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イスタンブールの日々・その3  〈2014.11.1.〜2016.5.1.〉

  イスタンブールの日々・その3



ノスタルジック・トラム

2014年11月、短い滞在ですがイスタンブールにやって来ました。しばらくご無沙汰していたら、いろいろなところがちょっとづつ変わっているようです。 イスタンブールが現在進行形の街であることを実感します。その2に引き続き、街の様子をお伝えしていきます。
到着して間もない11月10日は「アタテュルク追悼の日」でした。1938年のこの日 に亡くなったトルコの初代大統領ムスタファ・ケマル=アタテュルクを 追悼する日です。新市街のイスティクラル通りを走る路面電車は、トルコ国旗柄の電飾に輝いていました。〈2014.11.21.〉



  マルマライ
 


マルマライ



車両脇にでかでかと



イェニカプ駅のエスカレーター





壮大な駅構内



自動改札の扉もおしゃれ

2013年10月29日、イスタンブールのアジア側とヨーロッパ側を結ぶボスポラス海峡横断鉄道「マルマライ Marmaray 」が開通しました。開通記念の式典には安倍首相も招待されて日本でも大 々的に報道されたので、ご記憶の方もいらっしゃるでしょう。
潮流の早い海峡にトンネルを掘って横断するという一大事業は、オスマン時代の1860年から計画があったそうです。「トルコ150年の夢」と呼ばれる由縁 です。技術的に一番難しい海底トンネル部分は大成建設施工。開通して約1年、乗客数は5千万を超えたそうです。
「マルマライ」とはマルマラ海Marmaraと線路rayをかけたネーミングです。現在は全長13.6kmで駅は5つしかありません。2つの始発終着駅で は地上に出ますが、他の部分は地下を走っています。とはいえこれはイスタンブール市営のメトロではなく、トルコ国営鉄道です。近い将来には、今まで使われ ていた近郊路線部分も含めて76kmになり、最終的に現在建設中のアンカラ・イスタンブール間高速列車と連絡するということでした。
海底トンネル部分はシルケジ駅からウスキュダル駅の間で、わずか4分。今までわざわざ船に乗り換え、20分ほどかけて海峡を往来していたことを考えると、 信じられない速さです。全行程乗っても18分しかかかりません。運行時間は朝6時から夜12時まで。時間帯によって6分から10分間隔で走っています。



改札内にある発掘現場の模型



ホーム



車内



車内の駅案内パネル



アジア側の始発終着駅



ヨーロッパ側の始発終着駅

マルマライは2004年に着工、2009年に完成する予定でした。それが大幅に遅れたのは、海底トンネルのヨーロッパ側終着点付近でビザンティン時代の遺 跡が次々と見つかったため、その調査発掘で工事がストップしたからです。さらに発掘を進めると、紀元前5000年前にすでにここに人が住んでいたことを示 す遺物も発見されました。これらの出土品はイスタンブール考古 学博物館に展示されています。
ヨーロッパ側のイェニカプ駅構内は必見です。とても国鉄駅とは思われない壮大さで唖然とします。かつてアジア側の始発終着駅だったハイダルパシャ駅(現在 は廃駅)も素晴らしい建築物ですが、こちらも負けていません。モダンなデザインを取り入れつつ、そこはかとなく歴史を感じさせる雰囲気です。改札内部に出 土品とともに発掘現場の模型も飾られていました。
ホームに降りてまたびっくり。古代文明をモティーフにしたレリーフが壁に掛かっています。ライティングも美しく、ちょっとしたギャラリーのような演出で す。車両内はぴかぴかでメタルとブルーの組み合わせがかなりクール、近未来的なイメージでまとめられています。車内のテレビでは、「写真を撮る際はよろけ ないように」という注意書きが映ります。記念写真を撮っていてずっこける人が続出したのでしょうか。
アジア側の始発終着駅はアイルルック・チェシメシ駅Ayrılık Çeşimesi。ハイダルパシャ駅から奥まったところにあって付近は殺風景ですが、目の前に巨大なショッピングセンターができています。ヨーロッパ側の 始発終着駅はカズルシェシメ駅Kazlıçeşime。こちらも風光明媚な場所とはいえないものの、ホームの先にイェディクレや城壁が見えました。
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メトロのイェニカプ駅入口



駅構内



メトロのホーム



メトロ車内



ハリチ駅ホーム



金閣湾の上から見たガラタ橋



ガラタ橋から見たハリチ駅

マルマライ開通にともない、ヨーロッパ側新市街を走るメトロM2号線が延長されて旧市街のイェニカプまで直通となりました。イェニカプ駅は場所的にアクサ ライに近いところで、ここでマルマライに乗り換えることができます。こちらのホームもスタイリッシュなデザインで素敵。やたら高い天井などにマルマライの イェニカプ駅との連続性を感じます。
マルマライは海峡をトンネルで渡りますが、M2号線の方は金閣湾の上を鉄橋で渡ります。何と湾の真ん中にハリチHariç駅があり、そこから新市街側と旧 市街側に歩いて行けるようになっています。この鉄橋ができたおかげで金閣湾の眺望がだいぶ変わってしまい、地元の人々には賛否両論あるようです。
ところで、メトロに乗っていると駅や橋の全貌が見えません。別の日にガラタ橋から写真を撮りました。中央にあるのが駅ですが、全体を半透明のボードで囲っ てあるため霞んでいるように見えます。左側に走っていくメトロの車両も、いまひとつはっきりしませんでした。駅の下に見えるのは、鉄橋の向こう側にあるア タテュルク橋。

マルマライも新しいメトロも、アジア側に住んでいてヨーロッパ側にお勤めのひとにはたいそう便利な路線です。新しい電車は乗物好きにはうれしいもので、用 もないのに行ったり来たり、思わず何回も往復してしまいます。しかし実際の観光にはそれほど影響ないのではないでしょうか。急ぐ旅でなければ、やはり従来 通りシルケジ駅近くのエミノニュから連絡船に乗り、アヤソフィヤやトプカプ宮殿を眺め、チャイを飲みながらのんびり海峡を渡る方が風情があるように感じま す。〈2014.11.21.〉



