階からの展望が圧倒的です。最上階はテラスに出られるようになっていて、海峡から吹きつける強風を体感できます。真下を見るとかなりの高 さで目が眩みます。建物内部はどこもコンテンポラリーでぴかぴか。階段やエレベータを始め、ミーティングルームなどもすべてそれ自体が現代美術のようで す。



  特別展







  作品群



  翼がゆっくりと上下します



  シャワールーム





  カフェ

各フロアには、内外の作家のデジタル作品や機械で動く作品(キネティック・アート)などが展示されています。ガイドとともに見学するフロアもありました。 不思議なのはシャワールームのパネルです。このパネルも作品のひとつかと思って奥をのぞいてみると、本当にシャワールームがありました。美術館でシャワー を使うことがあるんでしょうか。それともやっぱり作品なんでしょうか。

素晴らしいカフェが併設されています。地上2階部分にあるため、目の前の道路を往来する車がまったく気になりません。橋と海峡の景色を独り占めする感じで す。美術館に入らずカフェだけの利用もできるので、通りに面したカフェやレストランが混んでいる時はここに来て、「休日の絶景ブランチ」を楽しむのもいい かもしれません。〈2018.12.23.〉






博物館





イスタンブール



1960年クーデタの様子



博物館のポスター



ギュレル取材中

火〜土:10:00〜18:00・日:12:00〜18:00・月と祝日休館
2018年9月4日、新市街の地下鉄オスマンベイ駅近くにアラ・ギュレル博物館Ara Güler Müzesiが開館しました。ギュレル(1928-2018)はトルコを代表する世界的フォト・ジャーナリスト。報道写真の他に、イスタンブールの港や街 角で生活する人々をとらえた写真でも有名です。そんなギュレルの足跡を追った博物館が、元ビール工場だった古い建物をリノベーションした一角に生まれまし た。残念ながらギュレルは、この博物館の開館後10月18日に90歳で亡くなりました。

独特のノスタルジーをたたえたイスタンブールのモノクロ写真はとても印象的で、彼が「イスタンブールの眼」と呼ばれるようになったのもうなずけます。 2006年にノーベル文学賞を受賞したトルコの作家オルハン・パムクOrhan Pamuk(1952〜)の『イスタンブール 思い出とこの町』(2003年)ではギュレルの写真が多く使われており、特徴的なパムクの文体と「古き良 き」イスタンブールの面影が一体となって、魅力的な雰囲気を醸し出しています。



ピカソとギュレル



ピカソがギュレルに送ったイラスト



シャガール、サインとイラスト入り



シャガールからの礼状



ダリと一緒



バートランド・ラッセル、ワイシャツの襟にサ イン



ライカとマミヤ



覚書、右頁はアルメニア語の切り抜き





アフロディシアス遺跡

ギュレルの本名はAram Derderyan。大昔アララト山に住んでいたとされる伝説的人物の名前から、「アラ」と名乗るようになったそうです。イスタンブールのアルメニア人家 庭に生まれたギュレルは、アルメニア高校卒業後イスタンブール大学でジャーナリズムを学び、トルコの日刊紙「ヒュリエット紙」で働き始めました。1958 年アメリカ「タイムライフ誌」のトルコ特派員となり、「パリ・マッチ」や「サンデー・タイムズ」といった国際的な雑誌に登場するようになります。同じこ ろ、世界最高の報道写真家集団と目される「マグナム」にも参加しました。
1970年代にはピカソ、シャガール、ダリといった芸術家やヒッチコック、ガンディ、英国の哲学者バートランド・ラッセルなど、各界の著名人のポートレイ トも多く撮影しています。

アフロディシアスはエーゲ海地方アイドゥ ン県にある壮大な遺跡です。この遺跡を発見したのはギュレルでした。1958年、この地方にできた新しいダムの撮 影に来た彼は途中で道に迷い、ガイレ村にたどりつきました。当時この村の人々は、まったく知られていない未調査の遺跡の中に住んでいたのです。驚いた彼は その写真を撮り、イスタンブールに戻ってから世界中に発信しました。これがきっかけとなってアフロディシアスの本格的な発掘調査が始まったということで す。



