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  エー ゲ海地方  

エフェソス Efes
パムッカレ Pamukkale
エー ゲ海 Ege Bölgesi

エーゲ海地方はトルコ南西部に位置します。沿岸部はペルガモン(ベルガマ)、イズミール、エフェソス(エフェス)、ボドルム、マルマリス、フェティエあた りまで。内陸部にはキュタフヤ、アフヨン、パムッカレといった街があります。
観光で訪れる機会が一番多いのがこの地方でしょう。文字通り古代ギリシア・ローマ遺跡の宝庫です。地中海地方とともに古代オリエントの昔からさまざまな文 化が花開いた、豪華絢爛な歴史の舞台ともいえます。イオニアIonia、カリアCaria、リディアLydiaといった古代都市はこの地方にありました。
地中海性気候で夏は暑くて乾燥が激しく、冬は温暖。内陸部では寒くなるところもあります。茶色の大地にどこまでも続くオリーブ畑が印象的です。アーモン ド、杏、いちじくなどの果樹園も多く、豊かな土地柄がうかがえます。綿の栽培も盛んで、内陸部では繊維工業が発達しています。
海岸沿いはどこもリゾート地として整備され、夏にはトルコ国内ばかりではなく、各国からも観光客が訪れて大にぎわい。海水浴はもちろん、クルージングやダ イビングなどのマリンスポーツが盛んです。日本とはだいぶ趣が違いますが、温泉の湧く地域もあって人気があります。
パムッカレの石灰棚とヒエラポリスは、1988年自然と文化の複合的世界遺産に登録されています。〈2011.9.25.〉



  エフェソス遺跡  Efes Harabesi


エフェソス遺跡

街全体が遺跡として残されているのがよくわか ります(※)

ケルスス図書館

2世紀頃建てられたケルスス図書館(※)

野外劇場

野外劇場。1〜2世紀頃(※)

古代の公衆お手洗い

古代の公衆お手洗い。腰かけているのはガイド のフズリさん

パムッカレのヒエラポリスにくらべると、建物が建物らしい状態で残されているため、当時の街の様子を容易に思い起こすことができます。観光客も多く、にぎ やかなところに来た感じです。目抜き通りには神殿や高級住宅、公共のお手洗い、浴場、娼館などがひしめいています。〈2009.7.26.〉






  アルテミス(※)



  メナンドロス(※)

無休・夏期8:00〜19:00・冬期8:00〜17:00
エフェソスは、アポロンと双子の女神アルテミスArtemisを祀った街でもありました。街中にあるアルテミス神殿は広大なものだったそうですが、今 では ごろごろと崩れた石材が転がる空き地に、円柱が一本残っているばかりです。考古学博物館には特異な姿をしたアルテミスの像が展示されています。
この女神はアナトリアの地母神キュベレと習合した女神と考えられています。確かにここのアルテミス像を見ると、ギリシア神話の女神とはだいぶ違った印象を 受けます。胸の周りにたくさんついている房状のものは、豊穣、多産を意味する乳房や牛の睾丸を表すといわれていましたが、現在の考古学の世界では女神がま とう衣服の装飾とみなすのが一般的なのだそうです。
もう一体ある小さいアルテミス像には、胸元に黄道十二宮のシンボルが彫られていました。かつてこの地にさまざまな宗教、文化が混在していた様子がうかがわ れます。



  ガラス製品(※)



  (※)



  壁の装飾(※)

メナンドロスMenandros (BC342-292/291)はアテナイの喜劇作家。ちょうどヘレニズム時代の人物ですが、この像は4世紀のものです。当時のアテナイでは、ディオニュ ソスの大きなお祭が定期的におこなわれていました。お祭ではさまざまな出し物があり、演劇のコンペティションなども催されていましたが、メナンドロスはそ こで数々の賞を獲得しています。
他にも信じられないくらいよい状態で保存されているガラス製品や巨大な石像、小さなキューピッドの像など、非常に充実した博物館です。中庭には出土品が無 造作に置かれていてびっくりします。もっともこういうワイルドな展示の仕方は、トルコの他の博物館でも多く見られます。発掘物がたくさんありすぎて、館内 に全部収まりきれないのかもしれません。何ともぜいたくなことですね。〈2010.7.26.〉



  ヒエラポリス  Hierapolis 


霞たなびく石灰棚

霞たなびく石灰棚(※)

自然が生み出した石灰棚と、広大な古代都市遺跡が隣接するパムッカレ。
かつてはかなりの範囲に渡って石灰棚のなかを歩けましたが、現在は保存のため立ち入り可能なところは限られています。温泉がひたひたと流れている印象です が、わたしたちが歩いたところはところどころ乾いていました。流すお湯の量を調節しているそうです。温泉は思ったより冷たいし、おまけに石灰の石畳のうえ を裸足で歩くと相当痛い。足裏刺激効果満点でした。

野外劇場

 野外劇場。彼方に光っているのは石灰棚 (※)

糸杉の並木道
 
糸杉の並木道(※)

ネクロポリス
 
ネクロポリス(※)

ヒエラポリスは「神聖な都市」の意。1世紀から2 世紀頃の街が残されています。
街全体の規模もさることながら、街の外の北西に広がるネクロポリス( Necropolis 死の街)が圧巻。ここはアナトリア最大規模の墓地遺跡です。さまざまな様式の墓標が並んでいます。夕闇迫るころ、誰もいないお墓の間を歩いていると、その へんからひょいと何かが現れてきそうな雰囲気でした。〈2009.7.26.〉



 


ヒエラポリス入口(※)



  大浴場跡(※)

月曜休館・夏期8:00〜19:00・冬期8:00〜17:00
石灰棚を抜けて遺跡が沈んでいる温泉プールに行く途中に、ヒエラポリス考古学博物館があります。
この博物館は、ローマ時代の大浴場を修復して1984年にオープンしました。ヒエラポリスやラオディケイアLaodiceia(現・デニズリ南西にあるエ スキヒサルEskihisar)などの出土品が展示されています。



レリーフが美しい石棺(※)



トルソ(※)



  トリトン像(※)

こじんまりとした博物館ですが、とても状態のいい石棺や大理石像といったヘビー級のものから、装飾品、ガラス製品、コインなどの小さなものまで、貴重なコ レクションが並んでいます。大理石像はおもにローマ時代のもの、小さな展示品は青銅器時代からヘレニズム、ローマ、ビザンチンを経てオスマン時代のものま で。
これだけの長い時間をかけてこの地の文化がさまざまに変転していったことを思うと、いつもある種の感動を覚えます。おまけにそれがローマ時代の建造物のな かに展示されていて、しかも一歩外に出れば自然の作り上げた景観と古代都市遺跡が広がっているのです。博物館としてこれ以上ないくらい絶好のロケーション ですね。
トリトンはギリシア神話の海の神さまポセイドンの息子。上半身は人間、下半身は魚という姿で表現されるのが一般的です。いってみれば人魚みたいなもので しょうか。とはいえ、筋骨隆々の肉体に魚というよりも海蛇みたいな尻尾がくっついていて、おまけにそれがうねうねとうねっているという、なんとも迫力のあ る姿をしています。ヨーロッパの街角にある噴水の装飾でもよく見かける姿です。たいてい頬を大きくふくらませて法螺貝を吹いていたりしますが、このトリト ンはいったいどんな顔だったのかなあ、と何だか気になってしまいました。〈2010.7.26.〉



  アイドゥン Aydın







大通り







路地の商店街



コーヒーの粉を売る店

アイドゥンはエフェソスからパムッカレに 向かって車で1時間足らずのところにある街で、トルコ語で「明るい、賢い」という意味の通り、さんさんと日が降り 注ぐ明るい街です。この街を県都とするアイドゥン県は、エーゲ海沿岸のリゾート地クシャダスから東はパムッカレの少し手前あたりまで、暴れ川として有名な メアンドロス川(大メンデレス川)に沿った肥沃な地域に広がっています。県全体の人口は約104万人、県都は約27万人(いずれも2014年)。

典型的な地中海性気候で、夏は乾燥して気温が高く、冬は温暖です。いたるところにオリーブやいちじくの樹が茂っています。アイドゥン出身の知人の家にはオ リーブオイルの圧搾機があり、彼のお祖父さんは自宅で作ったオイルしか口にしなかったという話を聞きました。この地方は良質のオリーブオイルやいちじくの 一大産地で、「スミュルナ(イズミール)のいちじく」と称して世界各地に輸出される高級ドライいちじくは、実はここアイドゥン産のものだそうです。
古来より東西交易の盛んな土地で、イランやシリアといった東方からの物品がここに集まり、この地方で採れた穀物などとともに、当時エーゲ海に面していたミ レトスの港からギリシアやエジプトに運ばれました。このあたりには紀元前7000年ごろから人が住んでいたとされ、実際にアイドゥン県にはエフェソスを始 めとしてミレトス、プリエネ、ディディマといった名だたる遺跡がひしめいています。

県都のアイドゥンはとくに観光地というわけではなく、ガイドブックにもあまり取りあげられていません。しかし街の北側に、カリアやリュディアに属していた 古代都市トラレスの広大な遺跡があります。現在は鉄道の駅を中心に北側が旧市街、南側が新市街、西側はさらに新しく開発された地域といった感じでしょう か。駅が街の中心にあるので、鉄道で移動する際も便利です。
街の大通りは、南国特有の開放的な雰囲気にあふれています。2015年6月に訪れましたが、日射しが強烈で日中の暑さは30℃を優に超えていました。



キュルリエ



商館



ジャーミー



古い水飲み場



霊廟



ハマム?