  第9回コンテンポラリー・イスタンブール





ふたつのエントランス





会場のブース







なかなかいい感じです



日本から出展

2014年も11月13日から16日まで、コンテ ンポラリー・イスタンブールが開催されました。これは大手銀行主催の現代芸術見本市のようなもので、毎年恒例となっています。この催しに連動し て、市内のあちこちで現代美術展が繰り 広げられる模様です。
今年はトルコを含めて22カ国、105のギャラリー、520人のアーティストが参加。トルコの他にアメリカ、英国、ドイツ、フランス、イタリア、スペイン といった欧米諸国の各都市を始めとして、ロシア、アラブ首長国連邦、イラン、アゼルバイジャン、韓国、中国などのギャラリーも見られました。昨年から福岡 のギャラリーも出展しているそうで、日本人の作品はトルコというよりもヨーロッパで人気があるということでした。



天然石使用



ビデオ・アート



パロディ風絵画も



巨大作品



一家で観賞



ミクストメディア



配置具合の妙

会場は新市街タクシム広場からほど近いイスタンブール・コングレス・センターİstanbul Kongre Merkesi とイスタンブール・コンベンション・アンド・エキシビション・センターLütfi Kırdar Uluslararası Kongre ve Sergi Sarayı です。コングレス・センターはトルコ最大級のセンターで、地下5階でコンベンションセンターとつながっています。このあたりは海峡を見下ろすロケーション にあり、センター前の広場は散歩をしながらゆったりと景色を楽しめる場所です。
コングレス・センターに隣接するイスタンブール市立劇場Harbiye Muhsin Ertuğrul Sahnesiは2010年にリニューアルされました。こぢんまりとしたジェマール・レシット・レイ・コンサート・サロンCemal Reşit Rey Konser Salonu も含めて、このエリアは広大な面積を誇る一大センター地域となっています。

展覧会の入場料は20リラ(約1100円)。入口で教員か学生かと聞かれたので、自分の国では教員だと答えると、割引で12リラ(約660円)になりまし た。確認書類の提示を求められましたが、身分証は顔写真入りとはいえすべて日本語で書いてあります。どうするかと思ったら、係員はちらっと見ただけでおし まいです。外国の教員や学生でも割引するというところにおおらかさを感じました。
わたしがこの展覧会を最初に見たのは2009年のことです。その後何回か見る機会はあったものの、あまりぴんと来なくてちょっとがっかりでした。しかし今 回のトルコ勢は、以前に比べるとはるかに「コンテンポラリー」になっています。美術の授業で描くような油絵が少なくなり、抽象画、ミクストメディア、写 真、映像作品などがぐっと増えました。絵の場合は全体に色使いも明るく、透明感が出てきたようです。



イタリアから出展











作品いろいろ



キッズツアー

前回このページでコ ンテンポラリー・イスタンブールをご紹介したとき、カーテンがかかっている展示ブースがあったと報告しました。性的なテーマの作品だっ たからだと思われます。今回はそれよりもはるかに露骨なモティーフの作品が堂々と展示されていました。イズニックタイル風の柄が使われていますが、出展は イタリアからで作者はトルコ人ではありません。カーテンで作品を隠す必要がなくなったというところにも、展覧会そのものの進化の度合いが反映されているよ うに感じます。
「マザー牧場・ジャージー牛乳」にはちょっとびっくりしました。日本ではなくトルコからの出展。牛乳瓶や牛乳パックは、昔縁日で売っていたおままごとセッ トにあるような小さい模型です。塗料が少しはげていて、だいぶ年季が入っています。いったいどこからこんな物を持ってきたのでしょうか。

会場では子供たちのためのツアーも用意されていました。このなかから将来の芸術家(ダダイスト?)が育つかもしれません。しかし当人たちは配られたお菓子 の箱に夢中の様子です。それでも先生の解説を聞いてあれこれ質問したり、楽しそうに現代芸術に親しむ姿が見られました。〈2014.12.20.〉










ハードロック・カフェ・イスタンブール

2014年9月27日、あのハードロック・カフェのイスタンブール店がオープンしました。ついに、というかやっと、というか。早速今回行ってみました。新 市街イスティクラル通りの中ほど、ガラタサライ高校の前を入ったところにあります。1896年にトルコで初めて映画がかかった場所だそうで、たしかにたい へん趣のあるシックな建物です。
ハードロック・カフェは世界中に展開するアメリカ資本のカジュアルレストランで、店内のロック関係ディスプレイが有名。カフェに併設するショップで販売し ているピンバッチやシャツなどに人気があります。現在は59カ国に145のカフェ、21のホテル、10のカジノがあるということです。日本にも六本木や上 野駅など、いくつか支店があります。第1号店は1971年のロンドンでした。
限定販売のピンバッチは別にして、基本的にTシャツなどはどこで買っても同じものですが、ロゴマークの下にその支店の名前が入っているので海外旅行のお土 産になります。かくして、世界各地の名前の入った同じTシャツが何枚もタンスにある…ということになるわけです。
ところでこの店ができる数年前、露店で「ハードロック・カフェ・イスタンブール」とあるTシャツを見かけました。ロゴマークもほぼ同じ。いわゆる海賊版で す。正規店ができた今となっては、その海賊版も姿を消したことでしょう。考えようによってはそっちの方がレアだったかもしれませんね!? 〈2014.12.20.〉



  ゾルル・センター
 






地下のフロア

イスタンブール市内には、あちこちに大型ショッピングセンターがあります。それぞれおしゃれ系、庶民派、高級路線といった具合に、対象とする客層によって テナントのラインナップが異なり、センター内の雰囲気もそれに応じてさまざまです。
数あるセンターのなかでもずば抜けてゴージャスなのが、2014年春にできた「ゾ ルル・センターZorlu Center」でしょう。文字通りぴっかぴかの欧米高級 ブランドが目白押し。トルコで初めてオープンしたアップルストアもここにあり、開店当時は話題になりました。
高級ブランド志向のショッピングセンターといえば「イスティンイェ・パルクIstinye Park」がありますが、これは郊外にあってアクセスがちょっと不便でした。その点ゾルル・センターは新市街のメトロ駅メジディエキョイ Mecidiyeköy から地下連絡通路があり、簡単に行くことができます。







