アジア的八百屋
旧市街のスーパー
チーズパイを売るカフェ
昼食中の人々
英国式朝食
南キプロスの
レフコシア(ニコシア)は、ギリ
シャ 料理 やトルコ料理に加えてアジア料理の店
もたくさんあります。旧市街で一番にぎわうリドラス通りでは、店の前いっぱいにテーブル席
が並び、地元民も観光客も盛大に食事をしている光景が見られます。どのお皿もおい
しそ うで
魅力的ですが、しかしその分量たるやギリシャ本土の比ではありません。ギリシャの一人前が
日本の倍以上だとすると、レフコシアではおそらく3倍ぐらいになるのではないで
しょう か。
すべての料理がそういうわけではないとは思いますが、もう見ているだけでお腹いっぱい。恐
るべし、レフコシアの食欲。
南キプロスのホテルでは、毎朝英国式の朝食が提供されます。キプロスは英国統治領
だっ たわ
けですし、現在でも英国人観光客が多いことが関係しているのでしょう。ホテルの部屋には必
ず電気ポットとティーセットがついています。これは英国以外のヨーロッパの国では
あま り見
られないことで(もちろんゴージャスな高級ホテルは別ですが)、部屋でくつろぎながら
ちょっと緑茶などを飲みたい日本人には便利でうれしいサービスでした。
パフォス、中華レストラン
タイレストラン入口
もうひとつ、中華レストラン
それらしい雰囲気
クリスピーサラダ
豚ピーマン炒め
カラフルなリキュール
シーフードレストラン
わかめサラダ
海老の天ぷらとマグロ巻き
地元料理店
オープンテラス
ギリシャサラダ半ポーション
仔羊の壺焼き
付け合わせ
夜の街のにぎわい
小さな手作りパン
エヴァさん
リゾート地として名高い
パフォスは、海に近い幹線沿いにレス
トラ ンが 並んでいます。いかに
も観光地という雰囲気で、地元料理やシーフードレストランの他にタイ料理や中華料理など、
かなり本格的なアジア料理店も目につきます。
イスタンブールでは中華料理屋が少ないので、普段あまり食べる機会がありません。
かつ ては
街の中心部に数軒ありましたが、テロやクーデタなどの影響で外国人利用者の足が遠のき、近
年はどこも店を閉じてしまいました。
久しぶりに中華も悪くありません。南キプロスの中華はどんなものかと入ってみま
す。
きらびやかな玄関と相まって、なかなかゴージャスな内装と雰囲気です。表のメ
ニューに ラー
メンと書いてあったので早速注文したら、今日はないということでちょっとがっかり。一通り
のお料理はそろっていますが、セットメニューは2人以上からの受付です。単身旅行
者は こう
いう時に困ります。他のお料理は大きなお皿しかありません。仕方ないのでクリスピーサラダ
と豚肉ピーマンの豆鼓炒めというのを頼みます。
クリスピーサラダは千切りレタスだかわかめだかをかりかりに揚げたもの。どういう
発想 から
こうなったのか不思議です。豆鼓炒めは英国の中華より本場中国に近い味で安心できました。
思った通り量が多くて食べ切るのに苦労しましたが。
お給仕をしてくれたお姉さんは東欧出身の方で、たいへんおだやかな気持ちよいサー
ビス をし てくれます。食後に甘いリキュールがおまけでついてきました。
別の日にはスシバーに行きました。おしゃれな感じの開放的なバーで、料金もリゾー
ト地 とし
ては良心的です。まず最初に出てきた「おてもと」に感激。まさかこんなに遠く離れた地中海
の島で出会うとは!ここで一気に郷愁に駆られます。
メニューにはサラダ類、揚げ物、お刺身、にぎりや寿司ロール各種そろっています。土地
の白 ワインとわかめのサラダ、海老の天ぷら、マグロの裏巻きを注文。
サラダは茎わかめがどっさり、トビッコが乗っていて日本の居酒屋風です。
海老の天ぷらは一匹の海老を三つに切って揚げてあり、天ぷらというよりフリッター
に近 い感
じですが、まあ、海外ではこんなものでしょう。しかしこれに甘酸っぱい東南アジア風ソース
がついています。日本にいる時ならエスニック料理のひとつと思えばいいのですが、
こち らは
すでになつかしい「日本の味」モードに突入しているところです。テーブルにキッコーマンの
減塩醤油の瓶が置いてあったので、レモンをもらってさっぱりレモン醤油でいただき
ま す。マ
グロの裏巻きはマグロよりアボカドやきゅうりの方が多く入っていますが、酢飯は立派なもの
です。わさびやガリがちゃんとついているというのも気に入りました。いずれもよく
冷え た辛 口の白ワインと一緒においしくいただいたのでした。
お給仕の地元出身お兄さんによると、スシはこの3年ぐらいでしっかり南キプロスに
も定 着し たということです。
せっかく南キプロスの西の果てまで来たのですから、やはり地元の伝統料理もいただ
かな くて
はなりません。ホテルのレセプションとタクシーの運転手の両方に勧められたレストランに
行ってみます。毎度お馴染みフェタチーズの乗ったギリシャサラダと、店の名物とい
う骨 付き 仔羊の壺焼きを頼みます。サラダは半分ポーション。
おそらくかなり長時間壺焼きにした仔羊はほろほろと柔らかく、骨も簡単にはずれま
す。 塩気
やスパイスも強くありません。滋味深い味わいです。これにはグリルしたズッキーニ、人参と
インゲン、ライスが別皿でついてきました。野菜料理は別に注文しないとついてこな
いと いう
場合もあるので、これはかなり良心的です。地元のすっきりした赤ワインは軽く冷やしてあ
り、暑い季節だけにのど越しもさわやか。たいへん充実した夕食となりました。
幹線沿いは他にもレストランがたくさんあり、夜になるとアトラクションとして風船を
配った
り、子どもの顔にペインティングなどをする店もあります。あたりはちょっとしたお祭のよう
な雰囲気で、小さな子どもにはバカンスの楽しい思い出になることでしょう。
パフォス滞在中にホテル近くのスーパーをよく使いました。一日の見学を終えて
帰る際 に、水
やワイン、ちょっとしたスナックなどを買うのに便利です。いつ行っても同じ年配の女性がひ
とりレジにいて、何かと親切に対応してくれます。地元の蜂蜜やオリーブオイル
製品など も土
産物店で買うより割安だったので、お土産も全部そこで調達しました。
女性はエヴァさん。大学院で歴史学を専攻したお嬢さんが、数軒隣にオーガニッ
ク化粧品 の店
を開いています。最後の晩に顔を出して挨拶すると、「これを持って行きなさい」と渡された
のが5センチほどの三日月型をした塩味パン。ここでは古くからある伝統的な食
べ物で、 妹さ
んが焼いたそうです。せっかく妹さんが焼いたのだからお味見にひとつだけと言っても、全部
包んで持たされました。
いただいてみると、しっかり噛み応えのある生地の中に黒オリーブのペーストな
どが巻き 込ん
であり、オニオンパウダーの風味もします。手作りの素朴なおいしさがあふれていました。
エヴァさん、どうもありがとう。小さなこのパンが、キプロスで一番の思い出の
味となり まし た。〈2021.12.23.〉
トルコ、クシャ
ダス 発
小さい船です
トルコ側免税店
客室
サモス島
コンテナが入国
審査 の窓口
ピタゴリオ
目抜き通り
お店いろいろ
静かな路地
爆睡中
町はずれのビーチ
東エーゲ海に浮かぶギリシャ領サモス島は、細いサモス海峡を隔ててトルコからわずか2
キロ 足らずという近さです。夏場はトルコのリゾート地クシャダスから