趣のある廃屋



現役民家



資料館



展示室

旧市街には多くの歴史的建造物があります。ナスフ・パシャ・キュルリエ Nasuh Paşa Külliyesi は1708年建設、2007年に改修されました。キュルリエとはジャーミーに附属する神学校、ハマム、商館などの総合施設のことです。二階建ての木造校舎 が、中庭中央にある水場をぐるりと取り囲むように建っています。木造建築が日本の昔の小学校を彷彿とさせます。キュルリエの一部であるジンジルリ・ハン Zincirli Han (商館)は修復中でしたが、2015年の9月に工事が終了したということです。
ジハンオール・ジャーミーCihanoğlu camii は1756年建立、2004年に修復されました。近くにはもう使われていない水飲み場(チェシメ)や、14世紀に建てられたままのアリハン・ババ・イスマ イル廟Alihan Baba İsmail Türbesi、屋根にぺんぺん草が生えているハマム跡なども。
歴史を感じさせる民家も見かけます。建築様式や色合いに、他ではあまりない独自なものを感じます。アイドゥン市の商工会議所が運営する歴史文化資料館( カフヴェジ・ビラール・アー・コナウKahveci Bilal Ağa Konağı )は、1924年から1930年の間にハンガリー人によって建てられた家を改修して、2007年に開館したものです。トルコの資料館というとオスマン時代 の展示物が圧倒的に多いのですが、ここでは共和国以降1950年代までのモダンなドレスなどが展示されていました。



アーケードのある商店街





八百屋いろいろ



ハーブや天然石鹸を扱う伝統的な薬局



フローズンドリンク



ラフマジュン(薄焼きピザ)



ラフマジュン調理人

街の中心部にはいろいろなお店がひしめいています。物価はイスタンブールより2、3割ほど安いようで、とりわけ野菜や果物は新鮮でバカ安。ちょうどラマザ ンの最中だったこともあり、暑い日中は人出もまばらですが、夕方涼しくなってくるとにわかに活気づき、夜遅くまで人通りが絶えません。大学がある街のせい か、メインの通りでは若い人たちのライブパフォーマンスもあり、夜更けまでにぎやかです。
街の人々は気さくで、あちこちで話しかけられます。イスタンブールのように外国人と見ると物を売りつけようとすることもなく、単に東洋人の旅行者がめずら しいから声をかけてくるようです。オープンで住みやすそうな印象を受けます。いわゆる「観光地」ではない普通の街の良さでしょうか。



さまざまな塩や穀物



仔羊串焼き



市のゴミ箱



モダンな駅舎



陸橋から眺めたホーム



列車



運転席の風景

繁華街には、特産のオリーブといちじく、そしてこの地方に伝わる民族舞踊のモティーフが描かれたゴミ箱が置いてあります。写真を撮っていると、地元の人か ら「こんなものが面白いんですか」などと言われてしまいました。
駅舎は比較的新しくできたようで、なかなかモダンなデザインです。これはイズミール、イズミールの空港、エフェソス、デニズリを結ぶ路線で、観光にも便利 です。空港からアイドゥンまで1時間半程度。とはいえトルコの鉄道は大幅に遅れることが多く、わたしが乗ったときは2時間半もかかりました。
車両はエアコンが効いていて快適、車両内に大型の液晶画面が据え付けられ、自然をテーマにした番組や大人が見てもくすっと笑えるショートアニメなど、独自 のプログラムが放映されています。運転席と客席を隔てるドアがなく(あったのかもしれませんが解放状態)、運転中の様子がそのまま見えるのには驚きまし た。しかし、車掌が客席の下にあるコンセントを使って電気ポットでお湯を沸かし、お茶を飲み始めたのにはもっとびっくりしちゃったのでした。 〈2015.10.29.〉



  トラレスTralles;Tralleis



ギムナジウム









公衆お手洗い



釜戸や水道管が残る飲食店

トラレスはアイドゥン市の北部、メソギス山(現ケスターネ・ダーウ Kestane Dağı )中腹にある遺跡です。トラレスという名前は、古代ギリシア時代のトラキア人がこの地に街を興したことに因むという説や、ここを占領したアマゾネスの名前 から採られたという説もあります。
この街はヘレニズム時代に繁栄を極め、セレウキア(セレウコス朝時代)、アントニア(ペルガモン王国時代)と名前を変えてきました。前26年の地震で街は 崩壊しましたが、ローマのアウグストゥスが再建したことからカエサレアと呼ばれるようになります。ローマ、ビザンティン時代を経て、13世紀末にセルジュ クトルコに支配されます。しかしその後の地震で街は修復できないほど被害を受けたため、人々はここを離れて山の南側の斜面に移住しました。新しい街は14 世紀にアイドゥン候国の領土となり、15世紀オスマントルコの支配下に置かれます。現在のアイドゥンという名前は候国の名前に由来するものです。



コリント様式の柱頭



武器庫



南に広がるアイドゥンの街





遺跡に咲く花

発掘された遺跡はヘレニズム時代以降のもので、ローマ時代のギムナジウム、公衆浴場、アゴラ、住宅などが見られます。かなり規模は大きく、エフェソス簡略 版という感じです。ギムナジウム近くに巨大な公衆お手洗いがありました。何と一度に65人が用を足せたそうで、この大きさはエフェソスの比ではありませ ん。アナトリアにあるローマ遺跡のなかで最も広い部類に入るということです。少し離れた場所には、野外劇場や競技場もあるようでした。
また、ここでは1882年に「セイキロスSeikilosの墓碑銘」が発見されました。アイドゥン・イズミール間の鉄道建設時のことです。これは世界最古 の楽譜が刻まれた墓碑で、前2世紀から後1世紀の間にセイキロスが妻エウテルペのために建てたと考えられています。
楽譜といっても歌詞に旋律を表す記号が刻まれたもので、「おたまじゃくし」がある現在の楽譜とはだいぶ様子が違います。「生きている間は輝いて/けっして 嘆き悲しまないで/人生は短く/そして時は終わりを求める」といった歌詞に、古代ギリシアのフリギア旋法によるメロディがついています。この墓碑はさまざ まな経緯を経て現在コペンハーゲンの国立博物館が所蔵しており、トルコはデンマークに返還を要請しているということでした。
イスタンブールにあるアヤソフィアの設計に携わった数学者・ 建築家のアンテミオス Anthemius (474年-534年)や、前1世紀ごろに活躍した彫刻家アポロニオスApollonios などもトラレスの出身です。アポロニオスは、ナポリ国立考古学博物館にあるローマ時代の模作「ファルネーゼの雄牛」の原作者と伝えられています。 〈2015.11.29.〉






博物館入口



館内の様子



アイドゥン県にある遺跡の地図



ニュサ出土



トラレスのエロス像

月曜日休館・9:00〜17:00
アイドゥン考古学博物館は1959年にコミュニティセンターの一部として開設され、独立した博物館となったのが1973年、その後2012年に現在の場所 に移転しました。以前は駅の近くにあったようですが、今は駅から3キロほど東に行った街はずれにあります。
新しいだけあって、実に立派な博物館です。何よりも質の高い収蔵品の素晴らしさに圧倒されます。それもそのはず、アイドゥン県にはトラレスを始めマグネシ ア、ニュサ、アラバンダといった古代ギリシア・ローマ遺跡がひしめいており、ここにはそれらの出土品が集まっているからです。遺跡略図を見ると、大メンデ レス川(マイアンドロス)やチネ川など、川沿いに多くの古代都市があったことがわかります。
照明は全体にやや暗めですが展示品が美しく見えるように計算されていて、それぞれの解説も丁寧で申し分ありません。玄関には世界最古の楽譜とされる「セイキロスの墓碑銘」にある歌詞が掲げられています。