地上階

贅沢に空間を使ったフロアは地下階を含めて4つ、約180店舗が入り、劇場やシネコン、オフィス、レジデンスが併設されています。地下階から地上階に行く にしたがって、ブランドの格が上がっていくような感じです。他ではあまり見かけないトルコブランドの宝飾品ブティックなどもあり、目の保養になります。め ずらしいところでは、イタリアの食材や日用品を扱うスーパー形式の店というものも。何軒もあるレストランやカフェはしゃれた構えで、ゆっくり食事が楽しめ るようになっています。普通ショッピングセンターのなかでアルコールを出す店はあまりありませんが、ここでは昼間からワイングラス片手にくつろいでいる人 々が目につきました。〈2015.1.25.〉



  朝の玉子料理
 


スジュックル・ユムルタ



  マックのエッグマフィン

トルコの朝食は塩味の効いた白いフレッシュタイプのチーズ(ベヤズ・ペイニル)、黒や緑色のオリーブ、スライスしたきゅうりとトマト、パン、バター、ジャ ム各種、チャイというのが定番ですが、それに玉子料理がつくこともあります。万国共通ゆで玉子の他に、スジュックル・ユムルタsucuklu yumurta が代表的です。
これはスジュックというスパイスたっぷりの牛肉ソーセージを炒めて目玉焼きに添えたもの、いわばトルコ版ベーコンエッグという感じでしょうか。もちろんト ルコでは豚肉製品のベーコンは使わないので、その代わりにスジュックを使います。マックの朝食メニュー「エッグマフィン」は、このスジュックル・ユムルタ をマフィンにはさんだものです。コーヒー付きで4.50リラ(約250円)。写真は現物ではなく、店先のウィンドウに貼ってある広告です。
スジュックは中央アナトリアにあるアフヨンAfyonの名物ですが、トルコ全土で食べられます。見た目は直径3、4センチほどのサラミに似ていて、丈の長 いものは肉屋で切り売りしています。フライパンで焼くとじわじわと脂がにじんでくるというシロモノで、スパイスの匂いも独特です。アフヨンでは直径が50 センチもあろうかというスジュックをドネルケバブのようにぐるぐる回しながら焼き、薄く削いでパンにはさむというスジュックドネルのスタンドを見かけまし た。
目玉焼き以外にスジュックを使う料理はないようですが、これをもやしやキャベツと一緒に炒め、ちょいとお醤油をたらすと白いご飯のおかずにぴったりです。 そういう食べ方を考えつくのは日本人だけかもしれませんが…。



  メネメン



  ボレッキ

もうひとつの代表的玉子料理にメネメンmenemen があります。これはざく切りにしたトマトやみじん切りの玉ねぎ、ピーマンを炒め、溶き玉子を入れてささっとかき混ぜたものです。玉子はスクランブルエッグ よりはるかに柔らかい半熟状態というか、トマトから出る水分のせいで全体にとろっとゆるい感じになります。単純な料理ですが、野菜の甘みと半熟玉子が相 まって深い味わいがあります。赤唐辛子の粉を振ってぴりっと辛いのがアクセントです。メネメンもスジュックル・ユムルタもサハンsahan という玉子料理専用の小さな鍋を使い、鍋ごとテーブルに運んで熱々をいただきます。
ボレッキborek は玉子料理ではありませんが、やはり朝食によく食べられます。小麦粉を練って薄くのばしたシート状のユフカを、玉子やヨーグルト、溶かしバターを混ぜたも のに一枚ずつ浸して重ね、間にベヤズ・ペイニルやパセリなどを入れてオーブンで焼いたものです。
ボレッキには挽肉入りやほうれん草入りなどさまざまなバリエーションがあり、家庭でもよく作られます。街にもボレッキ屋がたくさんあり、直径1メートルも ありそうな金属製のお皿で焼き上げ、それを適当な大きさに切り分けて売っています。各店で味や中身の配分が違い、地元のひとたちにはそれぞれお気に入りの 一軒があるようです。毎朝ボレッキ屋の店先で、出来たての暖かいボレッキとチャイをいただいてから出勤、というひとの姿をよく見かけました。 〈2015.1.25.〉



  イスタンブールのシャコ



魚屋の店先で



生の状態



茹でたて



完成!

ガラタ橋のたもと、金閣湾の新市街側沿岸に小さな魚市場があります。観光地に近いせいかツーリストも見物に来ますが、地元の魚好きが新鮮な魚を買いに訪れ る場所です。
ここでシャコを見つけました。日本で生のシャコにお目にかかることがあまりないので、並んでいるのを見ても一瞬何だかわかりませんでした。だいたい日本の ものより大ぶりで、どれも長さ18センチはありそうです。「エネルギーの貯蔵庫」という但し書きがついています。新鮮そうだし、1キロ15リラ(約825 円)というので買ってみることにしました。20匹買って17リラ。お釣りの小銭がなかったようで15リラに負けてくれました。
早速アパートに持ち帰って塩茹でにします。身は茹でてもあまり赤紫色になりません。さあ、それからが大変。脚や頭を取るのにキッチンばさみを使いますが、 細いトゲ状の突起物があちこちについているため、剝いているうちに指が穴だらけです。殻を無理にはずそうとすると、身がちぎれてしまいます。さんざん苦労 してむき身をお皿に並べました。身はかなり大きく、日本のお寿司に載っているものの2倍くらいはありそうです。
茹でたてのシャコ、その味わいはじつに素晴らしいものでした。濃厚な甘みがあってジューシー、蟹にも匹敵するおいしさに感動します。苦労した甲斐があると いうものです。まさかイスタンブールで新鮮なシャコを味わえるなんて、思ってもみませんでした。
トルコ語の名前を聞いたら「パヴルヤPavurya」と言われましたが、パヴルヤは蟹のことでシャコとはちょっと違います。確かに味はよく似ていますが。 トルコで海老以外の甲殻類はそれほど馴染みがないので、他はひっくるめて全部「蟹」扱いなのかもしれません。実際にいつも魚屋に並んでいるわけではなく、 現地の人が頻繁に食べるということもなさそうな雰囲気でした。〈2015.1.25.〉



