トルコのボドルム港
コ
ス島 行きフェリーボート
ト
ルコ 側免税店
ト
ルコ 領
ギ
リ シャ領
コ
ス港 と騎士団の城
コ
スタ ウン
リ
ゾー トの雰囲気
トルコのエーゲ海地方にあるリゾート地
ボド
ルムか ら、フェリーで約45分、
わずか5キロほど海を渡るとギリシャのコス島です。島影がボドルムの港から見
え
るほど近くにあります。夏場は毎日船が運航しており、日帰りで往復する観光客
でにぎわっています。
2017年9月、ボドルムからコス島へフェリーで渡ってみました。ちょう
どそ
の前の7月20日この地域一帯でM6.7の地震が起き、2人が死亡、20人が
負傷しました。島の人にたずねると、古いジャーミーの塔やローマ遺跡の柱
が倒
れたりしたものの、現在は日常生活にまったく問題はないということでした。
東西40キロ、南北8キロという細長いコス島は、ドデカニサ諸島のひと
つ。青
い海と空が広がり、美しいビーチが続く夏の穴場的リゾート地として人気があり
ます。人口は約3万人。観光が主な産業で、葡萄、アーモンド、いちじく、
オ
リーブ、トマト、レタスなど農業も盛んです。シーザースサラダによく使われる
ロ
メインレタスは別名「コスレタス」とも言われ、この島が原産だとされていま
す。
島には先史時代から人が住んでいましたが、前11世紀にドーリア人が入植
(カ
リア人が住んでいたという説もあり)、その後ペルシアの支配下に置かれ、前
336年アレクサンドロス大王による占領後、プトレマイオス朝を経てロー
マ帝
国の属州となります。エーゲ海貿易の要所として栄え、とくに繊細な絹製品は珍
重されたということです。
その後ヴェネツィア人から島を譲り受けたロードス島の聖ヨハネ騎士団が
1315年に支配、1523年からオスマン帝国領となり、1912年イタ
リ ア、さら
にドイツ、英国保護領を経て1947年ギリシャ領となりました。島にはこうし
た歴史を物語るさまざまな遺跡が残されています。医学の父と呼ばれるヒポ
クラ
テスHippocrates(前460年頃〜前370年頃)はこのコス島で生
まれました。
地
震で ミナーレが崩れかかったジャーミー
オ
スマ ン時代のお墓
改
築さ れたオスマン時代のハマム
荒々
し い波
街
路樹
瞑
想猫
コ
ス側 免税店
ボ
ドル ム行きフェリーボート
船
内
ク
ルー ズ船停泊中のコス湾
ところで、2015年9月、シリア難民の男の子の遺体がボドルムの浜辺に
打ち
上げられた写真が報道されました。この3歳の男の子は家族とともに内戦のシリ
アからトルコへ逃れ、さらにボドルムからコス島へ渡ろうとする途中で、
乗って いたゴムボートが転覆して溺れてしまったのでした。
この時期はトルコ南西部沿岸からギリシャへ渡り、バルカン半島を北上して
EU
の主要都市をめざす難民がギリシャの島々に殺到したころです。海を渡るばかり
ではなく、イスタンブールの西にあるトラキア地方を経由して陸伝いにギリ
シャ
に入ろうとする難民も多くいました。トルコとの国境に近いアレクサンドルポリ
に住む知人から、街には難民があふれているという話を聞いたことがありま
す。
2015年だけでコス島にたどり着いた難民は3万人を越え、その後も増え
続け
ていました。3万人とは島の人口とほぼ同じ人数です。それだけの難民を受け容
れる施設も何も、島にはありません。ギリシャ政府は当時深刻な財政危機の
真っ
ただ中でした。行政からの援助はなく、地元住民やNGOが物資や医療を支援す
るばかりです。難民はテントや空き家となったホテルに住みつき、国連難民
高等
弁務官事務所(UHNCR)が行う難民申請の手続きを待つしかありませんでし
た。
その後ギリシャ政府はエーゲ海域の島々の窮状を受け、人員と資材の投入を
決 定、EUからの緊急支援を求めたということです。
翌2016年3月、EUとトルコは、トルコからギリシャへ渡った不法難民
を審
査の上トルコへ送還するという合意を結びます。欧州に流入する不法難民の抑制
対策です。その結果、ギリシャを通過するいわゆる「バルカンルート」は事
実上 閉鎖されました。
トルコのボドルムからフェリーに乗った時のことです。ボドルム湾を出るま
で、
波は静かでほとんど揺れも感じません。しかし沖に出るとトルコ側から吹きつけ
る風がにわかに強くなり、海面には三角波が立っています。飛び散る波しぶ
きと
風が冷たくて、外のベンチに座っていられません。お天気が安定している夏でこ
の状態です。海が荒れる冬には極端にフェリーの便数が減るのも理解できま
す。
島が見えるほど近くにあるからといって、ここをゴムボートで渡るのがどれ
ほど 危険なことであるかと実感しました。
コス島に殺到した難民が、その後どうなったのかはわかりません。2017
年に
わたしが訪れた時、街は何事もなかったかのように平和に見え、各国からの観光
客が楽しそうにバカンスを謳歌していました。〈2018.5.31〉