彩色テラコッタ



トラレスのガラス製香油瓶



アラバンダ出土の装飾品





甕の注ぎ口

館内は8つの地域別エリアの他、彫像、コインの部に分かれています。館内中央にはオルトシア出土の巨大なモザイクの床が広がり、橋を渡して上から見られる ような工夫もされていました。トラレスのネクロポリスから出土されたテラコッタ像はヘレニズム時代のもので、トルコ国内でも最高の状態にあるそうです。ニ ケ像や空をひらひらと飛び回るようなエロス像には、きれいな色が残っています。
アラバンダのベルトと髪留めは、それぞれヘレニズム時代とローマ時代のもの。柔らかな光を放つ黄金が魅力的です。



子供とイルカ像



マグネシア出土のサテュロス像



パンイオニオンの出土品



パンイオニオン



博物館中庭

ギリシア神話に登場するサテュロスはディオニュソスの眷属で、森に住む精霊といわれています。半人半獣の姿で描かれることが多いのですが、マグネシアのも のはほぼ人間の姿のようです。奇妙な笑い顔が印象的。
パンイオニオンは都市というよりも、前7世紀ごろイオニア同盟に 加盟する12の都市が共同で設けた聖域です。加盟国はここに海の神ポセイドン・ヘリコニオ スを祀り、「全イオニア祭(パンイオニア)」を執り行っていました。別の時にその近くを通ったので寄ってみましたが、松林のなかに劇場とおぼしき遺構がわ ずかに残っているだけでした。〈2016.1.13.〉



  ニュサNysa





広々としたアゴラ



野外劇場



劇場遠景



劇場のレリーフ

アイドゥン市から東へ30キロほど行った山のなかに、カリアの古代都市ニュサがあります。ちょうどスルタンヒサールSultanhisar という町の北側です。ニュサはヘレニズム時代の紀元前3世紀ごろ興った都市で、交通の要所であったことからローマ、ビザンティン時代にかけて非常に繁栄し ました。とりわけここは文化教育が盛んな街で、地理学・歴史学者のストラボンStrabo(前63年ごろ〜後23年ごろ)は黒海地方にある故郷のアマスヤ からこの地に移って教育を受けたということです。
この遺跡の特徴は何といってもその立地でしょう。普通は山の中腹や頂上など見晴らしの利く場所に街を築きますが、ここは急な渓谷の両岸にわたって街が拓か れています。水害に対処するための治水システムも発達していました。
遺跡は広い範囲で両岸に点在しており、全体としてはかなりの規模になります。現在も発掘が進められているので、まだまだ新しい発見が期待されるところで す。

約8800席を持つ野外劇場は保存状態がとてもよく、舞台奥の壁にディオニュソスの一生を描いたレリーフが彫られています。ただしこれはレプリカで、オリ ジナルはアイドゥン考古学博物館に保管されているということです。
ディオニュソスはゼウスの腿から生まれた後、密かに「ニュサ」で育てられたという神話があるように、この地はディオニュソスと深いつながりがあると考えら れてきました。ディオニュソスという名前には「ニュサの神」という意味もあるそうです。「ニュサ」と呼ばれる場所は古代ギリシア世界にいくつかあり、本当 の「ニュサ」がどこだったのか諸説ありますが、ここもそのうちのひとつとして「マイアンドロス(メンデレス)川のニュサNysa on the Maeander 」と呼ばれています。







さまざまな遺構



約700席ある議事堂



トンネル



3万人収容可能な競技場と橋



2世紀に建てられた図書館



ギムナジウム

劇場の右脇を舗道からそれて下っていくとトンネルがあり、通り抜けられるようになっていました。ローマ時代の橋も3つ残っており、治水に関する建造物が充 実していたことがわかります。競技場は渓谷の両岸にまたがるようにして作られていて、実にユニーク。斜面を利用した観客席の一部を見ることができます。
劇場から左手の丘を登っていくと図書館があります。付近では広い石畳の道路も発掘中で、エフェソスの ようにこの図書館も街の中心にあったようです。図書館 がある遺跡は意外と少なく、トルコではエフェソスのケルスス図書館の次に保存状態の良いものだとされています。
劇場、競技場、図書館、ギムナジウム、複数の公衆浴場とそろっていて、たいへん充実した遺跡です。この街が文化的なことがらや教育に熱心だったということ もおおいにうなずけるのでした。

これほどの遺跡ですが、周囲には民家も何もありません。松やオリーブの茂みばかりです。規模の大きい遺跡にはカフェや売店などが併設されているものです が、それもまったくなし。かろうじてお手洗いだけはありました。夏場に見学する際は日射しが強く気温も高くなるので、くれぐれも帽子、サングラス、水、栄 養補給できるものをお忘れなく。〈2016.2.6.〉



  アフロディシアス  Afrodisyas (Aphrodisias)





テトラピロン



アフロディーテの神殿



野外劇場



イオニア様式



北のアゴラ



南のアゴラ

無休・夏期8:00-19:00・冬期8:00-17:00
アフロディシアスの遺跡は、ニュサのあるスルタンヒサールからさらに幹線を東へ40キロほど行き、そこから南へ 25キロ入ったあたりにあります。石灰棚で有名なパムッカレにかなり近いところです。ここはとても 大きな遺跡で、主要な遺構が2キロ四方にまとまっています。街としては前6世紀ごろからあったと考えられていますが、現在見られる遺構はそれより後のもの です。
アフロディシアスという名前の通り、この地では美と性愛の女神アフロディーテの信仰が盛んでした。街の入口にはアフロディーテ神殿へと続く門、テトラピロ ンがそびえ立ち、宗教的な儀礼に使われたとされています。建造は2世紀ごろで、現在の形に修復されたのは1991年のことでした。
神殿は前1世紀に建立され、後2世紀に拡大、5世紀から12世紀にセルジュクトルコに支配されるまでは教会として使われてました。前1世紀に造られた野外 劇場は1万人収容という堂々たるもので、非常によい保存状態です。街の中心部には北と南に分かれた広大なアゴラが横たわっています。この街は最大時で人口 1万5千人だったと考えられており、活気ある当時の様子がしのばれます。残念ながらこの時は発掘調査中で、アゴラ内部に立ち入ることはできませんでした。



議事堂



ハドリアヌスの浴場





フラグメント



競技場



セバステイオン



移動バス?

2世紀建造の議事堂や広々としたローマ風呂も、いい状態で残されています。スタジアムは楕円形のトラックと、それをぐるりと取り囲む30列の観客席がはっ きりと見られます。約3万人収容、トラックは225m×30mという規模です。ここはギリシアのデルフォイにある競技場よりも大きく、地中海世界ではもっ とも保存状態がよいもののひとつとされています。
セバステイオンは神格化されたローマ皇帝を祀るための一種の神殿で、それに連なる庭とともに聖域とされていました。かつては廃墟でしたが、1970年代の 調査で周辺から膨大な数のレリーフが発掘され、現在の形に修復されました。三層になった建物の外壁には190もの大理石のレリーフが刻まれていたというこ とです。いずれもギリシア神話や皇帝の偉業を表したもので、オリジナルは敷地内のアフロディシアス考古学博物館に展示されています。

国道沿いの駐車場から遺跡入口の切符売り場まではやや距離があり、トラクターに馬車の荷台をつけたような牧歌的な車で移動することもできます。周囲に民家 はありませんが、駐車場付近にカフェや食堂、土産物店が。遺跡の敷地内にもカフェやミュージアムショップ、ギャラリーなどがあり、休憩できるようになって います。時間をかけてゆっくり見学したい遺跡のひとつです。暑い時期に訪れたので、見終わった後にカフェで味わったフラッペも最高でした。 〈2016.6.1.〉






アフロディシアス博物館



セバステイオン・ホール



ネロと母親のアグリッピナ



三美神



アフロディーテ







完成度の高い彫像群

無休・夏期8:00〜19:00・冬期8:00〜17:00
アフロディシアス遺跡の敷地内にある博物館です。1979年開館。この博物館の収蔵品はすべてこの遺跡で発掘されたもので、だいたい前1世紀から後5世紀 ごろまでのものが中心となっています。膨大な数のレリーフや彫像が一堂に並んでいる様子は圧倒的です。街の遺跡と出土品をほぼ同時に見られるので、どの場 所にどんな彫刻が置かれていたのかがよくわかり、当時の街の情景を生き生きと感じとることができます。
アフロディシアスは優れた彫刻家を輩出したことで有名で、一連の作品は「アフロディシアス派」と呼ばれ後世に大きな影響を与えたといわれています。街のす ぐ近くで、彫刻の材料となる良質の大理石が潤沢に採れたことが関係しているのかもしれません。