毎日フェリーが運航され、日帰りで両国を往来することができます。
島の大きさは467平方キロ、石川県金沢市より少し大きい程度。北東部にあるサモス・
タウ ンが島の中心で、アテネからの定期船が発着します。南東部のピタ
ゴリオにも港があり、近くに国際空港もあります。全島の人口は45.050人(2020
年)。
産業はおもに観光業と農業で、葡萄、柑橘類、オリーブオイル、綿花、タバコといった産
物が あり、マスカットから作られる甘口のワインが特産品として有名で す。
日本ではあまり馴染みのないサモス島ですが、ヨーロッパからの旅行者は多く、バカンス
客が 島のあちこちに点在する美しいビーチに長逗留します。エーゲ海の
他の島に比べるとリゾートの規模はかなり小さく、たいへん地味な印象です。それがかえって
この島の魅力となり、静かでゆったりした滞在が楽しめる穴場的存
在として人気があります。
「ピタゴリオとヘラ神殿」は1992年世界文化遺産に登録されました。
島の歴史は古く、紀元前11世紀にイオニア人が入植、イオニア12都市のひとつとなり
まし た。前7世紀にはギリシアでも有数の商業都市に発展し、エジプト
やコリントスなどとの地中海貿易はもちろん、黒海地方とも交易し、小アジアのミレ トスと
覇を競うほどだったと伝えられます。
前6世紀の僭主ポリクラテスPolycratesの時代には文化が栄え、建築家や工芸
家な どを輩出しました。ピタゴラス(Pythagoras前582〜
前496)やヘレニズム時代の哲学者エピクロス(Epikouros前341〜前270)
はこの島の出身です。
やがてペルシアの支配を受けますが前5世紀にデロス同盟に加盟、その後さまざまな大国
に支 配されます。前133年にローマ帝国の属州となり、ビザンツ帝
国、ジェノバ支配を経て、1475年オスマン帝国領。最終的にギリシャ領となったのは
1923年になってからでした。
2018年、トルコのクシャダスからサモス島へ行ってみました。この時はフェリーでピ
タゴ リオまで約1時間ほど。常に陸地が見える航路でしたが、狭い海峡
を通るせいか波がかなり高いように感じます。
夕暮れ時
ピタゴラスのモニュメント
にぎやかな夜
トルコへ戻る船
島付近を航行中の大型客船
エーゲ海の日没
2011年のシリア内戦勃発以降、トルコを経由して多くの難民がギリシャの島々に逃れ
てい ます。サモス島にも難民が殺到し、2016年にはサモス・タウン
にある旧軍事施設が難民キャンプとなりました。当初650人だった難民は2019年には
8000人に膨れ上がり、施設に入り切れなかった人々がキャンプ周
辺にあふれたそうです。
現在はシリア、アフガニスタンを中心にコンゴ、イラク、パレスティナなどからの難民約
4000人が厳しい環境の中で生活しているということでした。
2020年は新型コロナウイルスが世界中に広がりました。観光客の途絶えた島の経済
や、 人々の健康状態も心配です。加えて同年10月30日にはトルコのイ
ズミール沖でマグニチュード7.0という大地震が発生、震源地はサモス島北部から至近距離
でした。この地震でイズミールでは115人が亡くなり、サモス島
では10代の2人が犠牲となっています。
かつてのように静かでおだやかな日々が、この島ばかりではなく、再び世界に戻ってくる
こと を願わずにいられません。〈2020.12.27.〉
ピタゴリオ港
カラフルなお店
「ワインのセレ
クト の仕方」
咲き乱れる花
ピタゴラスのモ
ニュ メント
水は冷たい
ピタゴリオはサモスの古代都市があった町です。人工の港としては地中海最古の港を有
し、前 6世紀後半には強力な貿易都市として栄えました。かつてはティガ
ニTiganiと呼ばれていましたが、この町出身の数学者ピタゴラスにちなんで1955年
にピタゴリオとなりました。
現在はこぢんまりとした静かな保養地として人気を集めていますが、観光客が訪れるよう
に なったのは1980年代ごろからということです。さすがに海沿いは
レストランやカフェが並んでリゾート地らしくにぎわうものの、目抜き通りから一歩入ると
ひっそりとした路地が続きます。人口は7.996人(2011 年)。
いわゆる観光ホテルは見当たらず、長期滞在用の家具付きワンルームや小さなペンション
が港 周辺にたくさんあります。こういった宿泊施設のほとんどは冬場に
は閉じてしまいます。町中に充実したスーパーが数軒あり、キチネット付きの部屋で自炊を楽
しむ滞在者も多いようです。
通りにはアーティスティックなギャラリーやブティックが並び、他では見られないような
アク セサリーや装飾品など、見ていて退屈しません。大手ブランド店な
どはなく、地元の人々がセレクトした品や手作りの作品を並べていて好ましく感じられます。
土産物店もカラフルでしゃれたディスプレイが素敵です。
通りの奥にある土産物店にはEn Arche
oinologosという看板が出ています。何だか不思議な名前だと思って店のアントニオ
さんにたずねると、これは新約聖書のヨハネによる福音書冒頭の
「初めに言葉ありき」というギリシャ語をもじって、「ワインのセレクトの仕方」といったよ
うな意味なのだそうです。アントニオさんは以前ワイン関係の仕事
をしていたとかで、ダジャレみたいなものだけど、と笑っていました。
この店はお土産用のマグネットやポストカードから、オーガニックのオリーブオイル製
品、ア クセサリーやギフトなどいろいろな物がそろっていて、なかなかに
ぎわっています。ワインは置いてないようでしたが。
またあるブティックで聞いたところによると、北ヨーロッパやロシアからの観光客に合わ
せ て、靴や洋服などはサイズの大きいものをそろえているそうです。た
またまハンドメイドの革のサンダルで日本人向けサイズがあり、料金も手頃だったのでお土産
に買いました。
観光地は得てして物価が高めですが、ここはそんなこともありません。緑ゆたかな通りを
散歩 しながら、あれこれ物色するのも楽しみのひとつです。
港にあるピタゴラスのモニュメントが印象的でした。大きな直角三角形の頂点に向かって
右手 を伸ばすピタゴラス。左手に三角定規を持っています。三平方の定
理をイメージさせるモダンなモニュメントです。観光地にあるモニュメントというと、いかに
も取ってつけたようなやぼったいものが多いですが、このピタゴラ
スは洗練された芸術性を感じさせます。
もっとも、この像のモティーフとなっている三平方の定理は、ピタゴラス個人が発見した
ので はなく、彼が後にイオニア海沿岸の町で興したピタゴラス教団によ
るものだとも言われています。
町の西側にゆるやかな弧を描く海岸があり、海水浴ができます。町からややはずれている
ため 周辺に民家も少なく、水がとてもきれいです。波も静かで絶好の
ビーチですが、実際に入ってみると午前中だったせいかとても冷たく感じます。ご近所のお母
さんたち数人が井戸端会議ならぬ海中会議をしていて、数十分も肩
まで水に浸かったままおしゃべりに興じていますが、とてもそんなに長く入っていられませ
ん。パワフルなお母さんたちに脱帽だったのでした。
要塞と教会
リュクルゴス・
ロゴ テティス要塞
城壁
変容教会
バシリカ跡
フラグメント
遺跡猫