展示室



展示室への入口



ロビー







洗面所







ボモンティアダ



カフェで一休み

博物館は工場の古いレンガをそのまま生かしつつ、現代的なインテリアで新しい空間を造り出しています。地階にある展示室や階段などいい感じです。とりわけ お手洗いが斬新でびっくりしました。
アラ・ギュレルの功績を考えるとイスタンブールにとって大きな意味のある博物館だと思いますが、最大にして決定的な欠点が。解説パネルがトルコ語だけで す。いったいこれは何ということでしょうか。
ギュレル博物館と聞けば、世界中の写真愛好家が関心を持つはずです。それなのに英語の解説がひとつもない。残念すぎます。今後の改善が強く望まれるところ です。

工場跡はボモンティアダBomontiadaという商業施設になっています。ボモンティはエフェソスと並んでポピュラーなトルコ製のビール。施設には広場 を囲むようにカフェ、レストラン、クラブ、ライカのオフィスなどがあります。これから若い人たちの新しいスポットになるのでしょうか。古い歴史的な建物を 上手に使って、新しいものに作り直すという姿勢が好ましく感じられました。〈2019.4.6.〉






当日のパンフレット



夕暮れの第二大橋、釣り人がいます



向かいのアジア側



近所のカフェ



会場から見下ろすボスポラス海峡



ステージと椅子席



芝生の桟敷席



ステージ



第二大橋点灯



スタンバイ

2019年8月5日から9月5日まで、「庭で夏のバッハ・フェスティバル」と銘打った野外コンサートが開催されました。場所はエミルガン公園近くのサク プ・サバンジュ博物館の中庭です。
このフェスティバルは昨年に続いて2回目、夏の晩にバッハを中心とするバロック音楽を屋外で楽しむというものです。期間中、国内外の演奏家が緑豊かな博物 館の庭でさまざまな演奏を繰り広げます。
フェスティバルの正式名称は“BACHÇEDE YAZ FESTİVALİ”(庭で夏のフェスティバル)というものですが、バッハBachとトルコ語の庭Bahçe(バフチェ)を掛けた表記になっていて、 ちょっとしゃれた言葉遊びという感じです。

8月27日のコンサートはアンドレス・ムストネンAndres Mustonenとホルトゥス・ムジクスHortus Musicusの演奏で、前半は「カルミナ・ブラーナ」、後半はトルコのカヌーン奏者タヒル・アイドゥドゥTahir Aydoğduを迎えて中東音楽というプログラムです。

ムストネンは1952年生まれのエストニアの指揮者、ヴァイオリン奏者。バロック音楽からブルックナーやショスタコーヴィチ、あるいはグバイドゥーリナと いったロシアの現代音楽などを得意とする、かなり異色の演奏家のようです。その彼が1972年に創設した楽団がホルトゥス・ムジクスでした。
カヌーンは中東の伝統的な撥弦楽器。台形の箱に金属製の弦が張ってあり、ツメをつけて演奏します。お琴に似ていますがもっと硬質な音色で、特殊な倍音が出 せる楽器です。

午後8時半の開演前に会場に着くと、ちょうど夕暮れ時。目の前のボスポラス海峡にかかる第二大橋に明かりが灯るころです。平日の晩だというのに、近くのカ フェは夕涼みでくつろぐ人がたくさんいます。
海峡を見渡せるテラスに小さいステージがしつらえられ、椅子席の他に桟敷席というか、座布団席もありました。400人ぐらいの座席に6割ぐらいの入りで す。ステージにはコントラバスなどが並んでいますが、これで本当にカルミナ・ブラーナが演奏できるのだろうか、そもそも合唱団は入れるのだろうか、と ちょっと心配になってきます。

いざ、演奏者が登場してびっくりです。みなさん中世風だか何だかわかりませんが、シルク製で色とりどりの独自なコスチュームで、何やらどうも怪しい雰囲 気。
コントラバス、ヴィオラ・ダ・ガンバ各1名、バロックフルート、ショーム、カータル、クルムホルン、ラウシュプファイフェといった普段あまりお目にかかる ことのない古楽系の管楽器が2名、トロンボーン1名、パーカッション3名、鍵盤楽器(シンセサイザー)1名の計9名に、ムストネンのヴァイオリンと指揮と いう編成です。
えっ、これだけ?