  音楽会いろいろ



コンサートサロン



広々としたホワイエ

イスタンブールでも、秋から春にかけての音楽会シーズンにはあちこちでコンサートが開催されます。今回はちょうどシーズンにかかっていたため、短い滞在で したが何回か行くことができました。おもな会場はアパートから近いジェマール・レ シット・レイ・コンサートサロンコンテンポラリー・イスタンブルの会場に隣接する座席数860 のホール です。
ここは1989年イスタンブールで最初にできた器楽演奏専門のホールで、トルコ現代音楽のパイオニアと目される作曲家ジェマール・レシット・レイ Cemal Reşit Rey (1904-1985)の名前がついています。少し古い建物なので、日本のホールのような素晴らしい音響というわけにはいきませんが、小編成の室内楽には ぴったりの大きさです。
西洋音楽からトルコ伝統音楽、ジャズ、ダンスなど、バラエティ豊かなプログラムがシーズン中ほぼ連日のように並びます。チケットの料金体系は世界的に有名 なメジャー奏者でもだいたい25リラ(約1250円)から80リラ(約4000円)。たとえばベルリンフィルのトップフルート奏者エマニュエル・パユのソ ロコンサートや、ロン・カーター率いる「ゴールデン・ストライカー・トリオ」(2013年)もこの金額でした。特別なガラ・コンサートとか、大がかりなダ ンスカンパニーなどの場合は最高が140リラ(約7000円)ということもありますが、とても希なケースです。市営ホールの独自企画だから可能な料金なの かもしれません。1階ホワイエはギャラリーになっており、毎回写真や絵画などが展示されています。開演前のひとときや休憩時間にも退屈することがありませ ん。



ボロディン・カルテット



アルモニア・アテネア



クロノス・カルテット



クロノスのステージ装備



パギャグニーニ・カルテットのパンフレット

ボロディン・カルテットは1945年旧ソ連時代から続く名門カルテット。この数年は毎年イスタンブールで公演しています。プログラムはモーツァルト15 番、ショスタコーヴィッチの1番、ボロディンの2番。しかし観客の入りは3分の2程度で、何とももったいない限りです。演奏が素晴らしかっただけに、なお さら残念な思いがしました。

アルモニア・アテネアはゲオルゲ・ペトロウ率いる古楽器アンサンブルで、1991年の結成です。
名前の通りアテネを拠点として活動している楽団。プログラムはハッセ(1699-1783)のオペラ作品のアリアやコンチェルトなど、古楽器にふさわしい 演目です。歌手はクロアチア生まれのカウンターテナー、マックス・エマヌエル・ツェンチッチ。
ヨーロッパ古楽器の公演はイスタンブールでも数が少なく、日本で人気のあるシギスヴァルト・クイケンのラ・プティット・バンドが数年前にカトリック教会で 演奏したときは大盛況でした。今回はカウンターテナー共演というのもめずらしく、聴衆がどんな風に受け容れるのか関心がありました。
観客の入りは何と半分。とはいえたいへん熱心な聴衆ばかりで、熱烈な拍手をさかんに送っています。ツェンチッチのコロラトゥーラが見事です。しかしこの 方、スキンヘッドに無精ひげ風、黒ネクタイ黒シャツ黒パンツにゴールドのジャケットという出で立ちで登場。声と風貌のギャップがありすぎて一瞬戸惑いまし た。

クロノス・カルテットはサンフランシスコを拠点に活動する現代音楽専門のカルテットで、たびたび日本でも公演しています。1973年にデイヴィッド・ハリ ントンによって結成されました。もはやすでに現代音楽の大御所カルテットと言っていいでしょう。
プログラムがまた凝っています。スティーヴ・ライヒやテリー・ライリーといったミニマル・ミュージックはもちろん、オスマン時代後期のトルコ人作曲家、 1960年代生まれのシリア人や1980年代生まれのイラン人、旧ユーゴスラビアで1970年に生まれた作曲家などの作品が並びました。オスマントルコの 作品は電気増幅装置を使った編曲がなされています。他の作品もほぼすべて再生装置を併用した音楽造りで、曲によっては民俗楽器も使われていました。
この時は若い聴衆で超満員。会場には尋常ならざる熱気が渦を巻いていました。トルコ現代音楽の将来は明るいかもしれません。

そして最後にパギャグニーニ・カルテット PaGAGnini Quartet。もちろんこれは、19世紀イタリアで活躍したヴァイオリン奏者・作曲家パガニーニにひっかけたネーミングです。マドリッドを拠点とする楽 団で、レバノン生まれのアルメニア人アラ・マリキアンを中心に1991年に結成されました。
何というか破格のお笑いカルテットとでも申しましょうか、舞台で跳んだりはねたり、抱腹絶倒爆笑エンターテインメントがこの世のものとは思われない超絶技 巧とともに繰り広げられます。あまりの迫力に圧倒され、終演後の写真を撮る余裕がありませんでした。代わりにその時のパンフレット写真を載せましたが、ま あこの写真はたいへんおとなしいもので、実際の舞台では演奏者も音楽もバクハツしてる!という感じです。
このカルテット、2012年12月にイスタンブールで見たのが最初でした。その時はてっきり「パガニーニ・カルテット」だと思い込んで、まじめな(?)コ ンサートのつもりで切符を買ったのです。幕が開いて腰が抜けるほど驚いたのは言うまでもありません。今回またイスタンブールに来るというので、楽しみにし ていました。前回も今回も満員御礼の大盛況。普段はヨーロッパ古典音楽に関心のない人々も、素敵なショウを見る感覚で押し寄せてくるようです。
この手のコメディークラシックは日本で「キワモノ」扱いされがちですが、実はこういう演奏こそ本当に高度な技術がないとできません。そしてアイディアのセ ンスがよくなければ見ていて楽しくありません。洗練されたセンスの超絶技巧カルテット。2013年には初来日を果たしたそうですが、もっと接する機会が増 えるとうれしいですね。マリキアンはバッハやコダーイのバイオリン無伴奏などの録音もたくさんあるので、爆笑路線でなくても聴いてみたいと思うのでした。