館内は歴代皇帝の像を集めたホールや、悲劇を司る女神メルポメネ・ホール、アキレスとペンテシレイアのホールなど、ギリシア神話の神々の名を冠したセク ションに分かれています。セバステイオンの外壁を飾ったレリーフを一気に展示したホールが圧巻です。
街の由来となったアフロディーテの彫像は、アフロディーテ・ホールに置かれています。後2世紀のもので、議事堂に安置されていたということです。しかしこ れは、わたしたちが普通思い浮かべる「美と愛の女神」とはまるで違う姿をしています。もっと古色というか、どちらかというとエフェソスのアルテミスに似ているようです。この地方ではアフロディーテやアルテミスは地母神と 結びつけて考えられていたそうで、古代の神々がさまざまに混淆している様子がうかがえます。胸のあたりに見えるのは、アフロディーテに仕える三人の美神 (喜び・優美・無垢)が踊る姿です。



二面の胸像



ソクラテス



クセノフォン





中庭

興味深い彫像がありました。ひとつの彫像に2つの顔がついています。片方はソクラテス(前469-399)で、もう一方はソクラテスの弟子のクセノフォン (前427ごろ-355ごろ)というものです。先生と弟子をひとつの像で表現するという発想がなかなかユニーク。
展示品はどれも保存状態が素晴らしく、見応えがあります。どのセクションも照明や配置などが工夫され、解説も丁寧です。遺跡そのものと相まって、非常にレ ベルの高い博物館だという印象が強く残りました。〈2016.7.14.〉










野外劇場





客席階段部



貴賓席



通路

無休・夏期8:30〜19:00・冬期8:30〜17:00

エフェソスのあるセルチュクから南下すること約40キ ロ、 マイアンドロス(ブユック・メンデレス)川の河口近くにリディアの街ミレトスがあります。この街 の歴史は古く、前13世紀ごろにはすでにクレタ人が住んでいました。クレタはエーゲ海最南端の島で、ミノア文明が興った場所です。
ミレトスはエーゲ海に突き出した半島の街であったため前7世紀には貿易港として大いに栄え、古代イオニア最強の都市国家と目されていました。黒海沿岸地方 を初めとして各地方に60もの植民都市を作り、当時の一大先進的文化都市だったことが伝えられています。

ここはギリシア哲学発祥の地でもあります。ギリシア哲学というとまずソクラテス(Socrates 前469年頃〜前399年)が思い浮かびますが、それ以前にタレス(Thales 前624年頃〜前546年頃)やアナクシマンドロス(Anaximandros 前616年頃〜前546年頃)といった哲学者たちがミレトスにいました。それまではこの世界にあるものは神話に基づいて説明されていましたが、彼らは万物 の根源を自然界にあるもの、「水」や「火」、「無限なもの」などのうちに見出そうとしました。この一派がミレトス学派で、この地方に生まれた一連の思想は イオニア自然哲学と呼ばれるようになりました。

前5世紀にペルシアによって街は破壊されましたが、前334年アレクサンダー大王に開放されて再建され、ヘレニズム時代、ローマ時代を通じて再度興隆を極 めます。しかしやがて土砂が堆積して海が埋まり港が機能しなくなったため、後6世紀に衰退してしまいました。現在は海から10キロほど内陸に位置していま す。





イオニア式ストア(列柱廊建築)







さまざまな遺構



街の大通り



かわいらしいミュージアムショップ



カフェ兼食堂



マイアンドロス川

堂々とそびえ立つ野外劇場が印象的です。平地に造られたローマ様式の劇場で、1万4500人収容という立派なものです。街の南東に向かって客席が広がり、 港から街に上陸する際には一番最初に劇場が目に入るようになっていました。そのためこの港は「劇場の港」と呼ばれていたそうです。素晴らしい保存状態の劇 場で、階段脇の客席下にライオンの足の形をした装飾や、貴賓席も残っています。1世紀の建造。客席から舞台を見渡すと、その向こうにかつて海だった平野が 広がっています。当時どれほど華やかで活気に満ちた街だったのかが思い起こされます。

かなり広い敷地です。劇場近くの港の他に街の北西にも港があります。そのあたりは湿地帯のようになっていて足場が悪く、遺構に近づけないこともあります。 白く輝くイオニア式ストア、公衆浴場、アゴラ、神殿、スタジアムなどが敷地内に点在しています。いずれも1世紀から2世紀に造られたものです。街は規則正 しく碁盤目状に道が走っていましたが、現在は大通りの一部しか残っていません。起伏のある野原をさまよってそれぞれの遺構にたどり着くという感じです。

小さなミュージアム・ショップとカフェ兼食堂が併設されています。周辺には何もないので、休憩所があるのはありがたいことです。遺跡近くのマイアンドロス 川はギリシア神話にも名前が出てくる川なのに、トルコ語で「大メンデレス川」と呼ばれるほどなのに、妙に小さい川で半ば拍子抜けしてしまいました。 〈2017.8.13.〉






ミレトス博物館



展示室



オケアノス



アポロン



スフィンクス



椅子に座る巫女の像

無休・夏期8:30〜19:00・冬期8:30〜17:00

ミレトス遺跡の近くに博物館があります。収蔵品はミレトスで発掘さ れたものの他に、ここから25キロほど北にあるプリエネ、南に約20キロのディディマか らの出土品です。1973年に開館し、2007年から2011年にかけて改築され、現在に至っています。
オケアノス像は2世紀に建造されたフォスティナの大浴場に置かれていたものです。オケアノスはギリシャ神話の海神で、オリュンポスの神々より古い神々の一 族に属します。彫像はこの神の性質から浴場や泉など水にかかわる場所に置かれることが多く、上体を起こして横たわる姿で表現されます。
ミレトスはまた、アポロン信仰の盛んな土地でした。アポロン神殿から出土したアポロン像は、この神がイルカに姿を変えたという神話に関連して「アポロン・ デルフィニオスApollon Delphinios」とも呼ばれます。この街ではアポロンを祀るため、年に一度「聖なる道」を通ってディディマにあるアポロン神殿まで行進をするという 宗教儀式が行われていました。その道の両側にはテラスのある建物が並び、スフィンクスや巫女の像などで飾られていたということです。



  アフロディーテの聖域から出土



  クーロス



プリエネ出土品





中庭

鬼瓦のような陶板は、美と愛の女神アフロディーテの聖域からの出土品です。クーロスは直立青年裸像とも呼ばれ、前7世紀から前5世紀のアルカイク期に多く 造られました。この像に頭部はありませんが、その顔に神秘的な「アルカイク・スマイル」を浮かべていたことでしょう。両腕をまっすぐ下におろし、左足をや や前に出した姿が一般的です。プリエネにあるアテナ神殿から出土したライオンのフラグメントは、列柱上部にある梁の最上段(コーニス)を飾っていた連続的 な装飾の一部。ライオンのモティーフはこの地方でよく見られます。

小さいながらも見応えのある博物館です。新しいだけあって照明や解説などに工夫があり、展示物もたいへん見やすくなっています。大型の彫像の背後にはそれ が置かれていた状況を図で示してあるので、当時の様子がよくわかり、説得力あるものとなっていました。〈2018. 2. 17.〉






入場門



かつて海だった平地を望む



整った城壁



緻密な都市計画



アテナ神殿



イオニア様式



議事堂

無休・夏期8:30〜19:00・冬期8:30〜17:00

ミレトスから25キロほど北に位置するプリエネは、イオニア同盟 12都市のひとつとして紀元前4世紀に栄えた古代都市です。この街は、同盟に参加する諸都 市が共同で祀っていた聖域パンイオニオンを管理していたことで重要視されていました。
前1000年ごろギリシアのテーベからやってきた入植者が街を興したとも、それ以前にカリアの人々が住んでいたともいわれ、街の起源の詳細ははっきりしま せん。前7世紀ごろからペルシアなど他民族の圧迫に苦しみました。度重なる地震(一説には川の氾濫とも)で街が崩壊したため、前4世紀に現在の遺跡がある ミュカレー山麓南側の斜面に再建されました。最初に街があった場所はよくわからず、おそらくここから数キロ北にあったのではないかと考えられています。
再建されたプリエネはマイアンドロス川の河口にあり、ちょうど海をはさんで向こう側にミレトスを望む港湾都市でした。その後ペルガモン王国などに占領さ れ、前129年ローマの属州となります。
湾はやがて土砂が堆積して海が後退してしまい、現在はエーゲ海から20キロほど内陸部にあります。海抜380メートルの高台にある街の南にはギムナジウム と競技場跡があり、ミレトスからプリエネにかけてかつて海だった場所に平らな土地が広がっているのを見ることができます。