いざ音楽が始まると、およそ今まで聞いたことがないようなカルミナ・ブラーナです。というか、これが本当にあの曲なのだろうか?それにしても歌手がいなく てどうするんだろうと思っていると、それまでパーカッションを弾いていた3人がおもむろに立ち上がって歌い始めます。なるほど、3人でテノール、バリト ン、バスの3声です。3声あれば合唱になります。アリアもOKです。当たり前のことですが、当たり前すぎて気がつきませんでした。
ムストネンご本人の解説によると、カルミナ・ブラーナからいくつかの歌を自分たち流にアレンジした曲を演奏するということです。まさにその通り、途中でそ こはかとなく中東風の旋律あり、ジャズの即興風あり、現代音楽あり、という展開。素晴らしい技術に裏付けられた自在の音楽が炸裂したのでした。
後半の中東音楽は、カヌーン目当ての聴衆が多いようでしたが、こちらもまた中東に限らずバルカン半島を含む音楽の洪水となりました。アンコールはマケドニ ア地方の古い曲。

考えてみれば、カルミナ・ブラーナは中世の世俗音楽です。教会音楽のように信仰を高めるためのものではありません。当時の民衆の音楽は、城壁に囲まれた町 の角々で、あるいは村落で、辻音楽師たちが軽やかに歌ったり演奏したりしていたものでしょう。その情景がリアルに伝わってくる音楽会となりました(写真は トルコでとりあえず撮影が許されている演奏前の様子です)(実際には演奏中でも撮影可のようで、堂々と動画を撮っている人も多数)。



博物館本館



レストランやショップが入っている別棟



庭の展示物



タクシム広場



共和国記念塔周辺

ライトアップされた博物館本館や別棟のレストラン、広い敷地内に点在する展示物なども素敵です。ボスポラス海峡から吹いてくる風は涼しく、夏の晩ならでは の心地よさを味わえます。
街の中心部に戻ってきたのはほぼ12時ごろ。帰りは渋滞がひどくて時間がかかりました。静かな郊外から帰ってくると、タクシム広場の活気に満ちた喧騒がひ ときわ強く感じられるのでした。
〈2019.9.17.〉



  ビザンツの痕跡めぐり・超マイナー編



アラブ・ジャーミーの鐘楼



ジャーミー内部





ジャーミー外側



中庭



ビザンツ時代の城壁(の名残)



何かの遺構(かもしれない)



金閣湾沿いのジャーミー



レモネード



アルカディウス記念柱



レリーフの痕跡



「ブルグル・パレス」





「ブルグル・パレス」遠景



焼き菓子いろいろ





オスマン時代の水場

ビザンツ帝国の首都だったイスタンブールでは、アヤソフィアカーリエ博物館(コーラ修道院)を始めとする教会や修道院、水道橋、堅 固な城壁など、当時の 建造物をあちこちで目にすることができます。しかしそうしたメジャーで観光スポットになる華々しい建造物ではなく、道端に転がっていて誰も目にとめないよ うな、そもそも何だったのかわからない遺構も無慮数万とあります。「遺構」というよりもほとんど「痕跡」とでも言った方がいいかもしれません。そうしたビ ザンツ帝国の名残のいくつかを、2019年8月にのんびり訪ね歩いてみました。

金閣湾の新市街側、ガラタ塔を下ったあたりにあるアラブ・ジャーミーは、壁の一部が残されていたことから、6世紀ごろに建てられたアヤイリニ教会だったと 考えられています(現在のアヤイリニはアヤソフィヤの裏手にあり、博物館として公開中)。1233年には聖パウロの礼拝堂となり、その後修道院や新しい教 会になりました。
1453年のオスマン軍によるコンスタンチノープル陥落後、しばらくはジェノヴァ共和国の教会として存続、1475年から1478年の間にジャーミーに転 用されました。当初は「ガラタ・ジャーミー」という名前でしたが、1492年「アラブ・ジャーミー」となり現在に至っています。当時スペインで起きた異端 審問を逃れ、この地に移住してきたアラブ人イスラム教徒たちにこのジャーミーを割り当てたことから、こうした名称になったということです。
その後火災に遭ったり改修や修復が繰り返されました。かつての鐘楼もミナーレに転用されていますが、初期イタリアゴシック様式の建築としてはイスタンブー ルに唯一残る貴重なものとされています。