(コンサートでは演奏中の録音や撮影は禁止されています。しかしイスタンブールは比較的おおらかで、演奏が終わってから聴衆がスマホでさかんに記念写真を 撮ったりしています。その際係員が注意をしたり、機材を没収するということもありません。今回掲載した写真は、開演前とアンコール終了後に撮ったものを使 いました。)〈2015.4.2.〉



  イスタンブールのローマ法王



駐車中の車を強制撤去



緑の森が領事館の庭です

今回のイスタンブール滞在もあとわずかという時のことです。日中出かけて夕方戻ってくると、トラフィック・ポリスが来ていつも路地にびっしり停めてある車 を次々と撤去しています。中には車の所有者とおぼしき人物があわてて飛び出してきて、警官に向かって「何で車を持って行くんだ!」とくってかかり、普段は 静かな小路が大騒ぎになっています。
イスタンブールではかなりの範囲で路上駐車が認められており、車を購入する際に「車庫証明書」が必要、などということはまったくありません。違法駐車とい うことでもないし何かと思ったら、ローマ法王が来るのでその間だけ車をどかしているらしいのです。
なるほどちょうどこの時、2014年11月28日から30日まで、フランシスコ法王がトルコを訪問していました。この小路はちょうどバチカン領事館の裏に あります。あたり一帯は車からゴミ箱まですべて撤去され、その後道路はバリケードで閉鎖されました。車は通れなくなっても人間は歩いて通行できます。ポリ スが警備しているわけでもありません。まあ、何かあるといけないから領事館の周囲を一掃したということだろうと思っていました。



聖歌隊



バリケード解放



ローマ法王



頭上のヘリコプター





その後

明けて29日、通りをのぞくと早朝からパトカーが停まり、ポリスが集まっています。そのうちにスーツ姿の人やテレビカメラを担いだ人たちも集まり始めまし た。この日も出かける用事があって外に出ると、領事館の玄関につながる路地が完全に封鎖され、バリケードの周囲にはポリスや関係者を始めキリスト教の聖職 者、聖歌隊の少年たちとその保護者、ご近所さんなどで人だかりがしています。ひょっとして本当に法王がお出ましなのかしらと見ていると、やがて警官がバリ ケードの前にいる人々を脇へ移動させ始め、領事館前を塞いでいたバリケードが開かれました。狭い路地の真上でヘリコプターが低空でホバリングし、黒スーツ 男数名が通りの向こうの方から走ってきて何事かを叫んでいます。にわかに緊迫した空気に包まれました。
ほどなく黒塗りの車がゆっくりと通り過ぎ、それに続いてシルバーのセダンが通ります。法王はセダンの後部座席に座り、窓を開けたままにこやかに手を振って います。周囲から歓声と拍手がわき起こります。その後黒い車が数台通ってからは関係者の数が一挙に増え、あたりはごった返したのでした。
この間ほんの20分ぐらいの出来事です。小路で一部始終を見守るわたしたちと法王の車との距離は、わずか3メートル程度。こんな至近距離で法王にお目にか かれるとは思ってもみませんでした。路地の幅は車一台がやっと通れるくらいの狭さで、そこに一般人もたくさん集まっていたわけですが、事前に見物人の身元 確認も荷物のチェックも何もありません。あまりにもそっけないというか、人々を信頼しているというような警備態勢にも驚かされました。
それにしても、フランシスコ法王はバチカン切っての庶民派と言われますが本当にその通りだと思いました。法王の車よりも、前後を走る護衛の車の方がよっぽ ど大きくて立派に見えます。しかもこんな狭い路地に入ってまでも、窓を開けたまま人々に手を振るのです。わたしはキリスト教徒ではありませんが、その様子 に深い感銘を受けたのでした。



ノートルダム・ド・シオン高校前



向かいに詰める報道陣



中央やや左より、白い衣装が法王

それからその日の用を済ませ、家の近くまで帰ってきた時のことです。タクシム広場から伸びる大通りはいつも渋滞して大変な道ですが、何故かまったく車が 走っていませんでした。平日の夕方にこんなことはまずあり得ません。ちょうどノートルダム・ド・シオン・フランス高校の前にバリケードが組まれ、3メート ルおきに警官が立っていて物々しい雰囲気です。バチカン領事館はこのフランス高校のちょうど裏手にあたります。そして大通りを隔てた向かいには、報道陣が カメラを並べて待ち構えています。
まさかまたここに!?と思う間もなく、今朝法王の車がやってきた狭い路地から黒とシルバーの車が出てきて、高校の玄関で停まりました。やはり歓声と拍手が 聞こえます。今度は遠目でしたが、車から降りた法王の姿を人だかりのなかに認めることができたのでした。

この晩の領事館周辺の警備は前夜よりもきびしいものとなりました。車はもちろん、通行人も路地には入れません。ピザやハンバーガーといったデリバリーのバ イクも、料理の中身をチェックした上で通行禁止という状態です。一晩中パトカーが停まり、ポリス数名が警備に当たっていました。

法王は28日にアンカラに入り、アタテュルク廟を訪問。つい1ヶ月ほど前に公開された新しい大統領官邸でエルドアン大統領や要人と会談し、平和構築のため 異なった文化、宗教間の対話の必要性を呼びかけました。官邸で迎えられた初めての外国人招待客はローマ法王だということです。
ちなみにこの官邸は予算を大幅に超えて建てられ、約700億円という費用の出所が明確ではないとか、20万平方メートルの敷地に1000もの部屋があり必 要以上に豪華すぎるとか、「独裁色の反映」などといったことで物議をかもしています。
29日はイスタンブールでスルタンタフメット・ジャーミーを 訪問し、靴を脱いでイスラム教の指導者とともに黙想したということが話題になりました。かつてコンスタンチノープル総主教座だったアヤソフィア博物館を見学した後、ノートルダム・ド・シオンにあ る精霊大聖堂でミサを行い、正教会の総主教バルトロメオス1世や、アルメニア使徒教会、シリア正教会、プロテスタント教会などの代表者が列席したというこ とです。家の近所で2回も遭遇したのは、この間隙を縫ってのことでした。
30日にはトルコのユダヤ教主席ラビと会見、正教の典礼に出席、入院中のアルメニア使徒教会の総主教をお見舞いして特別機で帰国というスケジュールだった ようです。
ローマ法王滞在中の行程をざっと追うだけでも、イスタンブールがさまざまな宗教にとってどれほど意味深い場所であるのかが伝わってくるように感じられまし た。〈2015.5.7.〉



  2015年総選挙








街中が運動会?