ヘレニズム時代のもっとも美しい都市計画のひとつと称される街で、素晴らしい保存状態です。背後にあるミュカレー山が土砂崩れを起こして街がすべて埋まっ てしまったため、18世紀から19世紀にかけて発掘された時はそっくりそのままの形で出土されました。街を囲む城壁は全長2.5キロ、最盛期には約 6000人が住んでいたと推定されます。
巨大なアゴラを中心に、街のなかを規則正しい碁盤目状の道が走っています。これは前5世紀ミレトス出身の建築家ヒッポダモスHippodamosによる都 市設計をさらに発展させたものです。ミレトスもヒッポダモス設計の街でしたが、現在のミレトス遺跡にはこれだけ緻密な通りや町並みは残されていません。



野外劇場



貴賓席



劇場舞台裏の通路









さまざまな遺構

アゴラの近くにアテネ神殿があります。前335年、アレクサンダー大王がここを訪れて寄進したものです。アクロポリスを背景にそびえ立つ5本のイオニア式 列柱が印象的です。神殿の設計は、この街の出身で前353年ごろ活躍した建築家ピュティオスPythios。ピュティオスは古代世界七不思議のひとつ、ハ リカルナッソス(現ボドルム)のマウソロス廟の設計者でもありました。この霊廟は前353年以前に着工され、前350年より後に完成したと伝えられます。

街の北東にあるヘレニズム様式の野外劇場もよく保存されています。オリジナルは街が再建された前4世紀の建造ですが、その後数回にわたって改修、拡張さ れ、最終的に6500人収容の劇場となりました。ライオンの手足つき貴賓席や、舞台裏の通路など興味深いものがあります。
議事堂は前150年の建造で640人収容。住居や商店などの他に、神殿や聖域が多いことに気づかされます。それほど広くない街の中心にアテネ神殿、ゼウス や医術の神アスクレピオスの聖域が置かれ、東側にイシスやセラピスといったエジプトの神々の聖域、北側に地母神デメテルとその娘で冥界の女王となったペル セポネを祀った聖域があるのです。エジプトの神々を祀ったというのも意外で、この街が古くからエジプトと交易があり、関係が深かったことを示しているので しょう。

こぢんまりと整った遺跡で、かなり歩きやすくなっています。松の茂みの間を縫って遺構が次々と姿を現すという感じが素敵です。売店やカフェなどがあるとい う情報もありましたが、残念ながらこの時は見当たりませんでした。〈2018.2.17.〉






  壮大なアポロン神殿



そびえたつイオニア式列柱



神殿内部の聖所



聖所にある祭壇跡



聖所への出入口



通路

無休・夏期8:30〜19:00・冬期8:30〜17:00
ディディマはミレトスの南約20キロの海岸近くにある遺跡です。現在トルコでディディムDidimと呼ば れる街の北部に、古代ギリシア世界の最大にして もっとも重要だったアポロン神殿が残されています。
ここにはイオニア人が定住する以前から地神の信託所があり、その後紀元前8世紀ごろからアポロン神殿の建造が始まりました。ディディマはかつてディディマ イオンDidymaionと呼ばれており、これがギリシア語で「双子」という意味から、アポロンと双子の女神アルテミスが祀られていたという説がありま す。アルテミス信仰は、この街から北へ50キロほどの場所にあるエフェソスで盛んでした。ま た、アルテミスはアナトリア起源の地母神キベレーと混淆した女 神とみなされることから、アポロン以前の信託所に祀られていた地神はキベレーと関係するのではないかと考える文献学者もいます。一方でディディマイオンの 語源はギリシア語ではなく、この地方に古くからあるカリア語だという見解もあり、このあたりの事情はやや錯綜しているようです。

当初の神殿は現在の規模より小さく、着工から2世紀近くを経て前550年ごろ完成しました。しかし前493年ペルシア軍によって破壊され、その後長く廃墟 のままとなっていました。前334年にアレクサンダー大王がこの地を解放した後に再建され、完成したのはローマ時代になってからの後2世紀ごろと考えられ ています。現在見られるヘレニズム様式の神殿はこの時期のものです。
アレクサンダーが神殿跡を訪れると、それまで枯渇していた聖泉から水が流れ出したという伝説があります。前300年ごろ、セレウコス1世がかつてここに収 められていたブロンズ製のアポロン像をペルシアから取り戻して奉納したということです。
神殿はビザンティン時代の5世紀に教会に転用されて使われ続けましたが、1453年の地震で崩壊してしまいました。

壮大な神殿です。全長108.5メートル、幅50メートルのヘレニズム様式の神殿で、現在は高さ20メートル、直径2メートルのイオニア様式の柱が3本 残っています。建設当時は全体で124本の柱が使われていました。アポロン神殿というとギリシア本土にあるデルフォイの神殿が有名ですが、デルフォイの神 殿は全長60メートル、幅23メートル。ディディマの神殿の方がはるかに大きなものでした。



グリフィンのレリーフ



解説パネルの神殿全体図



メドゥーサの頭



柱のモティーフ



周囲に広がる遺構



東側から見た神殿



南側に残る柱

設計したのは、エフェソスのパイオニオスPaioniosとミレトスのダフニスDaphnis。パイオニオスはエフェソスにある古代世界七不思議のひと つ、アルテミス神殿を設計した建築家でした。現在アルテミス神殿跡には柱が一本ぽつんと立っているだけですが、この神殿もとんでもない大きさで、全長 115メートル、幅55メートル、柱は127本あったということです。七不思議のひとつに数えられるのももっともだとうなずけます。

儀式が執り行われる神殿内の聖所には、建物の両側にふたつある狭い出入口を通って入ります。この聖域は一般人には解放されておらず、巫女や神官などごく限 られた人々しか入ることはできませんでした。大理石の厚い壁でおおわれた通路の天井に、ギリシア雷文が描かれているのがわかります。ギリシア雷文はこの地 方を流れる暴れ川マイアンドロス川に因む連続文様で、メアンドロス模様とも呼ばれます。四方を高い壁に囲まれた聖所には神託所や聖泉があり、その一番奥に アポロン像が安置されていたということです。

鷲の上半身とライオンの下半身を持つグリフィンのレリーフが聖所にいくつもありました。この神話上の動物は、天上の神々が乗る車を引くという役目を担って いるとされます。
神殿のまわりには地震で崩れた遺構が広がっています。メドゥーサはギリシア神話に登場する怪物の三姉妹ゴルゴンのひとりで、その姿を見た者は恐ろしさのあ まり石になってしまうと言われています。ギリシア世界でメドゥーサの頭のレリーフは魔除けとして使われていました。

強烈な印象を受ける神殿です。大きさと整った美しさに圧倒されます。柱などに施されたさまざまな装飾レリーフも保存状態が素晴らしく、細部に至るまで見飽 きることがありません。
遺跡は街中にあるため、すぐ近くにレストランや土産物店などが並んでいます。食事や休憩に便利です。ここから数キロ離れたディディムの海岸は「黄金の砂 Altınkum」という名前の美しい砂浜になっており、内外から多くの観光客が訪れます。遺跡ばかりではなく、こぢんまりしたリゾート地の雰囲気も味わ える魅力的な街だったのでした。〈2018.2.17.〉



ムー ラ Muğla
 


中央広場



街並み





オスマン様式の文化センター



センター正面玄関の天井



商店街

ムーラ県はアイドゥン県の南、西はボドルムから東はフェティエまで、エーゲ海沿いに1.000キロ以上の海岸線を持つ地域です。県下にボドルム、マリマリ ス、ダルヤン、フェティエといったマリン・リゾートの世界的観光地を抱え、夏にはヨーロッパからの直行便が頻発されることもあり、どこも観光客でにぎやか になります。
とはいえ、県都のムーラはやや内陸に位置し、特に観光地というわけではないため静かで落ち着いた雰囲気です。オスマン時代の家屋がきれいに修復されて、あ ちこちに見られるせいかもしれません。道路沿いには大きな街路樹が茂り、南国風の明るい日差しと乾燥した空気を感じます。トルコで初めて女性知事が出たと いうことで、地方都市にしては進歩的な側面もあるようです。
県全体の人口は988.877人(2014年)、ムーラ市は68.173人。観光業のほかに農業や林業がさかんで、県の特産は大理石や蜂蜜など。とくに松 の花の蜂蜜が有名ですが、これは独特な味と香りがあり好みが分かれるところです。
また、この地方は古代のカリアやリキアに属し、クニドス、カウノス、テルメッソスといった遺跡も多く点在しています。かつては交通の便がよくない地域だっ たので、それぞれの文化が混淆することなく残されていたそうです。



街一番と評判のキョフテ(肉団子)屋



本格炭火で調理



焼きたてキョフテ



付け合わせの揚げた青唐辛子



チャイバフチェ(青空喫茶店)