ジャーミー入口にある解説パネルには715年アラブ軍によって建造されたとか、一時ガラタ地区がアラブ軍の支配下に置かれたというようなことが書かれてあ りますが、これは正確な史実ではありません。第1次アラブ包囲戦(675年〜678年)、第2次(717年〜718年)いずれの場合も、コンスタンチノー プルは「ギリシアの火」と呼ばれる秘密兵器(一種の火炎放射器)でアラブ軍を撃退しています。

ビザンツ建築としてはほとんど何も残っていませんが、内部はかつて教会だったことをうかがわせるような空間です。2013年の大修復を経て、階段や柱、天 井などにふんだんに使われた木材が美しく輝いています。中庭に出ると折しも8月11日の犠牲祭初日、羊が次々と屠られていました。信徒数人で1頭の羊を共 同購入し、供犠にするということでした。

あたり一帯は小さな問屋がひしめく地域。普段は活気のある場所ですが、その日は祭日のため問屋はすべて閉店、人通りもなくがらんとしています。少し歩いた ところに、建物にはさまれてそびえ立つ石積みの塊が。最上部には木が生えています。これは金閣湾沿いに造られた城壁の名残です。民家や商店にはさまれた城 壁の断片はここだけなく、金閣湾沿いのいたるところに点在しています。そのすぐ近くにあった借り手募集中の物置も、もしかしたら何かの遺構だったかもしれ ません。
ガラタ橋近くの海岸沿いでちょっと休憩。ボモンティのしゃれたビールグラスに入っているの は、ビールではなく冷たいレモネードです。気温が高く日射しも刺 すように痛いので、さわやかなレモネードがことさらおいしく感じます。

新市街側から旧市街側へ移り、トラムのユスフパシャ駅からさらにマルマラ海沿岸に向かって歩きます。学校や病院、住宅地を抜けていくと、そこにも民家には さまれた石の塊がそびえています。こちらは切り石積みではありません。高さは約11メートル、幅約6メートルという巨大なものです。歩道に面していちおう 鉄格子で区切られていますが、格子戸は開いていて塊のふもとは猫のベッドになっていました。
アルカディウスArcadiusの記念柱です。ローマ皇帝テオドシウスの長子で、東西ローマ帝国分裂後、初の東ローマ帝国皇帝となったのがアルカディウス でした。在位383年〜408年。この記念柱はアルカディウス広場にあったとされますが、その広場の詳細はいまだにはっきりしていません。
かつてここにそびえ立っていた記念柱の高さは40メートル。正方形の台座の上に、内部が螺旋階段になっている円柱が乗り、頂上にはおそらくブロンズ製と思 われるアルカディウスの像が立っていたと考えられています。たいへんな高さです。16世紀に描かれた精密な図によると、円柱の外側には螺旋状にびっしりと レリーフが施され、神話的場面やゴート族との闘い、歴史的場面などが描かれていたようです。
アルカディウス像は740年の地震で倒壊して失われ、柱は崩壊の危険があるため18世紀に撤去されました。現在残っているのは台座とその上の部分というこ とです。よく見ると何か彫られていた形跡がかすかに残っていました。

このアルカディウス記念柱の近くに、妙な建物がちらっと見えました。つばの広い帽子のような小さなドームが異彩を放っています。しかし残念なことに、周囲 の建物が建て込んでいて全体が見えません。小路を行ったり来たりしながら近づいて行くと、複雑な構造の家が垣間見えるだけです。
この怪しい建物は「ブルグル・パレスBulgur Palas」、イスタンブール生まれのイタリア人建築家ジュリオ・モンジェリGiulio Mongeri(1873〜1953)設計。