パナギア・スピ
リア ニス修道院
要塞とピタゴリ
オの 町
地下の洞窟
泉
礼拝所
教会構内
夏の花
港の南西にある断崖絶壁の高台に、リュクルゴス・ロゴテティス
Lykourgos Logothetisの要塞がありま
す。月曜日休 館・9:00〜日没まで。
ロゴテティス(1772〜1850)はギリシャ独立戦争勃発後サモス島の指導者に選出
さ れ、サモスの軍政システムを整えた人物です。この要塞は対オスマン
帝国の拠点として、1824年から3年をかけて建設されました。
堅牢な要塞は島で最も古いアクロポリスがあったとされる場所にあり、周辺の考古学的遺
構を 利用して造られたということです。すぐ隣にはキリスト教初期のバ
シリカの遺構や、1831年に建立された「救世主キリストの変容教会 Church
of the Transfiguration of Christ the
Savior」があります。
バシリカははっきり構造がわかるように残されていました。周囲に散らばる柱のフラグメ
ント は、さらに古い時代のものと思われます。要塞と教会と遺跡がすべ
て一緒になっていて、歴史を深く感じさせる光景です。
ロドス島やコス島な
ど、トルコに近いギリシャの島はほとんどがオスマン帝国領だったため、町を歩くと必ずオス
マン時代の建物が残っているものです。しかし
ピタゴリオの町に当時の名残は見当たりません。徹底抗戦の最前線だったからでしょうか。
海沿いにある要塞のちょうど反対側、町の北西の丘の上にそびえるのがパナギア・スピリアニスPanagia
Spilianis修道院です。無休、9:00〜15:00。
この修道院の地下に泉が湧く洞窟があり、その中の礼拝堂にお参りすることができます。
教会 内の販売所では、イコンなどの他に瓶入りの聖水も売っていまし
た。ここから眺めるピタゴリオの町とエーゲ海の景色は素晴らしく、それを目当てに多くの人
が訪れます。
暮れゆく港
夜のにぎわい
レストラン満席
夕暮れが近づくにつれ、町は活気づいてきます。暑い日中はビーチや部屋で静かに過ご
し、涼 しくなってから外に繰り出すのはどのリゾート地も同じですが、こ
こは町が小さいせいかたいへん家庭的で親密な雰囲気です。治安がよく、暗くなっても安心し
て歩けます。
緑あふれるピタゴリオ。のんびりリラックスして心地よく滞在できる町です。ぜひまた訪
れた い場所がひとつ増えてしまいました。〈2020.12.27.〉
モダニズム建築
展示室
クーロス
コレー
黒絵、ミダス王
とサ テュロス
黒絵、オリュン
ポス の神々
古層のアルテミ
ス
羊の角があるゼ
ウス
新しいアルテミ
ス
アフロディテ
トラヤヌス
テラコッタ製
月曜日・祝日休館・9:00〜14:00
町の目抜き通りの先にピタゴリオ考古学博物館があります。紀元前4000年の新石器時
代か ら後7世紀のビザンツ時代まで、この町や近郊の発掘物が展示され ています。
こぢんまりした建物はピロティがあり、直線を強調したモダニズム建築です。2010年
改 築。
建物の外側だけではなく展示室もたいへんモダンで、自然光を多く採り入れる構造になっ
てい ます。大理石の彫像やフラグメントなど、光に当たっても劣化しな
い展示物が多い博物館だから可能なことです。すっきりした内装に古代の展示品が映えます。
クーロスは直立青年裸像、聖域の奉納神像または墓の上に置く墓像として、前7世紀から
前5 世紀の間に多く作られました。これは前560年のもので、左膝の
上にアポロンに関連する記述が彫りつけられています。対するコレーは着衣の少女像で、クー
ロスとほぼ同じ時代に奉納神像として作られました。この像はアテ
ネに捧げられたもの。コレーはゼウスとデメテルの娘、ペルセポネの別称ですが、一般に
「娘」という意味もあるようです。
黒絵のポットにはミダス王とサテュロス(またはシレノス)、ミノタウロスと戦うテセウ
スが 描かれています。前540年から前530年ごろ。
同じ黒絵の壺は前550年から前525年ごろのもので、デメテルやポセイドンなどオ
リュン ポス十二神の姿が見えます。神々の衣装の柄が細かく描かれている
ところに独創性を感じます。
一連の大理石像やレリーフは、小ぶりながらも保存状態のよいものが多く、見事なコレク
ショ ンです。
前1世紀のアルテミスは豊穣多産を表す古層の姿をしており、トルコのエーゲ海地方エ
フェ ソスで信仰された地母神を思わせるタイプです。女神の標章
であるラ イオン、パンサー、蜂などが彫られています。
同じ年代のゼウスのレリーフは頭に羊の角があり、足元にも羊がいます。これはエジプト
のア モン神とギリシアのゼウスが混淆した姿だということです。エジプ
トの神々は前5世紀ごろからギリシア世界に入ってきていましたが、アレキサンドロスの遠征
後に広く一般に知られるようになりました。
2世紀のアルテミスは先ほどのアルテミスとは打って変わり、現在に広く伝わる姿です。
大き く踏み込んだ足やその装束、足元にいる猟犬などから、狩猟を象徴
する女神だということがよくわかります。これはヘレニズム時代の模作。
ゼウスのレリーフがそうであったように、同じ名前の神でも時代や地域によって変容して
いく 様子に興味深いものがあります。
サンダルを脱ぐアフロディテはヘレニズムからローマ時代の作で、脇にいるのは巨大な一
物を 持つプリアポス。プリアポスはアナトリア由来の豊穣神、男性の生
殖力の神で、アフロディテの子供です。父親はディオニュソス、ヘルメス、ゼウスと諸説あっ
てはっきりしません。プリアポスもアレキサンドロスの遠征後にギ
リシア世界に伝わりました。
ローマ皇帝トラヤヌスの大理石像は2.71メートルという堂々たる大きさです。
2体並ぶテラコッタ像は前550年から500年という古さで、エキゾチックな顔立ちを
して います。
もう一方のテラコッタ像はお腹が頭になっているようなユニークなスタイルで、地母神デ
メテ ルの聖域から発掘されました。前3世紀から前2世紀のもの。
遺跡の上の博物
館
広がる遺跡
地図
神殿
モザイク
水道管
柱のフラグメン
ト
遺跡の花
収蔵品が自然に近い状態で明るく見えるのはありがたいことですが、外光が保護ケースに
反射 して写真がなかなかうまく撮れません。アクリルを多用した解説パ
ネルも充実した内容で、洒落た博物館全体の雰囲気にぴったりです。とはいえ、こちらも影が
映り込んで写真にはちょっと不向きでした。博物館の展示コンセプ
トのむずかしいところかもしれません。
博物館恒例の屋外展示も見学しようと庭に出て茫然としました。博物館裏手のかなり遠く
の方 まで、遺跡が広がっています。前7世紀の神殿や祭壇、ローマ時代
のアゴラ、ストア、浴場や貯水池などの遺構です。この博物館は古代都市の真上に建っている
のでした。
床を飾っていたモザイクや浴場の水道管などがきれいに残っていて、なかなか見応えがあ
りま す。遺跡内は通れる道が限られているため、奥の方まで歩いていけ
ないのがちょっと残念でした。〈2021.1.28.〉
ピタゴリオ考古学エリア Pythagorio
Archaeological Sites
アフロディテ神
殿
神殿向かいのカ
フェ
山の中腹にある
邸宅
邸宅近くの遺構
野外劇場
床下
客席後部
海岸近くの遺構
道?