青果市場



季節の果物



花ガラつきヒマワリの種



詰め物用ズッキーニの花

遺跡巡りの途中にちょっとだけ街に寄りました。のんびりして暮らしやすそうな街という印象です。お昼にキョフテを頂きましたが、付け合わせに出てきた唐辛 子が半端じゃない辛さでびっくり。地元の人々はおいしそうにむしゃむしゃ食べています。この強烈な辛さがいいのだそうです。暑い地方の味覚でしょうか、イ スタンブールではあまりお目にかかれない辛さでした。
街の中心部に屋根付きの大きなバザールがあり、買い物客でにぎわっています。農業がさかんなだけあって、ぴかぴか元気いっぱいの野菜や果物が充実していま す。ヒマワリの種はトルコでスナックとして人気があり、普通はバラバラの種だけを量り売りにしたり、袋入りにして売っているものです。花についたままの状 態で並べているのは、新鮮さを強調したのか単なる手抜きなのか。ちょっとした発見でした。〈2016.8.29.〉






正面玄関



玄関脇の展示物



展示ケース



アルテミス



アフロディテとエロス



ヘルマフロディトス





テラコッタ像各種



埋葬者

月曜日休館・8:00〜17:00
ムーラ市の中心部にある博物館です。文化観光省のオフィスの一角が展示室になっています。こぢんまりしたきれいな建物ですが、元刑務所だった建物を改修し て1992年に開館しました。考古学の部屋、ローマ時代の剣闘士に関する部屋、博物学の部屋、民族誌の部屋に分かれています。
考古学の部屋には、ムーラ市から50キロほど離れたストラトニケアの出土品が展示されており、ヘレニズムから ローマ時代にかけてのものが中心です。いずれも小品ながら保存状態のいいものばかりです。
展示用ガラスケースとその中にひしめく展示品を見て、一瞬ひと昔前の博物館を思い出しましたが、よく見るとケースは新しいもので照明も工夫されています。 あえてノスタルジックな展示方針を採ったのかもしれません。とはいえ凝った照明がケースのガラスに反射して、展示物の写真を撮るのにひと苦労です。解説は 年代などについてやや不足がありますが、出土品に関する詳しいパネルもあって興味深いものでした。

膨大な数のテラコッタ神像は、アフロディテやニケといった神々への誓いの証として死者とともに埋葬されたと考えられています。他には日々の生活を描いたも の、人形や滑稽な姿の人物像なども多く見られます。埋葬者の性別や生前の職業を表すものもあり、たとえば演劇用の仮面は亡くなったのが役者だったこと示し ています。埋葬品とはいえ、死後の世界での生活やよみがえりという発想とは無関係だったようで、本来の目的ははっきりしないということです。
素朴な印象のヘルマフロディトス像がありました。ヘルマフロディトスは、美と愛の女神アフロディテと神々の使者ヘルメスの息子で、絶世の美少年でしたが、 ハルカリナッソスの泉で出会ったニンフと合体して両性具有になったと伝えられています。ハルカリナッソスは現在ムーラ県の有名リゾート地、ボドルムのこと です。この地方には昔からヘルマフロディトス信仰があったのかもしれません。この像にはかろうじて両性具有の特徴を見ることができます。





  グラディエーター部屋



博物学コーナー









中庭

剣闘士の部屋はハイテク装備で、ここだけものすごく費用をかけたような感があります。トルコの博物館にはめずらしく博物学の部屋もあり、規模は小さなもの ですがよく整えられていました。中庭は植物がきれいに手入れされ、大理石の展示物がうまく配置されています。愛らしく、たいへん気持ちの良い庭でした。〈 2016.9.25. 〉



  ストラトニケア Stratonicea









ギムナジウム



アゴラ?



議事堂



ゲート?

ムーラの街から北西へ約50キロ、ちょうどヤターアンYatağanとミラスMilas の中間あたりの幹線から北に1キロほど入ったところに、ストラトニケアの遺跡があります。前6世紀ごろリキアの人々がここに街を興し、後にカリアの街とな りました。
ストラトニケアという名前は、セレウコス朝のアンティオコス1世(在位前281-261年)の妻ストラトニケに由来します。彼女はマケドニア王デメトリオ ス1世の娘で、アンティオコスの父セレウコス1世の後妻でした。つまり、ストラトニケは父王と結婚した後、父王の死後義理の息子と再婚したというわけで す。
現在遺跡に残る建物の多くは、前2世紀のヘレニズム時代からローマ時代にかけてのものです。実際にこれらを作ったのは2人の息子のアンティオコス2世テオ スか、さらに後のアンティオコス3世ではないかと考えられています。

あまり知られていない遺跡ですが、行ってみて度肝を抜かれました。巨大な建築物が発掘復元の真っ最中です。ギムナジウムは前129年ごろの建造、後のロー マ時代に改修されました。1977年から始まったストラトニケアの発掘調査は、ちょうどこの建物の発掘から始まったそうです。
ギムナジウムは奥行き105メートル、幅180メートルという巨大なもので、この規模の街としては破格の大きさだと考えられています。古代世界で最大のギ ムナジウムです。現在修復が進んでいるのは北側の部分で、この南側にほぼ同じ大きさの棟があると推定されています。2枚目の写真に写っているクレーンや作 業する人の大きさを見ると、その規模が実感できます。







:発掘途中のフラグメント



ローマ風呂



野外劇場



貴賓席の名残



貴賓席に刻まれたレリーフ



舞台奥に置かれた石

議事堂は後1世紀、ローマ風呂は敷地内に3つあるお風呂のうちの1つで、2世紀のものです。これは南側に4つの温かいお風呂、北側に4つの冷たいお風呂、 他に少なくとも6つのサービスルームが、カリアの伝統にしたがってシンメトリーに配置されているということです。
発掘されたまま道端に置かれている大理石の山が延々と続き、その間を縫って広大な敷地の中を歩き回ります。かなりの部分がまだ調査中のせいか解説のパネル が少なく、何があったところをどういう具合に歩いているのかよくわかりません。

南のはずれに野外劇場がありました。自然の斜面を利用したギリシア様式の劇場で、21列の座席が比較的よい状態で保存されています。もとはヘレニズム時代 の劇場だったものが、ローマ時代に入って大幅に造り替えられました。約15000人収容。
客席にはレリーフの入った貴賓席が見られます。観客から見て舞台奥にある壁もローマ時代のもので、その台座のひとつに松かさとリボンのついた枝が彫られて います。これは演劇に関連するギリシア神話の神ディオニュソスが持つ霊杖ですが、この台座にどういう意味があるのかはよくわかりませんでした。



敷地内に実るザクロ



喫茶店



戯れる仔犬



オスマン時代のジャーミー



ジャーミー下の遺構





劇場上手に鎮座する神殿



神殿から見下ろす街の全景

遺跡の入口近くにシャバン・アー・ジャーミーがあります。オスマン時代のもので1876年に修復された後、全面的な改修が2015年の秋に終わりました。 わたしが訪れたのはちょうどその年の夏で、ほぼ修復が済んでいる頃です。建物の基礎部にある排水システムは古代のものということでした。
ジャーミーの近くに感じのいい喫茶店があり、休憩することができます。お店で飼っているのか、あたりに鶏や猫がいてにぎやかです。木陰の下に並んだテーブ ル席で冷たい炭酸水を飲んでいたら、放し飼いの仔犬が遊びに来ました。
喫茶店があるとはいえ、観光客が訪れる様子はほとんどありません。実際に敷地を歩いている間に見学者にはひとりも会わず、調査中の研究者と発掘作業員が炎 天下で仕事をしているばかりでした。遺跡見学の入場料を徴収されることもなければ、見学時間もはっきりわからないままです。発掘中の遺跡ではよくあること とはいえ、これほど規模の大きな遺跡が再現されつつある状態ではめずらしいことだと思いました。

野外劇場の上に神殿があると解説パネルに書いてありましたが、劇場の客席は上の方が整備されておらず登っていくことができませんでした。客席の左右に回っ ても足場が悪く、とても頂上までたどりつけそうにありません。残念に思いながら敷地を出て幹線に引き返す途中、「神殿」という小さな看板を見つけました。 そこから土手を登っていくと、ちょうど劇場の客席を登り切った奥にある神殿に出ました。ここからストラトニケアの全景が眺められます。
この神殿は当初ゼウスの神殿ではないかと考えられていましたが、その後の研究ではローマ皇帝アウグストゥスを祀ったものだとされています。

実にインパクトのある遺跡で驚きました。復元中の巨大建造物や、これから復元されるのを待つ膨大な数の柱や壁石。この街の全貌が姿を見せるのは、果たして いつになるのでしょうか。〈2016.9.25.〉