左がエジプシャンバザール、奥はリュステム・ パシャ・ジャーミー

2015年6月7日はトルコ総選挙の投票日でした。トルコの選挙というと、街中いたるところに運動会の万国旗のように各政党の旗が張り巡らされ、宣伝カー は数台連なって信じられない大音量でガンガン音楽を鳴らして走り回り、広場ではテントを張って道ゆく人々に熱烈アピールをするという、たいへんやかましく かつ暑苦しい(?)ものです。
しかし今回は万国旗の量も減り、宣伝カーも控え目(音量が控え目ということではなく、台数が)、テントの数もそれほど多くないように見受けられました。と はいえ何もないわけではなく、エジプシャンバザール前の広場では歌ったり踊ったりのお祭騒ぎです。
投票前日はテレビで「投票の仕方」などを紹介していました。当日の投票時間は8時から17時まで。当日はいくつか禁止事項があり、警官や軍以外は武器の携 行を禁止、投票に関するラジオ放送と印刷物発行は18時まで禁止といったものです。武器の携行は投票日でなくても禁止ではないかと思うのですが。それから 6時から24時まで酒類の販売は禁止とありました。
本当に売っていないのか様子を見に行ってみると、昼夜を問わずいつも混んでいる居酒屋通りは閑古鳥が鳴いています。中には閉めちゃっているお店もありまし た。せっかく陽気のいい季節で週末なのに、酒屋さんや居酒屋は大損害ですね。



踊る人々



停車中の選挙カー



HDPのテントに表敬訪問するCHP支持者



閑古鳥

今回は、現与党のイスラム系AKP(公正発展党)が憲法改正に必要な330議席(定数550のうち5分の3)以上を獲得できるかどうかがポイントになって いました。330議席以上獲得すると、憲法改正のための国民投票発議ができ、定数3分の2以上の367議席だと、国民投票なしで改正が可能となります。エ ルドアン大統領は、大統領権限を強化するために何としても憲法改正に持ち込みたいそうです。同氏は「強権」「独裁」というもっぱらの評判ですが、建国 100年記念となる2023年までにトルコを世界で10位の経済規模の国にするという目標を掲げています。

投票前の予想得票率は、AKP41〜44%、野党中道左派CHP(共和人民党)26〜28%、極右MHP(民族主義者行動党)15〜18%、クルド系左派 HDP(国民民主主義党)10〜13%(時事通信)。
トルコでは法定得票率10%以下の政党は議席を持てないことになっています。そのため、今まで少数民族クルド系の政党は候補者を無所属で立候補させていま した。しかし昨年の大統領選でHDPは9.8%を獲得、この波に乗って今回は政党として参戦です。HDPはクルド人だけではなく、同性愛者といった性的マ イノリティーの権利拡大も強調しています。また、AKPとHDPはそれぞれの支持者がトルコ南東部で競合しているため、HDPが議席獲得となるとAKPの 議席が減ることになり、場合によってはAKP過半数割れという予測もあります。野党を支持する有権者の票が、今回はHDPに流れる可能性が高そうです。
当のHDPは各地にある事務所で爆弾事件が相次ぎ、投票2日前には南東部ディヤルバクルで2名が死亡、100名が負傷するという惨事になりました。犯行声 明はなく、犯人も捕まっていないということでした。



開票の様子(以下NTVの画像写真)



各党の得票率。左の白グラフは前回のもの(開 票率95%時点)



各党の議席数と得票数(開票率100%)



勝利宣言をするHDP党首



濃い緑がHDP前回比で得票の増えた地域(開 票率98%)



各政党の分布図(開票率100%)

即日開票です。投票所は小学校や中学校の校舎を使います。投票に際して大きな混乱は見られないようでした。投票用紙は大判で各政党の名称やシンボルマーク が描かれており、その下の丸い欄が空白になっています。有権者はカーテンで仕切られた記入部屋へ入り、投票する政党の空欄に「然り」印のはんこを押して封 筒に入れ、透明な投票箱に入れる、という寸法です。

テレビ各局は投票締め切り直後から速報番組を組んで臨戦態勢に入っています。締め切り後30分足らずで集計の様子が映され、5時間半後にはほぼ100%開 票されました。驚くべき速さです。テレビの受信状態が思わしくなく、比較的きれいに映る保守系NTVの画像を写真に撮ってみました。各党ごとに色分けさ れ、グラフはそれにしたがっているのでたいへんわかりやすくなっています。投票率は86.6%。人々の関心の高さがうかがわれます。
結果はご覧の通り、AKP大敗、HDP大躍進。早々に党首のセラハッティン・デミルタシュ氏が勝利宣言をしていました。もし得票率が10%以下だった場合 は辞任すると話していたので、喜びもひとしおという感じです。



翌朝の国営放送TRTの映像。左は得票率



同じくTRT。左は獲得議席数



翌朝の新聞各種

翌日はいつもの週明けと変わらぬ様子で始まりました。テレビでは選挙結果についてさかんに報道しています。TRTは投票日に結婚式を挙げた人々の様子を紹 介していました。ウェディングドレスを着て投票に行くという発想に驚かされます。
新聞をいくつか買ってみましたが、得票率や議席数が微妙に違いました。「セズジュ Sözcü」紙の一面がインパクト大です。巨大な文字で「崩壊」、その下にしわい顔でうつむく大統領の姿。売店のおじさんは野党支持者なのか、「エルドア ン終わったね」などと嬉しそうです。
以下、各紙の大見出しは「ダム決壊」(ヒュリエット)、「新しいプロセス」(ミリエット)、「官邸へ、浪費へ、権威主義へ、国民はもういいと言った」(ザ マン)、「政権なき投票箱」(サバフ)。「ジュムフリエット」紙はどこの売店でも売り切れで、手に入らず残念でした。
ちなみにトルコで新聞は新聞スタンドでしか売っていません。しかしこのスタンドが駅のコンコースなどに常にいつもあるわけではなく、探すのに一苦労です。 たまによろず屋で扱っているところもありますが、数は多くありません。日本のキオスクやコンビニがいかに便利かと実感しました。〈2015.6.11〉