正体不明の遺構
ピタゴリオは考古学博物館が遺跡の上に建っているばかりではありません。町のいたると
ころ に遺跡が顔を出しています。町なかに点在する遺跡と、町から6キ
ロほど離れたところにあるヘラ神殿を併せて、「サモス島のピタゴリオとヘラ神殿」という名
目で1992年世界文化遺産に登録されました。
町の中心部、島の各方面へ行くバス停脇にあるのがアフロディテ神殿です。これは民家の
隙間 のような場所にあり、フェンスに囲まれて中に入ることはできませ
ん。フェンスの網の隙間にカメラのレンズを差し込んで、何とか写真に収めます。すぐ向かい
のカフェはいつもにぎわっています。
町の北側、パナギア・スピリアニス修道院に
行く途中の坂道脇に、ヘレニズム時代の邸宅跡が見えます。この
邸宅からモザイクの床が発見されたということで
す。裕福な住民の別荘だったのかもしれません。周囲にも何かの遺構が垣間見えます。
さらに丘を登っていくと2世紀の野外劇場があります。木材でオーケストラピットや舞
台、観 客席が整えられていて、現在は催し物会場として使われているよう
です。遺跡としてはかなり破損されており、修復をあきらめて遺跡の上に新しい劇場を乗せた
という感じがします。ギリシア様式の劇場で、裏山の傾斜からする
ともう少し高いところまで客席があったのではないかと思います。数名の観光客と、犬を連れ
て散歩に来ているご近所さんがいました。
山の中腹から町を望むと、海岸近くに遺跡とおぼしき建造物が密集しているのを発見。そ
れを めがけて、道があるようなないような斜面を一気に下ります。目指
した建築群は金網に囲まれていますが看板はなく、何なのかわかりません。ローマ時代の邸宅
でしょうか。
ビーチ
スポーツセン
ター
ホテル敷地内
スタジアム跡
左側の帯が城壁
池
アルテミス聖域
キリスト教徒の
墓地
考古学公園
ニンフの聖域
民家の裏庭のア
ゴラ
涼し気な花
花の向こうは考
古学 博物館
そこから海岸に出ると、リゾートホテルの敷地内にも遺跡のフラグメントが散乱していま
す。 このあたりは一大スポーツセンターがあった場所で、古代ギリシア
世界で最大級のひとつに入るというスタジアム(トラックの長さ約200メートル、幅約50
メートル)、ギムナジウム、運動場、ローマ浴場がそろっていまし
た。サモス国際空港はすぐ近くです。
ここから北側にある山を見上げると、前6世紀の僭主時代に築かれた都市の城壁がはっき
りわ かります。かつては全長6430メートル、35の砦と12の門が
あったということです。
さらに西に進むと池があり、そのほとりはアルテミスの聖域となります。夏草におおわ
れ、か ろうじて遺跡があるとわかる程度です。神殿や聖域は水のある場所
に多く見られるものでした。
近くにキリスト教徒の墓地もあります。キリスト教がこの島に伝わったのは4世紀ごろな
の で、それ以降のものと思われます。
道路脇に、柱などの発掘品がきれいに並んで置かれていました。修復現場というわけでは
な く、フラグメントをデザインして並べ、ちょっとした「考古学公園」
に仕立てたという感じです。列柱状の柱の足元は、何かの建造物の土台か床のように見えま
す。
このあたりから町に戻る途中にあるのが、フェンスに囲まれたニンフの聖域です。ニンフ
は ニュンペとも呼ばれる山や泉、川などに宿る精霊で、古くは山中の泉
が湧く洞窟などに祀られていました。後には水をたたえた水槽に神像などを飾ったドーム付き
の建物、ニンファエウムが街中に造られるようになります。ここは
かなりの規模の遺構なので、ローマ時代のニンファエウムのようです。
最初のアフロディテ神殿近くまで戻ると民家が増えてきます。どなたかのお宅の裏庭
(?)に アゴラと書かれた看板があったので、ちょっと失礼して見学するこ
とにしました。規模は大きくあっちの方まで広がっていますが復元されておらず、大理石の床
や壁の一部が地面から顔を出しているばかりです。このアゴラには
陶器や金属製品の工房などもありました。
ちょうどお昼を少し回ったころで、民家のテラスで一杯やりながら昼食を楽しむご一家が
こち らを見ています。不審者に思われないよう手を振ったら、楽しそう
に手を振り返してくれてちょっと安心します。暑い夏の午後、自宅のテラスで遺跡を眺めなが
ら一杯なんてうらやましい限り。とはいえ、実際に住むとなると旅
行者がうろうろ入り込んできたり、風が吹けば砂ぼこりも多そうで、それなりのご苦労がある
のかもしれませんが。
遺跡の点在具合を見ると、ピタゴリオはかなり大きな都市だったことがわかります。現在
の町 の南西部に古代の港があり、そのエリアを中心に遺跡が残されてい
るようです。町の東側はすでに家が建っていて、発掘不可能だったという事情があるのかもし
れません。他には町の北西に、前6世紀にできた水道トンネル(エ
フパリノスのトンネル)があります。
ほとんどの場所にいちおう看板はあるものの、解説その他のパネルはいっさいなし。後で
ネッ トで調べてもよくわからないものが多く、詳細不明の遺跡探訪に
なってしまいました。
いくつかはフェンスに囲まれて入れませんでしたが、他は囲いもなく、民家の裏や道端の
空き 地、あるいは海岸沿いなどにほったらかしにされているようです。
せっかくの世界遺産なのに、その脱力ぶりに驚かされます。
そんなわけでいずれも無人、24時間見学自由。大らかなギリシャなのでした。
〈2021.1.28.〉
ヘラ神殿
まっすぐ伸びる
「聖 なる道」
沿道の彫像(レ
プリ カ)
沿道
祭壇
遺構
前6世紀、円型
モ ニュメント
遺構
月曜日、祝日休場・夏期8:00〜15:00、冬期9:00〜16:00(休場日、開
場時 間は要確認)
ピタゴリオから西へ6キロほどの海岸近くにヘラ神殿があります。町に点在する遺跡群と
とも に1992年世界文化遺産に登録された神殿です。ここは人々が生
活する場所ではなく、祭祀に関係する建造物だけがある宗教的な中心地でした。
サモス島はギリシア神話で女神として最高位のヘラが誕生した地とされ、古くからヘラ信
仰が 盛んでした。ヘラは結婚や出産を守護する女神で、夫はオリュンポ
ス十二神の主神ゼウスです。
ヘラは嫉妬深い女神といわれますが、他の女神や人間の女性と浮気三昧のゼウスが夫であ
れ ば、嫉妬深くなるのも当然かもしれません。神話では、ゼウスの浮気
相手やその子どもに対して、ヘラが残酷な罰を科したエピソードが多く見られます。情け容赦
なく恐ろしい一面を持つヘラですが、自身は貞淑だったため、家庭
に入った婦人の守護神でもありました。
この場所には前8世紀ごろすでに集落があったとされています。
最初に神殿が建てられたのは前750年ごろ。幅6.5メートル、奥行きは約33メート
ルと いう神殿で、当初は日干しレンガで作られていました。サモスの町
に通ずる「聖なる道」や、神殿南側のストアなどもこの時期に造られます。聖なる道の沿道に
は、さまざまな彫像が置かれていました。神殿は前670年ごろ、
おそらく水害で流されてしまったということです。
そのすぐ後に再建された神殿はさらに大きいもので、幅約12メートル、奥行き約38