  ラギーナ Lagina



ラギーナ遠景





  ヘカテ神殿





儀礼に使われた門(プロピロン)



祭壇



祭壇付近

ラギーナはストラトニケアの北11キロほどのところにあり、ストラトニケアと同時代の前2世紀ごろの遺跡が残 されています。ここは人々が生活する街ではなく、祭祀を行うための聖域で、ストラトニケアから「聖なる道」が続いていました。平らな石を敷き詰めた道は、 現在も部分的に残されています。
聖域は神殿や祭壇を中心に、周囲をぐるりとストア(柱廊)が取り囲んでいます。宗教的な儀式が執り行われる際、人々はストアに佇んで儀式に参加したそうで す。敷地の入り口には儀礼的に使われた門があり、入場者はこの門を通って神殿に向かいました。前27年のものです。
ここの神殿には女神ヘカテが祀られていました。ヘカテを祀った神殿は他になく、その意味では非常にめずらしい聖域だといわれています。



ヘレニズム後期のストア







フラグメント

ヘカテは古代アナトリアのカリアまたはトラキア起源の女神で、前6世紀から前5世紀ごろにギリシア世界に入ってきたと考えられています。当初は海、地上、 天界で自由にふるまうことを許された神として、成功、豊穣、出産、浄めと贖罪をつかさどる地母神のような性格が強かったようです。時代が下るにつれ冥界と の関連が強まり、死の女神、魔術師の庇護者、霊の先導者ともいわれるようになりました。真夜中の三叉路に地獄の猛犬を連れて現れる、という禍々しいイメー ジが後世に伝えられています。

神聖な場所なので、他にめぼしいものはありません。キリスト教時代に神殿と祭壇の間に礼拝堂が建てられただけです。神殿の梁部分にあったフリーズには、ゼ ウスと巨人族との戦いやカリアの神々の姿が描かれており、現在イスタンブールの考古学博物館に展示されているということでした。
その性格からして小規模な遺跡ですが、当時の神聖な雰囲気が十分残されているように感じます。周辺には何もなく、風がびょうびょうと吹き渡るだけでした。 <2016.10.20.>



  ボドルムBodrum





ボドルム港



鮮やかな色



魔除けの目玉





街角



ペンションのプール



海沿いの散歩道







お土産やら何やら







花いっぱい

ムーラ県には世界的に有名な高級リゾート地、ボドルムがあります。輝く空と青い海、丘に立ち並ぶ白い家々、いたるところに咲き乱れる南国の花。エーゲ海、 夏のハイライトといった風情です。カフェ・ボスポラス で企画したツアーでも訪れたことがありました。
明るく開放的な雰囲気を求めて、毎夏欧米から観光客が大挙して押し寄せてくる街です。港からはギリシャのコス島までフェリーが運航しており、片道1時間足 らずの近さということもあって日帰りで往復する観光客も多くいます。ビーチ沿いの大型高級ホテルから小さなプール付きのペンション、長期滞在用のコンドミ ニアムまで、宿泊施設も豊富です。エーゲ海1日クルーズや各種マリンスポーツはもとより、夜はおしゃれなディスコやクラブ、バーが大にぎわい。ミック・ ジャガーのお嬢さんが経営するゴージャスなクラブなどもあるそうです。

今でこそきらびやかなリゾート地ですが、もともとここは小さな漁村でした。トルコの著述家でトルコ初の国内旅行ガイドブックを著したジェヴァト・シャキー ル・カバアーチュルCevat Şakir Kabaağaçlı (1886年〜1973年)がボドルムの魅力を発見し、現在に至ったといわれています。
街の中心部はそれほど広くなく、昔ながらの狭い路地や市場もあり、地元で生活する人々の様子を垣間見ることもできます。周辺の町も併せて人口は16万 4158人(2017年)。県全体の人口の17.4%を占めています。地方の人口が減りつつあるトルコですが、ボドルムは10年前に比べると6万人も増え ており、いまだに発展し続けている数少ない街のひとつです。









市場周辺



アーティチョークの前菜、ポテトとにんじん



スズキのグリル



庶民派レストラン



夕暮れ時



「ボドルムのバッハ」



コンサート会場



ステージの様子







夜の通り

海岸沿いや街の通りには土産物屋、ブティック、カフェ、レストランが並びます。日中は日差しが強くて暑いため、ホテルの部屋でのんびり静養するか、ビーチ やプールで水遊びをする人が多いようです。日が暮れて涼しくなってくると街はにわかに活気づき、みんな夜遅くまでどんちゃん騒ぎ、といった感じでしょう か。
屈指の観光地だけあって物価は高めですが、市場で売っている野菜や果物、魚などはイスタンブールより安くなっています。滞在していたペンションで教えても らったシーフードレストランはごちゃごちゃっとした市場通りにあり、庶民的な雰囲気と料金、料理のクオリティもたいへん満足できるものでした。

街の歴史は古く、ヘレニズム時代の遺跡や中世に聖ヨハネ騎士団が建造した要塞などがあります。それらはハリカルナッ ソスの項などでご紹介しましょう。
滞在中に要塞内部で野外コンサートがあったので、行ってみました。題して「ボドルムのバッハBach Bodrum’da」。演奏は、古楽器の名手ジキスヴァルト・クイケンのカルテットやラ・プティット・バンドで活躍していたフランソワ・フェルナンド François Fernandez、同じクイケンバンドのユン・キュン・キムYun Kyung Kim。演目はバッハのバロックヴァイオリン二重奏という、たいへん珍しいものです。まさかここボドルムで古楽器アンサンブルが聞けるとは。思いがけない 組み合わせにバッハさんもびっくり(?)。開演は午後9時。この開演時間の遅さはさすがリゾート地。
会場は歴史的建造物をそのまま使用したというわけではなく、要塞内の空地に舞台や椅子を設置したもののようです。欧米人が多く訪れるボドルムだからさぞか し混むだろうと思っていたら、広い会場に観客は数十名。演奏は素晴らしいもので、数少ない聴衆も熱心に聞き入っていました。
11時近くにコンサートは終わり、海沿いの道を散策しながら宿に帰ろうとすると、まあ、どこのお店も満員御礼。土産物屋からカフェ、レストラン、通りにい たるまでひとがびっしり。みんなバカンスの夜更かしをそれぞれに楽しんでいるのでした。〈2018.3.25.〉



  ハリカルナッソス Halikarnassos



港から見える野外劇場







ヘレニズム時代



ディオニュソスの祭壇





ミンドス門



城壁



二面墓



南向きの墳墓

エーゲ海切ってのリゾート地ボドルムは、かつて古代アナトリアのカリアに属するハリカルナッソスという古代 都市でした。カリア語は現在まで解読されていま せんが、カリアという地名は前13世紀ごろのヒッタイトの文献にすでに見られます。ハリカルナッソス近郊では前15世紀から前12世紀ごろのミケーネ人の 墳墓が発見されており、そのころからギリシアとの交流があったようです。ペロポネソス半島のミケーネ(ミュケーナイ)からエーゲ海をまっすぐ東へ横断する と、ちょうどハリカルナッソスあたりになります。
街には前425年ごろドーリア人が入植し、その後アケメネス朝ペルシアの太守としてカリアの国王が実質的に統治していました。前334年、アレクサンドロ ス大王がペルシア軍を苦労して破ったというのもこの土地です。歴史家のヘロドトスHerodotus(前484年〜前425年)はここで生まれています。
他の遺跡のように、古代都市が丸ごと残されているわけではありません。街の中数か所に建造物や遺構が点在しています。現在建ち並ぶ家々の下に、そのまま遺 跡が埋まっているということでした。

街の北側、海に面した小高い丘の中腹に野外劇場があり、ボドルム港から見上げる位置にあります。前4世紀建造のギリシア様式の劇場で、約1万3000人収 容。客席上部は足場が悪くて入れませんが、全体に非常によい保存状態です。客席最前列の中央に、演劇と関係が深いギリシア神話の神ディオニュソスの祭壇が 置かれています。丘のさらに上にはヘレニズム時代のネクロポリスがあるそうです。この劇場は現在コンサートなどにも使用されており、この時は照明が設置さ れ、周囲に資材が積んでありました。