  旬の味



大粒さくらんぼ



堅くて大きいあんず



小さめのあんずとさくらんぼ



高級果物屋の店先

6月になると、八百屋の店先にはぴかぴかのさくらんぼが並びます。いわゆるアメリカンチェリーのタイプですが、酸味より甘みが強く実が締まっている感じで す。大粒のものが多く、黒に近い紫色、「バーガンディ」の輝きがたいへん魅力的。出始めはキロ10リラ(約500円)ぐらいだったのがみるみるうちに値段 が下がり、週末サービスでキロ4リラ(約200円)になるところもありました。みんな山のように買って、むさむさと頬張ります。
あんずもこの時期の味です。大きさや色づき、食感もいろいろあります。小振りで柔らかいものはとても甘く、ジャム作りに向いています。大ぶりの色があっさ りしているものは実が堅い割に甘みがあり、手でぱかっと半分に割って頂きます。割ると甘く優しい香りが立ちのぼります。ジャム用のはキロ3リラ(約150 円)、大きくて堅いのは13リラ(650円)と値段の幅もあるようです。
果物屋には他に苺、プラムの青い未熟果(とても酸っぱい)、黒や白の桑の実、枇杷などが並びます。桑の実は親指の先ほどの太さですごい迫力。白より黒い方 が甘みがあります。枇杷は日本のものより小さく、丸っこい感じです。



サヤ付きグリンピース



大粒の実



豆ごはん

果物の他にグリンピースもこの季節ならではの味でしょう。サヤ付きキロ200円。写真は420グラムです。サヤはひからびて白っぽくなっていますが、中に 大きな実がみっしりと並んでいて、ちょっとひねるとぽろぽろとはじけるように実がこぼれます。
こちらではトマトソースで煮るのが一般的ですが、やはりここは豆ごはん!ということで早速炊いてみました。個人的な好みでインディカ米で作ります。豆を全 部入れると豆が多すぎて「ごはん豆」(「豆入りのごはん」じゃなくて、「ごはん入りの豆」?)になってしまいそうだったので、半分ぐらいにしました。皮が ちょっとこわい感じですが、それがまたぷちぷちとアクセントになります。豆本来の力強い味がして、何だか元気が湧いてくるような気がしました。 〈2015.7.3.〉



  月光クルーズ



カバタシュ出発、ドルマバフチェ・ジャーミー



ドルマバフチェ宮殿



ダンスフロア



オルタキョイ・ジャーミー

2015年8月14日、ボスポラス海峡ナイト・クルーズに参加してみました。とくに夏の間は多くの観光会社で夜の遊覧船を企画しています。昼間のクルーズ と違って、ライトアップされた景色を楽しめます。今回は語学校主催の週末特別イベントでした。
海峡クルーズは夏でも海風が冷たく感じられることがありますが、この日は夜になっても蒸し暑く絶好のコンディションとなりました。午後9時にカバタシュの 船着き場を出発、11時過ぎに戻ってきて終了です。
ボートの二階デッキはオープンエア、中央部はダンス会場となり、その周囲にベンチや椅子を置いて夜景を眺めるという趣向でした。各国から来た若い学生たち は、ビール片手にフロアで踊りまくって楽しそうです。若い先生が音楽選曲、場を盛り上げていました。





  ボスポラス大橋



ファティフ・スルタン・メフメット大橋



ルーメリ・ヒサール

きらきらと輝くボスポラス大橋や歴史的建造物の美しさは、まるで宝石のようです。とはいえ、ボートはかなりのスピードで前進し、ここぞと思う被写体はまた たく間に後ろに流れて行ってしまいます。きれいな写真を撮るのは至難の業です。何しろ船本体が波でかなり揺れるため、三脚があったとしてもうまく撮るのは 無理だったでしょう。今回の写真についてはどうぞご容赦ください。〈2015.8.31.〉



  「後宮からの誘拐」



博物館前ポスター



会場入口



ライトアップされた博 物館



オーケストラピット

2015年6月15日と16日の二日間、考古学博物館の 中庭でモーツァルトのオペラ「後宮からの誘拐(逃走)」が上演されました。6月というと音楽会の シーズンほぼ終了間近という時期ですが、その代わりにあちこちで音楽フェスティバルがあります。今回の催しは第6回国際イスタンブール・オペラ・ファス ティバルの一環で、イスタンブール市立オペラ・バレエ楽団の演奏です。指揮者や歌手すべてトルコ人の出演です。

このオペラは18世紀地中海沿岸のとある国が舞台とされています。この国がオスマン・トルコをイメージしているのは見え見えです。登場人物の名前や、オス マン軍楽隊のメフテルを取り入れた曲想からもそれがわかります。当時はウィーンに押し寄せてきたオスマン軍の脅威もおさまり、ヨーロッパには「エキゾ ティック」なオリエント趣味がはやっていました。
海賊に捕まって太守セリム・パシャの後宮(ハレム)に囚われたコンスタンツェと侍女ブロンテを助けるため、コンスタンツェの恋人ベルモンテとその召使いで ブロンテの恋人ペドリッロがハレムに乗り込みます。太守の監督官オスミンの妨害に遭いつつも、4人は脱出成功…というところで見つかってしまい、ベルモン テの父親が太守の仇敵だということが明らかになって絶体絶命。しかし太守は寛大な心で4人を許し、彼らは去っていきます。深刻なお話ではなく、楽しい雰囲 気の短いオペラです。全3幕。