メート ル。これは古代ギリシア世界で初めて列柱廊がある神殿でした。
さらに前570年、神殿は幅52.5メートル、奥行き105メートルと大幅に拡張さ
れ、ギ リシア初の二重周柱式のイオニア式神殿となります。ロイコス
RhoikosとテオドロスTheodorosの設計による記念碑的な神殿は、古代ギリシ
アの神殿や公共建築の建造技術に大きな影響を与えました。この時
期にモニュメンタルな祭壇やロイコスの名を付した神殿、南北の建造物なども建てられます。
祭壇もまた縦36.5メートル、横16.5メートルという大きなもので、上部は緑に覆
わ れ、供犠を置く部分は耐火性の高い蛇紋岩が使われていました。これ
は後1世紀に大理石で改築されることになります。現在は大理石のフラグメントを積み上げた
ものが置かれています。
神殿が前540年に戦火で失われた後、ポリクラテス時代の前535年、幅約55メート
ル、 奥行き約109メートル、高さ20メートル、155本の柱がある
壮大な神殿が建てられます。しかしこれは250年かけて建設が続いたものの、未完のまま終
わりました。神像は別の神殿に移されましたが、奉納品などはその
ままここに保管されていました。
ローマ時代の392年に異教禁止令が発令されたことで、神殿はヘラ信仰の中心地として
の役 割を終えます。5世紀にはキリスト教の聖堂が建てられ、その後一
帯は採石場になったということです。
神殿の柱
ストア
キリスト教のバ
ジリ カ
パネルの地図
エーゲ海
近くの村
冷え冷え
炎天下
現在の神殿は、当時の半分の高さの柱が一本そびえ立つばかりです。
聖域は平らで開けた場所にあり、かなり広さがあります。広々とした全体を見渡すことが
でき るので、全貌がつかみやすい遺跡です。奥の方に一本だけぽつりと
見える神殿の柱が目安になります。解説のパネルもきちんと整備され、たいへんわかりやすく
なっていて申し分ありません。
ここを訪れたのは閉場までまだ十分時間がある時でしたが、入口でもう閉めるから入場で
きな いと告げられてびっくり仰天。しばし押し問答をして何とか入れて
もらったものの、30分ほどで係員が追いかけてきて閉め出されてしまいました。せっかく遠
路はるばるたずねて来たのに、あまりいい気分はしません。
どうもギリシャでは時々こういうことがあるようなので、開場時間をその都度確認する必
要が あります。もっとも、休場日や時間変更は必ずしもネットなどに反
映されるわけではなく、結局現場にたどり着いてみて初めてわかる、という場合がほとんどで
すが。実際に後でネットで調べてみると、この遺跡の開場情報は実
に千差万別のことが書かれていました。
閉まった門の外で未練がましく写真を撮っていると、係員が「暑いからバイクで近くの村
まで 乗せて行ってあげよう」などと言います。人を追い出しておきなが
ら、親切なのか不親切なのかよくわかりません。確かに日差しが最強の時間帯だったので、そ
れはそれでたいへんありがたく、おおいに助かりました。
海岸沿いにある村は、海水浴客がぽつぽつ見える程度で静まり返っています。みなさん昼
食後 の午睡を楽しんでいるのでしょう。先ほどの係員も自宅に戻ってヤ
レヤレと思っているかもしれません。
まぶしく輝くエーゲ海を眺めながら冷たいレモネードなどを頂いていると、しかしまあ、
たい がいのことはどうでもいいような心持ちになってくるのでした。
〈2021.2.27.〉
サモス・タウン
考古学博物館旧
館
新館
新館展示室
巨大クーロス
ゲネレオス群像
]
お嬢さん
鳥を胸に抱くコ
レー、前540年
月曜日休館・9:00〜16:00(休館日・開館時間は要確認)
ピタゴリオから北東へ約11キロにあるのが、島の中心となるサモス・タウンです。ここ
の港 には長距離の定期便やクルーズ船が発着します。こぢんまりとした
ピタゴリオから訪れると、人がたくさんいて立派な「街」という雰囲気です。街の南寄りの海
岸沿いから少し入ったところにサモス考古学博物館があります。
博物館は新旧二棟の建物があり、いずれもおもにヘラ神殿の発掘品を収蔵しています。
旧館には陶器の他、ブロンズ、象牙、木、粘土などさまざまな素材で造られた小品のコレ
ク ション、新館にはアルカイク期の大型の彫像などが展示されていま す。
ネオクラシック様式の美しい旧館は1912年建造。裕福な商人から寄贈されたもので
す。モ ダン建築の新館は1987年に建てられました。
新館にあるクーロスが圧倒的です。前580年から560年ごろのもので、その高さ
5.5 メートル。ギリシャ最大の大きさです。ヘラ
神殿の 聖なる道の北の角 に奉納されていました。
ヘラ神殿はアテネのパルテノン神殿をはるかに越える規模でしたが、クーロスも尋常な大
きさ ではありません。島で産出される灰色の筋目が入った大理石製で、
像の表面はかつて赤茶色に彩色されていました。
こんな大きな彫像がひとつの大理石から造られたというのが驚異的です。さらにそれが、
1980年になってから発掘されたというのも奇跡のように感じられま
す(頭部は1984年発掘)。
間近で見ると、なめらかな肌、膝や大腿の筋肉がリアルです。左の大腿には奉納者の名前
が彫 られています。こうした巨大クーロスが造られたのはこの時期だけ
で、やがて小型化されていったということです。
彫刻家ゲネレオスによる「ゲネレオス群像Geneleos
Group」は前560年から540年のもので、これも聖なる道の脇に奉納されていまし
た。もともとは台座に男性像2体、女性像4体が並んでおり、当時の
裕福な一族の「家族の肖像」と考えられています。
右端でクッションに横たわっているのが父親、大きく破損していますが左端の椅子に母
親、中 央に立つのが2人の娘です。それぞれの名前も残されており、母親
はフィレイアPhileia、娘はオルニテOrnitheとフィリッペPhilippe、
父親は下半分のみがアルケスarchesとわかっています。他の
1体は像そのものが不明で、たぶん男の子だったと考えられています。
父親が奉納者で、欠損している左手には葡萄酒の入った器を持っていたのかもしれませ
ん。横 たわって飲食をするというのは、当時の饗宴スタイルでした。娘た
ちは薄い衣装のドレープを右手でつかんでいるという繊細な描写です。
古代ギリシア世界では、一般に巫女などを除く女性の社会的地位は低いものでした。女神
像や コレーなどの奉納像はありましたが、家庭の婦人像はほとんど見ら
れません。ましてや女性(妻)が男性(夫)と同列に並んでいるのはたいへんめずらしいこと
です。しかもその名前まで記録されていたわけです。
これには、ヘラが既婚女性の守護神であることが関係しているのではないか、という説が
あり ます。こうしたことから、ゲネレオス群像はアルカイク期における
非常に貴重な作品と考えられてきたのでした。
旧館
展示室
テラコッタ
ライムストー
ン、前 7世紀
陶製の壺、前7
世紀
彩色の残るテラ
コッ タ、前6世紀
異国風
グリフィン
サモスの空
サモス・タウン
の街 並み
ギリシャ正教会
聖具店
食料品店
映画館?