ミンドス門は劇場から2キロほど西の幹線沿いにあります。街の東と北にも門がありましたが、現存するのはここだけです。アレクサンドロス大王がなかなか攻 め落とせなかったという要塞や城壁、堀の一部が残っています。いずれもカリアの王マウソロスが前4世紀に建造したもので、要塞の高さは不明ですが城壁は約 7キロ、堀は長さ56メートル、幅7メートル、奥行きが2.5メートルあったということです。マウソロスは前377年に王位を継承し、前367年にカリア の首都をミラサMylasa(現ミラス、ボドルムの南東約40キロ)からハリカルナッソスに移しました。
ミンドスとはハリカルナッソスから20キロほど西のエーゲ海沿いの都市で、アレクサンドロス大王は最初ミンドスを攻略しようとして果たせず、代わりにハリ カルナッソスを攻めたといわれています。
この門の近くにめずらしい二面墓がありました。南向きの墳墓と北向きの墳墓が背中合わせにつながっています。片面は一層、もう片面は二層になっていたよう です。要塞の建造と同じ前4世紀ごろのもので、身分の高いカリア人の墳墓だと考えられています。







マウソロス廟



廟の再現模型





フラグメント











現在のボドルム

野外劇場を少し下ったところにマ ウソロス廟の遺構があります。
前353年に亡く なったマウソロスのためその妃アルテミシア2世が建造したもので、彼女が亡くなった1年後の前350年に完成しました。高さは45メートル、横35メート ル、幅28メートルという壮麗な大霊廟であることから、古代世界七不思議のひとつとされています。英語で「霊廟」を意味するマウソレウム mausoleumは、この廟に由来します。
大理石の廟は3層に分かれ、1層目にはギリシア神話の場面が描いたレリーフがあり、2層目は36本のイオニア様式の列柱が並び、柱の間にさまざまな彫像が 置かれました。3層目は24段のピラミッド型屋根の階段で、頂上には4頭立ての馬車の像があったと伝えられています。設計はプリエネのピュティオス Pythiusとギリシアの建築家サテュロスSatyros、他に各地から優れた彫刻家4名が集められたということです。
廟は12世紀から15世紀にかけて頻繁に起きた地震のため徐々に崩れ、15世紀に聖ヨハネ騎士団がこの地にやって来た時にはすでに崩壊していたそうです。 彼らはその建材を使って海岸沿いに堅固な要塞を築きました。通称「ボドルム城」と呼ばれる城塞で、現在 は海底考古学博物館となっています。
そういうわけで、霊廟跡のかなり広い敷地には大理石の柱がごろごろと転がっているだけです。小さな展示室に廟の模型や彫刻のフラグメントなどがあり、かろ うじてかつての姿を思い起こすことができます。丘の中腹に建っていたわけですから、当時港に入る船から見たら、さぞかし高くゴージャスな廟に感じられたこ とでしょう。廟を飾っていたマウソロス像や彫像の断片などは、現在英国の大英博物館に収蔵されているのでした。

野外劇場は無人ですがいちおうゲートがあり、夏期9:00〜19:00、冬期8:00〜17:00無休。ミンドス門は出入口も何もなく常時見学可能。マウ ソロス廟は夏期8:00〜19:00、冬期8:00〜17:00、月曜日休館です。

ハリカルナッソスにはもうひとつ、サルマキスの泉があります。ギリシア神話によると、ヘルメスとアフロディテの息子ヘルマフロディトスがこの泉で泳いでい る時、水の妖精サルマキスに言い寄られて合体し、彼は男性と女性を併せ持つ両性具有になってしまいました。嘆き悲しんだヘルマフロディトスは、この泉に 入った者は自分と同じ体になるよう神々に願ったという伝説があります。両性具有、雌雄同体を指す一般名詞の「ヘルマフロディット hermaphrodit」はこの神話に由来する言葉です。
こうした伝説のせいか、一説によると現在のボドルムはLGBTの人々のメッカとされ、一大フェスティバルが催されることもあると聞きました。残念ながらサ ルマキスの泉は街の西側にある軍の保有地の中にあるため、一般公開されていません。〈2018.3.25.〉



 
月曜日休館・夏期8:30〜18:30・冬期8:30〜16:30



海から見た要塞



ボドルム湾



博物館入口とヘロドトス像



そびえ立つ城壁



構内の案内図







フラグメント





東ローマ船



引き上げられたアンフォラ



ガラス展示ホール









暗闇に輝く古代ガラスの数々

ボドルム湾の南端に位置するボドルム城は、セルジュークの侵略に対抗するため1404年ロードス島に拠点を置く聖ヨハネ騎士団によって建造が始まりまし た。彼らの守護聖人の名前をとって「聖ペテロ城」とも呼ばれます。建造にあたっては、近くにあるマウソロス 廟の石材が使われました。1437年に城壁が完 成し、エーゲ海域でもっとも堅牢な要塞と目されるようになりました。そびえ立つ塔には建築を援助した英国、フランス、ドイツ、イタリアといった国々の名前 が冠され、構内にある礼拝堂はマルタ騎士団によって1519年から1520年にかけて改築されています。
難攻不落の要塞でしたが1523年オスマン軍に制圧されて軍事的役割を失い、1895年には牢獄として使用されました。

その後長く使われていない時期がありましたが、1964年に改修され、現在は水中考古学博物館としてボドルム観光の名所となっています。水中博物館といっ ても、水の中が見られるわけではありません。1960年ごろから始まったエーゲ海一帯の海底調査で発見された難破船の遺品が、要塞内部の14のホールに展 示されています。



素晴らしい海の色



演劇に使われる仮面のレリーフ



ローマ時代のモザイク



ストラト ニケア出土の役人像(記念写真用?)



塔にはまったプレート



カリア王女のホール









黄金の副葬品



突然現れる絶景



突然現れる孔雀



イタリア塔のエンブレム



「蛇の塔」のレリーフ







風光明媚

ここには前14世紀、後期青銅器時代の難破船の復元模型が置かれています。ボドルムから約330キロ南東にあるカシュの沖で、1982年に発見された世界 最古の船です。最寄りの岬の名前から「ウルブルン沈没船Uluburun Batığı」と呼ばれています。
キプロスかパレスティナから出港し、キプロス西海域へ向かっていた商船と推測され、10トンの銅、1トンの錫、ガラスのブロック、ミケーネの陶器、バルト 産の琥珀、象牙、武器、ナッツやオリーブ、スパイスなどを積んでいたということです。エジプトの宝石類や、ツタンカーメンの義母ネフェルティティの印章も 発見されました。当時地中海で繰り広げられていた交易の様子がうかがい知れます。船の長さは15メートルから16メートル、レバノン杉でできていたそうで す。
残念なことに、訪れた時はちょうど展示ホールが閉まっていて見ることができませんでした。
もうひとつ展示してある沈没船の模型は、7世紀のビザンツ時代、ガラス製品やペルシア戦争のための武器を運んでいたものです。構内には膨大な数のアンフォ ラが展示されています。

沈没船の積荷だったガラス製品を展示したホールがあります。前14世紀から後11世紀までのもので、見事なコレクションです。照明を落とした展示室のな か、器の真下から照明を当てて透かして見せるという展示方法が素晴らしい。こんな風に美しくガラスの発掘品を見せる博物館はちょっと他にありません。暗闇 に浮かび上がる古代のガラスはとても幻想的です。

カリア王女の副葬品が並ぶホールも印象的でした。この女性は前360年から前325年の間に44歳前後で亡くなったと考えられ、精緻な黄金の装飾品や黄金 のマスクなどを見ることができます。ギリシア神話によると、死者は亡くなってから冥界にあるステュクス河を渡って冥界に行きますが、そのさい渡し守のカロ ンに渡り賃を払わなければなりません。三途の川の渡し守と同じです。そのため、古代には亡骸の口の中にコインを置いて埋葬するという習慣がありました。埋 葬者の口や目を覆う黄金のマスクは、そのコインと同じ意味があるということです。墓は1989年に発掘され、1993年からここに展示されています。
塔の入口上部に蛇の彫刻が描かれている「蛇の塔」があります。蛇は再生のシンボルということから、この塔は当時病院として使われていました。

中世の要塞と、海底で眠っていた考古学的遺物の両方が同時に楽しめるめずらしい博物館です。中庭には南国の植物が茂り、そこかしこに大理石の彫像などが置 かれています。そびえ立つ塔に登ると、突然ボドルムの絶景が目の前に広がります。素晴らしい眺めです。塔によって見える風景が違い、次々とパノラマが展開 します。城壁の隙間からちらりと見える景色もまた格別。
展示室は展示方法や照明の工夫が楽しく、解説もわかりやすいものでした。時間帯によっては閉まっているホールもあるようです。中庭にはカフェや売店があ り、木陰にベンチなども置かれているので、好きな場所で一休みできます。敷地全体が広く展示も充実しているため、景色を楽しみながらとなると優に2時間ぐ らいはかかるかもしれません。時間に余裕を持って、風光明媚なボドルムとその歴史をゆっくり味わいたいところです。〈2018.4.18.〉


〈この項続く〉