これを考古学博物館の中庭で上演するというのは、たいへん面白い趣向です。というのも、考古学博物館はトプカプ宮殿の隣にあり、かつては宮殿の敷地内だっ たところです。18世紀のおとぎ話をほとんど現地で再現、という試みでしょうか。
とはいえ、博物館の中庭は、オペラの野外上演ができるほど広いとは思われません。どうするのかと思っていたら、オーケストラピットは舞台のほぼ真横に設置 されています。当然歌手から指揮者が見えないので、舞台正面にモニター画面が置いてありました。
舞台といっても、中庭に常設してあるモニュメントのような柱と石組みの台があるだけで、舞台装置といったようなものは見あたりません。しかし博物館本館や 庭を挟んだ向かいのタイル館もライトアップされ、何もなくてもこれはこれで立派な舞台、というか、まさに物語の「現場」に見えてきます。タイル館のテラス は、お話の途中で舞台の一部として効果的に使われていました。

開演前にコスチュームを身にまとった美しいお姉さんがお菓子を配っています。ロクムという求肥に似たトルコの伝統的なお菓子です。このお姉さんは後の舞台 に立っていたので、ダンサーの一員であることがわかりました。客席は一列20席の椅子が後ろの方まで並び、ほぼ800席ぐらいはあったようです。前から 10列目の比較的見やすい席で80リラ(約4000円)。



舞台



ロクムのサービス



開演前の客席



タイル館



カーテンコール(髭面 ターバンがオスマン役)

オスミン(当日のプログラムでは「オスマン」となっています)役のバス、トゥンジャイ・クルドゥオールTuncay KURDOĞLU がたいへん素晴らしく、一気に舞台を18世紀に連れていってくれます。この役はいわば憎まれ役で、他の召使いにも横柄な態度を取ったりします。しかしこの 歌手が演ずると、なかなかに愛嬌もあってチャーミング。大柄なオスマン人という設定ですが、実際に大柄で雰囲気といい身のこなしといい、この人のためにこ の役があるようです。
このオペラはアリアの間の会話は軽いメロディのついた歌ではなく、普通の会話形式でお話が進行します。この会話がまたまた傑作!ヨーロッパ人役はドイツ語 で、ブロンディは英国人という設定なので時折英語混じり、オスマン人はそのまんまトルコ語でしゃべります。オスミンと言い争いをする場面では、いきなりト ルコ語とドイツ語で双方言い合っていて、妙な説得力があります。
最後に太守が4人を許す場面では拍手がわき起こりました。この役は歌はなくセリフだけの出演で役得という感じですが、人徳と風格を感じさせる人物なのでト ルコ人聴衆としては味方をしたくなるのも無理ありません。

冒頭のバスのアリアがいきなり素晴らしいので、歌い終わったところで拍手をしようとしたのですが、まわりはし〜んとしていて、一瞬叩こうとした手が止まっ てしてしまいました。
通常オペラはここ一番というアリアが終わると聴衆はさかんに拍手を送り(もちろんそれに値すると判断した場合です)、それが一段落してから次の場面に移る というものですが、このテンポがないためちょっと気の抜けた感じがします。大向こうのない歌舞伎みたいなものでしょうか。
こちらではオペラは全編静かに聞くものなのかしら…?イスタンブールにはオペラハウスもあるくらいだから、聴衆がオペラに慣れていないということもないで しょう。真偽のほどはわかりませんが、後半いよいよ盛り上がってくると少しずつ客席から拍手が鳴り始め、最後はやんややんやでした。

開演は夜の9時、終演は11時半。ちょうど日の長いときで、夜の10時半頃に最後の礼拝を知らせるエザーンがあります。会場はスルタンアフメット・ジャー ミーやアヤソフィアに隣接するジャーミーと至近距離 です。音楽の最中にエザーンが流れるというのも酔狂ですが、演奏者にはちょっと迷惑でしょう。少し気を 揉んでいたら、ちょうどその時刻は2幕目と3幕目の間の休憩時間に重なっていました。ひょっとしてこれに合わせるために1幕目の後の休憩がなかったのかも しれません。音楽の合間にカモメが鳴き、猫があたりを散歩するという、いかにもイスタンブールらしい臨場感(?)あふれる舞台となりました。



昼の中庭



夜の中庭



昼の様子









ライトアップされた 展示物

夜の考古学博物館、数年前から整備された中庭の展示物もライトアップされています。普段の開館時間中には見られない光景で、素敵なおまけがつきました。太 陽光で見るときと、横からライトを当てたときとでは、展示物の見え方がまるで違います。彫刻部分の陰影が強調され、はっとするような表情が出てきます。 もっとも、ライトアップされた神殿の柱や彫像など、電気もない当時の人々は想像だにしなかったでしょうが。〈2015.9.28.〉



  露店いろいろ







伝統菓子



影絵のパーツ



果物?



シェルベット屋



金属製の食器

ラマザンなどのお祭の時期になると、あちこちで期間限定の露店街が出現します。シロップがしたたる甘い甘い伝統菓子、パン、ヨーグルトといった食べ物か ら、手工芸品や装飾品、伝統的な衣装など、さまざまなお店がずらりと並び、その一角だけ見本市のようです。地方の特産を売る露店もあり、普段イスタンブー ルでは見ることのできないめずらしい品々もあって実にカラフル。ひやかして歩くだけで楽しくなります。
果物屋さんで売っているのは果物ではなく、実は石鹸。エディルネ特産のフルーツ石鹸で、色といい質感といい本物の果物そっくりです。実際に使うというよ り、クローゼットに入れて香りを楽しむとか。同じエディルネ特産のほうきを使った壁飾りもありました。シェルベットはオスマン時代から伝わる冷たい飲物 で、果物やスパイスなどを使ったジュースのようなものです。「シャーベット」の語源とも言われています。



ピクルス専門店



ヨーグルト



陶器



毛糸の手芸品



オヤ



ガラスの装飾品

トルコの人々はピクルスが大好きで、街中でもよくプラスチックのカップ入りを売っています。ガラタ橋名物のサバサンドのお伴として人気です。きゅうりやシ シトウ、キャベツなどのピクルスが一般的ですが、ここではバナナやスイカのピクルスも!?さすが専門店。オヤはかぎ針で編む伝統的な手芸品です。さまざま な色や形をした小さなモティーフで、スカーフなどの縁を飾ります。

露店街は毎年出るお店が変わるので、行くたびに新しい発見があるのも魅力です。写真はいずれも2015年のラマザンの時、スルタンアフメット・ジャーミー 近くにできた露店街で。〈2016.5.1.〉