旧館には、一昔前の博物館にあったような展示ケースに小さな発掘品がひしめいていま
す。人 型の造形は、素朴なものから写実的なものまでさまざまです。一部
に彩色が残っているテラコッタ像もありました。異国を思わせる顔立ちが多く、アルカイク期
の特徴が感じられます。
グリフィン(グリュプス)は頭部と翼、前肢が鷲で、獅子の胴と後脚を持つ伝説上の霊獣
で す。さまざまな神話に登場しますがその起源はオリエントにあり、ギ
リシア神話では北方の国に住み、黄金を守ると伝えられます。
グリフィンの装飾品は前8世紀ごろヒッタイトからもたらされ、ギリシア各地の聖域に奉
納さ れるようになりました。青銅製、または鉄製の三脚ポットの上にグ
リフィンの頭部が6つ並んでいます。前7世紀には3メートルの高さになる三脚ポットがあっ
たそうです。
ここで見られる膨大な数のグリフィンは、ひとつひとつの表情が異なっていて個性豊かで
す。 こうした奉納品は、前6世紀ごろからクーロスのような彫像に取っ
て代わられました。
大きなものから小さなものまで猛烈な数のコレクションで、見応えのある博物館です。ア
ルカ イク期の出土品がこれだけ充実している博物館はそれほど多くあり
ません。ヘラ神殿の重要性が伝わってくるようです。解説パネルも丁寧で見やすくなっていま
す。時間にゆとりを持って、ゆっくり見学したい博物館です。
〈2021.3.25.〉
裏通りのレスト
ラン 街
アイスクリーム
屋
レストランのテ
ラス 席
地ワイン
タラモサラダ
グリルドポーク
牛の頬肉ワイン
煮
帰省中
ピタゴリオの港周辺に軒を連ねているカフェやレストランは、いかにも観光客向けという
趣き です。日中のカフェは海を眺めながらまったりする人でいっぱい。
夜のレストラン街はどこもここ一番の混みようです。ちょっと路地に入ると地元の人でにぎわ
うレストランもあり、概してこういう店の方がおいしくて料金も
リーズナブルに感じられます。目抜き通りにはテイクアウトの店やアイスクリーム屋、軽食を
出すカフェなどがあり、食べるには困りません。
裏の方にある小さなレストランに入って、グリルしたポークやタラモサラダ、牛の頬肉の
ワイ ン煮といった料理をいただきました。小さな店構えの割にメニュー
は豊富です。テラス席は気持ちよく、込み合う前の時間帯はゆったり快適に過ごせます。料理
はどれもていねいに作られ、絶妙な味わいです。ワインはもちろん
地元産、デカンタで頼むとアルミ製のちろりのような容器に入れて供されます。軽くフレッ
シュな飲み口が身上です。
隣のテーブルで楽しそうに食事をしているグループから声をかけられました。ご主人はピ
タゴ リオ出身で、20数年ぶりに帰省したということです。奥さんはサ
モス島の北にあるレスボス島出身、ふたりともアテネで知り合ってずっとアテネに住んでいる
とか。
ご主人がいたころのピタゴリオは、本当に小さな村で何もなかったと言います。今はすっ
かり 様子が変わってしまったとびっくりしていました。
牛の頬肉のワイン煮は奥さんから強くすすめられた一品です。別の日にこれを食べたさに
行っ てみました。フランス料理店で出てくるような強い味つけではな
く、さっぱりとしたワインソースでほろほろと柔らかく煮こんであります。付け合わせのリ
ゾットはぷちぷちと楽しい歯ごたえで、いいアクセントです。帰省中
のみなさんのおかげで、バランスの取れた魅力的な一皿を堪能することができました。
ギロス屋
テイクアウトの
ギロ ス
食料品店
スープとサンド
イッ チ
フェタチーズの
パイ
テラスで軽食
ほうれん草のパ
イ
魚屋で物色中
魚屋の猫
毎度おなじみギ
リ シャコーヒー
わたしが泊まったホテルは朝食なし。ピタゴリオにはそういう宿泊施設が多くあります。
その 代わり部屋にキチネットがついていたので、スーパーで仕入れた食
材で朝食やお昼用のお弁当を作ったり、テイクアウトの料理を温め直したりできてなかなか便
利です。
目抜き通りのギロス屋でギロスのパックを買ってきて、キチネットでさっと作ったサラダ
と一 緒に部屋のテラスでいただきます。もちろん、地ワインと一緒に。
ギロスはドネルケバブのギリシャ版。トルコのドネルケバブは牛とチキンしかありません
が、 ギリシャではポークもあります。総じてトルコのものより塩気や
脂、スパイスが控え目で、ギリシャ版の方が日本人の口に合うような気がします。一人前はか
なりのボリュームです。
ワインはスーパーや食料品店に手ごろな値段のものがたくさん並んでいました。どれがい
いの かわからないので店のおじさんにたずねると、しばし考えて2種類
すすめてくれます。どちらにしようか悩んでいたら、おじさん「両方買えば?」などとなかな
かご商売が上手です。
一般に島は本土より生鮮食品が高めですが、ピタゴリオではとくに生野菜が品薄なよう
で、レ タスやきゅうり、トマトを買うのに何軒かスーパーを回るはめにな
りました。日中はあちこちの見学に忙しく、あらかた品物が売れてしまった夕方にしか買い物
ができなかったせいかもしれません。
レストランでも生野菜のサラダは意外と値が張り、その割に中に入っている野菜の種類が
やや 貧弱という印象がなきにしもあらず。
ギリシャではどこでも必ずパイを売っていて、テイクアウトで手軽に楽しめます。甘いお
菓子 系のものではなく、ソーセージやチーズ、ほうれん草などが入った
塩味系です。種類が豊富で軽食にぴったり。お店によって形やパイ皮の具合もさまざま、どれ
もサクサクパリパリの皮が美味なのでした。 〈2021.3.25.〉
朝のマルマリス港
船着き場へ向かう
マルマリス・ロドス間のフェリー
パスポートコントロール
免税店
船内
ロドス到着
海に面した城壁
ロドス・タウン旧市街
歴史的建造物の商店街
ギリシャのドデカニサ諸島にあるロドス島は、トルコのマルマリスか
ら南
へ約47キロの位置にあります。マルマリスからフェリーが運航しており、夏場は毎日
1往復、1時間ほどの船旅です。2017年のボドルム・コス島に続いて、2018年にマルマリスか
らロ ドス島へ渡ってみました。
マルマリスを出発する時、パスポートコントロールの窓口に大きな注意書きが目に留まり
まし た。「パスポートに『北キプロス・トルコ共和国』のスタンプが押
されている場合には、コス島やロドス島といったギリシャ領には入国できません」という内容
です。
北キプロスはキプロス島北部の地域を指しますが、ここを独立した国と認めているのはト
ルコ だけで、国際社会では国として認められていません。1955年の
ギリシャ系住民とトルコ系住民との対立に起因するキプロス紛争の関係から、現在もこうした
措置が取られています。
ロドス島は長さ約80キロ、最大幅34キロという大きさで、ドデカニサ諸島のなかで一
番大 きい島です。人口は115.290人(2011年)。
ギリシャでも有数の観光地とあって、夏は島のあちこちに点在する美しいビーチめざして
ヨー ロッパから観光客が殺到します。おもな産業は観光の他に農業、牧
畜業、漁業があり、島のワインは名産となっています。
島の歴史は古く、新石器時代から人が住んでいた痕跡がわずかに残されているそうです。
紀元 前10世紀にドーリス人が移住し、イアリソス、カメイロス、リン
ドスといった都市国家を建設しました。前408年に3つの都市国家を統合して、島の北端に
新しい都市国家ロドスを興します。これが現在島の中心となってい
るロドス・タウンです。
島は前357年にハ
リカルナッソスのマウソロスに
征服され前340年アケメネス朝の支配に入りますが、前
332年これをアレクサンドロス大王が解放しまし
た。ヘレニズム時代には地中海貿易の中心地として繁栄し、島の貨幣が地中海全域で流通する
ほどになりました。前167年ローマ帝国に入り、さらにビザンツ
帝国が支配します。1291年ヨハネ騎士団領、1522年オスマン帝国領、1912年イタ
リア領となった後、1948年ギリシャに編入され現在に至ってい ます。
カフェ
観光バス?