ブルグルはクスクスのスムールに似た食材で、引き割り小麦とも呼ばれ、トルコ料理では付け合わせによく使われます。トルコ黒海地方のメフメト・ハビブがブ ルグルの闇販売で大もうけし、その売り上げで建築家に依頼した建物だということで、こんな名前がつけられました。1912年に着工したものの建築費用がか かりすぎて中断。依頼主の死後1921年オスマン銀行の所有となりましたが、結局費用を支払うことなく建物は未完のまま残されたとも、銀行がオフィスや住 居として使用したとも言われています。
モンジェリは1900年代から1930年代にかけて、当時興った「第一次国家建築運動」で活躍した建築家で、イスティクラル通りにある「聖アントニオ・カ トリック教会」(1912年)や、現在ブルサの温泉ホテル敷地内にある「チェリッキ・パレスÇelik Palas」(1935年)など、多くの建築を設計しました。
このブルグル・パレスは、何というかイタリア風とオリエント風、バロックとアールヌーヴォーが混ざったような独特な雰囲気を醸し出しています。本来公共建 築ではなく個人邸宅として設計されたせいか、非常に趣味的な色彩の濃い建造物になっているところが印象的です。
ここから次の目的地に行く途中、ふと振り返ると彼方にその全貌を見ることができました。電線がかなり邪魔ですが。

祝日で閉まっているお店が多いなか、おいしそうなパン屋兼焼き菓子屋が開いていました。小さい焼き菓子を買ってつまんでみると、出来立てでさっくりおいし い。近所の人たちはいつでもこんなにおいしい焼き菓子が食べられて、ちょっとうらやましい気持ちになります。



城壁





アルメニア教会





教会の中庭





ブコレオン宮殿









ボスポラス海峡



ガラタ橋サバサンド船の前



メイハーネのテーブル



レバーの唐揚げ



揚げ春巻きに似たボレッキ



タクシム広場に建設中の巨大ジャーミー

鉄道のガード下をくぐり、マルマラ海に近い場所まで歩きます。何か工場のような敷地の入口に、レンガを挟み込んだ石のかたまりがそびえ立っています。ここ もぽつんと取り残されている城壁の一部です。今では幹線が走っていますが、おそらくここから海寄りの部分は後に埋め立てられた場所で、本来の海岸線はこの あたりにあったと思われます。バンドゥルマ行きのフェリーが発着するイェニカプ港はすぐ近くです。
港に向かって歩いて行く途中、またしても不思議な形の建築物を発見。塀の向こうに見えるファサードと屋根の十字架からすぐ教会だとわかりました。アルメニ ア正教の教会です。ちょうど管理人とおぼしき人が門を開けて入っていくところだったので、お願いして中を見学させてもらいました。教会内部は写真禁止です が、中庭や外観はかまわないということで、きれいな中庭の様子を撮りました。日よけのある庭の床に大理石が敷き詰められ、まぶしく輝いています。

マルマラ海沿いをボスポラス海峡に向かって行くと、海沿いに城壁が断片的に残っているのが見えます。その延長線上にあるのがブコレオン宮殿 Boukoleon Palas跡です。
5世紀ごろテオドシウス2世の時代に建てられ、再建や拡張を繰り返しながら13世紀に新しくブラケルナエ宮殿Blachernae Palasが完成するまで、皇帝の宮殿として使われていました。1453年オスマン軍がコンスタンチノープル領内に入った時には、廃墟となりつつもその姿 をとどめていたそうです。
近年ここを修復して野外博物館にするという話があるようです。現在のところ周囲は公園として整備され、遺構は立ち入り禁止区域のまま保存されています。

とりあえず今日の遺構めぐりはこれで終了。ここからシルケジ駅を通ってガラタ橋を渡り、新市街側へ戻ります。午前中に出発したアラブ・ジャーミーから、旧 市街のマルマラ海寄りの一部をざっと一周した感じです。
新市街のイスティクラル通りに出て、最後はトルコの伝統的居酒屋「メイハーネ」でちょいと一杯。レバーの唐揚げや揚げ春巻きのようなボレッキはおつまみの 定番です。このボレッキには、とろける「カシャールチーズ」と牛肉のスパイシーソーセージ「スジュック」が入っています。アツアツが大変美味。

たとえばこんな具合に、イスタンブールはちょっと散策するだけでいろいろなものに出会えます。歴史が幾重にも積み重なっている古都の魅力、底力を実感した 1日でした。〈2019.10.17.〉

〈この項続く〉