ギリシャ正教聖具店
オスマン時代のジャーミー
オスマン式家屋
オスマン時代の水場
野朝顔
アクセサリー店のウインドウ
新市街のビーチ
入り江
エーゲ海の日没
マルマリスを出航した船は、ロドス・タウンの港に到着します。街の人口は49.500
人 (2011年)。船を降りて波止場からぶらぶらと歩いて行くと、城
壁に囲まれた旧市街に入ります。狭い通りに商店やレストラン、カフェが並び、観光客でにぎ
やかです。中世の城塞とオスマン時代の建造物が混在する様子に独
特な雰囲気があります。
城壁を抜けると新市街。近代的なホテルが立ち並び、その向こうに美しいビーチが続きま
す。 街中はもちろん、少し離れるとギリシア・ローマ時代の遺跡も多く
残されています。歴史探訪と海辺のリゾートを同時に楽しめるのがロドス島の大きな魅力と
なっていると言えるでしょう。〈2019.7.30.〉
要塞都市
城内へ至る道
旧市街
どこを見ても石
造り
騎士団長の宮殿
壮大な空間
内部装飾
ラオコーン
観光マップ
ロドス島の中心、ロドス・タウンは中世の色濃く残る街です。旧市街は港に沿ってぐるり
と一 周を堅固な城壁で囲まれ、要所要所にある城門から外に出られるよ
うになっています。東西約840メートル、南北約720メートルに広がる旧市街は、ヨー
ロッパに残る中世の要塞都市としては大きな部類に入るものでしょ
う。中世の街は通常道幅が狭く曲がりくねっていますが、ここは道が比較的まっすぐであまり
道に迷うことがありません。この旧市街は1988年「ロドス島の
中世都市」として世界遺産に登録されました。
ロドス島の中枢として、街の北西に「騎士団長の宮殿」がどっしりと構えています。宮殿
とい うよりも要塞です。
ビザンツ帝国時代の7世紀に軍事拠点として建造され、聖ヨハネ騎士団が島を占有した後
の 1307年、騎士団長の邸宅件騎士団領の行政府として拡張されまし
た。オスマン時代には監獄として使われていましたが、19世紀に弾薬庫の爆発で崩壊、20
世紀になってからイタリアによって再建されました。ムッソリーニ
の別荘だった時期もあったということです。
城壁から連なる外観や宮殿内部は実に壮観です。ヨーロッパに現存する中世の要塞として
は最 大級の建造物ということで、威容を誇っています。イタリアによる
修復にはオリジナルとは違う部分があるという批判的な意見もあるようですが、細部に至るま
でかなり注意深く修復されたように感じられます。
宮殿内にギリシア神話に基づく「ラオコーン像」がありました。トロイアの神官ラオコー
ンと 2人の息子が蛇に巻き付かれている場面を描いたもので、ヘレニズ
ム時代の傑作と目されています。ロドス島出身の彫刻家が制作したと伝えられることから、こ
こロドスに置いてあるのでしょう。同じ作品はバチカン美術館にも
あり、そちらの方が有名です。
観光業が盛んなロドスだけあって、街中にあるツーリスト・インフォメーションがたいへ
ん充 実しています。地図はもちろん、島の文化、歴史に始まり、郷土料
理や特産物、見学のスポットなどについて紹介した詳細なパンフレットが何種類も置いてあ
り、いずれも一般的なガイドブックをはるかに凌駕する質の高さで
す。日本語版はありませんが、主要外国語版がそろっています。これさえあれば、ロドス観光
完璧。
そこで入手した旧市街の地図を見ると、城壁内にある建造物がどの時代のものか色分けさ
れて います。青がヘレニズム時代、赤はビザンツ帝国時代、茶色は騎士
団時代、オレンジがオスマン時代。要塞の街そのものが中世にできたので圧倒的に騎士団時代
の建築が多くありますが、ビザンツやヘレニズムのものも思いのほ
か残っており、激動の東エーゲ海の歴史を実感します。
パナゲア・カス
トロ ウ
内部
イコン
壁の装飾画
中庭
アギオス・エカ
テ リーナ
案内図に載って
いた ヘリオス像
コロナハーバー
マンドラキ港
鹿の像
アフロディテ神
殿
ヘレニズムの港
ヘレニズムの遺
構
詳細不明
ビザンツ時代の建造物として整っているのは、パナゲア・カストロウ教会です。11世紀
建立 の内接十字型教会堂。オスマン時代の1523年から1912年ま
ではイスラム教のモスクとして使われ、イタリア統治時代にはカトリックの教会にもなってい
たようです。何度かの修復や改築を経て、現在はイコンなどを展示
する博物館になっています。
それより後の14世紀に建てられたアギオス・エカテリーナ教会は廃墟のような状態です
が、 観光客が見学に訪れていました。
さらに時代をさかのぼってヘレニズムの遺構をたどってみます。
ロドス・タウンの港には古代世界七不思議のひとつ、「ロドスの巨像」がありました。こ
れは 本体34メートル、大理石の台座を入れると50メートルの高さに
なる太陽神ヘリオスの銅像で、港の入口をまたぐようにそびえ立っていたと伝えられます。前
284年、アレキサンドロスの後継者争いに関係する攻防に勝利し
た記念として、ロドス島はリンドスのカレス設計によって建てられたものです。建造には12
年かかりました。しかしその後、前226年の地震で倒壊、材料の
青銅は鋳つぶされ売却されてしまいました。
ギリシア神話によると、ヘリオスは毎朝4頭立ての黄金の戦車を駆り、東から西へと天空
を横 切り、夜には大洋を航海して東に戻るとされています。太陽神とい
うと音楽と予言の神アポロンが思い浮かぶため、混同されることもあるようです。
この巨大なヘリオス像が残されていないこともあって、後世の人々はさまざまに想像力を
かき たてられました。その像は頭上に冠を頂き、器を手にしていたとい
う考えが多いようです。この器に煮えたぎった油や鉛を入れ、不法に港に侵入してくる船めが
けてからくり仕掛けで攻撃したという説もあります。とんだ「股く
ぐり」といったところでしょうか。
現在の研究では、実際にこの像が港をまたぐのは構造的に不可能だったと考えられていま
す。
ヘリオス像がどこにあったのかは、はっきりわかりませんでした。ロドス・タウンにはコ
マー シャルハーバー、コロナハーバー、マンドラキハーバーと3つの港
があり、地形と名前からするとおそらくコロナハーバーではないかと考えて写真を撮ってみま
した。
しかし旧市街から少し離れたマンドラキ港に回ると、港の入口に2頭の鹿のモニュメント
が見 えます。あるいはこちらに巨像が建っていたのかもしれません。鹿
はロドス島のシンボル。その昔蛇が多くて困っていたところに鹿がやってきて、それから蛇が
いなくなって助かったというお話があるそうです。
ちょうど巨像が建造された前3世紀ごろ、街の北東にアフロディテの神殿が建立されまし
た。 砂岩でできた神殿に祀られていたアフロディテ像は、現在考古学博
物館で見ることができます。
城壁内の一番東の端にはヘレニズム時代の港の遺跡が残ってます。かつて海だったところ
がい くらか後退し、ビザンツ時代か中世にはすでに城壁の内側になって
いたということでしょう。
ビザンツ時代やヘレニズム時代の遺構は、旧市街のあちこちに点在しています。しかし解
説パ ネルなどがないものも多く、目の前の遺跡が何だったのかはっきり
特定することができません。中世の街を歩いていると、突然それよりはるかに古い時代のもの
だろうと思われる何かの遺構が出現します。このいきなり歴史の交
錯する感覚が、ロドス・タウンの独特な面白さだと感じました。
スレイマン・モ
スク
イスラム・ライ
ブラ リー
ライブラリー内
部
イポクラトス広
場の 噴水
オスマン様式の
市場
元ハマム
城外にあるオス
マン 様式の豪邸
シナゴーグ
コマーシャル
ハー バー近くはおだやか
旧市街
新市街のビーチ
島の北側は波が
荒く
ビーチ沿いのホ
テル 街
落日
さて、今度はひるがえって中世以降にできた街の様子です。オスマン時代の建造物はそれ
まで の建物と様式がまったく違うのですぐわかります。スレイマン・モ
スクはオスマン軍がロドス島を占領した1522年に建立。軍を率いた当時のスルタンの名前
が冠されています。ロドス島で一番最初に建てられたモスクで、
1808年に改築されました。
イスラム・ライブラリーがすぐ向かいにあり、美しい手書きのコーランなどが飾られてい
ま す。外は観光客があふれるにぎやかな通りですが、ライブラリーの中
はひっそりと静かで落ち着いた雰囲気です。
オスマン様式の市場は城外の海岸沿いにあり、現在はカフェや土産物店などが入っていま
す。 他にも路地を歩いて行くとハマムの廃墟があったり、広場の噴水が
オスマン時代のものだったり、公園の中にぽつんと水場があったり、あちこちでその時代の痕
跡を見ることができます。
街全体が中世の建造物でがっちりと固められているため、後になって違う様式の建物が入
り込 む空間が少なかったのかもしれません。オスマン時代の建物は、独
立した建造物であることが多い印象を受けます。
旧市街の南東、細い路地を入ったところにユダヤ教の会堂がひっそりと建っています。こ
のカ ハル・シャロームは1557年建造、ギリシャで最も古いシナゴー
グです。かつてロドスにはユダヤ人が多く住んでおり、20世紀初頭には街の人口の約3分の
1を占めていました。しかし第2次大戦時にそのほとんどがホロ
コーストへ送られ、現在はごく少数しか住んでいないということです。ここを訪れたのはユダ
ヤ教の安息日に当たる土曜日だったので、中に入ることはできませ んでした。
ロドス・タウンは見るべき場所が旧市街にぎゅっと詰まっています。主要な見どころがす
べて 徒歩圏内というのも嬉しい限りです。実際に街を歩いて歴史的な空
間を体験するには絶好の街といえるでしょう。日本ではあまり知名度が高くないようで、それ
が不思議に感じられました。
〈2019.8.26.〉
(ロドス・タウン補足)
・騎 士団長の宮殿 Palace of the
Grand Master of the Knights
月曜日休館・夏期8:00〜16:00、冬期8:00〜14:40
・パナゲア・カストロウ教 会 Panagia tou
Kastrou ( Our Lady of the Castle )
月 曜日休館・9:00〜17:00
・ス レイマン・モスク Suleiman Mosque
日 曜日休館・9:30〜15:00
・イ スラム・ライブラリー Muslim Library
日 曜日休館・9:30〜16:00
・カハル・シャローム(ユダヤ博 物館) Kahal Shalom
Synagogue ( the Jewish Museum of
Rhodes )
土 曜日休館・10:00〜15:00
ここで取り上げた他の遺跡や遺構は無人で、自由
に見 学できました。〈2019.9.1.〉
堂々とした博物
館
ヘレニズム後期
のラ イオン像
湯浴みするアフ
ロ ディテ
背面
ゼウス小像
ヒュギエイア
ヒュギエイアの
持つ 蛇
ヘリオス頭部
アフロディテ
岩に腰掛けるア
フロ ディテまたはニンフ
広間
天窓
ヘレニズム後期
のレ リーフ
年代不詳
無休・夏期:8:00〜20:00・冬期:8:00〜15:00
騎士団長の宮殿から、堅牢な建物が連なる中世そのままの道を東に進むと考古学博物館が
あり ます。ここは聖ヨハネ騎士団の病院として15世紀に造られた建物
で、イタリア統治時代の1913年から1918年の間に修復されて博物館となりました。
ロドス・タウンを始め、イアリソスやカミロスといったロドス島にある古代都市から発掘
され たものが収蔵されています。前9世紀の古典期からギリシア、ヘレ
ニズム、ローマ、ビザンツ、中世まで、各時代の彫像、陶器、副葬品、ガラス製品、モザイク
画など、どれも貴重なコレクションです。展示品の他に建物そのも
のも興味深く、たいへん充実した博物館となっています。
小ぶりの彫像はどれも保存状態が素晴らしいものばかりです。
とりわけ「湯浴みするアフロディテ」は「ロドスのビーナス」とも呼ばれる名作とされ、
完成 度が非常に高い彫像です。白い大理石の肌がなめらかに輝いていま
す。これは前3世紀の作品を模して前1世紀に造られました。こうした彫刻は裕福な人々の邸
宅の庭や人口の池などに飾られていたということです。
ゼウスの小像は島の西側にある古代都市カミロス出土、ヘレニズム後期のもの。
医神アスクレピオスの娘ヒュギエイアは健康と衛生を司る女神で、後2世紀中葉の彫像。
手に した器(杯)と蛇がほぼ完璧な状態で残されています。蛇は再生の
象徴とされ、蛇の巻きついた杯は薬学のシンボル「ヒュギエイアの杯」と呼ばれるようになり
ました。
ヘレニズム中期のヘリオス像は頭部しか残っていませんが、神殿の破風に飾られていたと
考え られています。ロドス・タウンは港をヘリオスに守られている街で
した。地中海文化圏でよく見られるアレキサンドロス大王と面影が似ているようです。
もうひとつの小さなアフロディテ像は、典型的な「ロドスのアフロディテ」の姿を見せて
いま す。ロドス・タウン西岸の海底で発見されたもので、これは装飾品
ではなくヘレニズム初期に実際の信仰の対象になっていた可能性があるということです。
腰掛けるアフロディテまたはニンフは前2世紀から前1世紀の作。
陶器の展示室
赤絵式
黒絵式
中庭に咲くブー
ゲン ビリア
モザイク画
トリトン
狩りから戻るケ
ンタ ウロス
蛇の柱
庭の小径
オスマン時代の
水場
オスマン式のサ
ロン
「七変化」とも
呼ば れるランタナ
陶器のコレクションも見事です。
黒地に赤で絵柄が描かれているものは赤絵式と呼ばれます。演劇と酒の神ディオニュソス
が右 側の人物を祝福している場面です。ふたりとも松かさのついたディ
オニュソスの霊杖を手にしており、まわりにはこの神の標章とされるツタのモティーフが見ら
れます。イアリソス出土、前540年。
もう一方は赤地に黒で描かれた黒絵式です。これもディオニュソスにまつわる一場面で、
踊る 信女とサテュロスの間にディオニュソスが立っています。赤絵と同
じイアリソス出土、こちらは前470年から450年のものと解説にありました。
一般的に黒絵の方が古くからあり、赤絵は後に伝えられたとされていますが、この二点に
関し ては時代が逆転しています。絵柄としては、黒絵の方に古風な雰囲
気が漂っているようです。いずれにせよ、イアリソスでは古くからディオニュソス信仰があっ
たことがうかがえます。
屋内の展示室から屋外に出る回廊があり、大型のモザイク画が展示されていました。
1972年、街の西にある初期キリスト教のバジリカの下から発見された前3世紀のもの
で す。黒やグレイ、白の細かいモザイクが精緻なスケッチ画を思わせま
す。この時代のモザイクでこの大きさのものはあまり見る機会がありません。保存状態も申し
分なく、大変貴重なモザイク画といえるでしょう。
トリトンは海神ポセイドンの息子で半人半漁の姿をしていますが、ここでは翼や角も加わ
り、 左手に舵の柄を持っています。周囲を縁どるのはアカンサスなど植
物のモティーフや波の文様です。
もうひとつは狩りから戻る半人半馬のケンタウロス。ツタの冠をいただき、獲物の野ウサ
ギを 掲げています。
この回廊からさらに中庭に出ることができました。表通りは石造りの壁が隙間なく連なっ
てい るばかりなので、敷地内にこんな広い庭があるとは想像もできませ
ん。ちょっとした散策気分が楽しめます。
無造作に置かれた蛇の柱は解説も何もありませんでしたが、アスクレピオスに関連する場
所か ら運ばれたものかもしれません。展示物というより素敵なエクステ
リアといった雰囲気です。
オスマン時代の名残の水場では実際に水がちょろちょろと流れ出し、周囲は水を好むシダ
類が 茂っていて何とも涼し気。その奥の建物にはオスマン式のサロンも ありました。
さすがにこのあたりまで見学に来る人は少ないようで、人影がまったくありません。緑豊
かな 中庭でほっと一息つけるような静けさでした。 〈2020.2.24.〉
アクロポリスの
アポ ロン神殿
神殿東のアゴラ
テラスとオデオ
ン
修復は完璧
広大な敷地の向
こう にエーゲ海が
競技場
観客席
資料館のパネル