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イスタンブールの日々・その1

  イスタンブールの日々

しばらくイスタンブールに滞在することになりまし た。二ヶ月ほどアパート式のホテルに住んで、語学校に通う予定です。どんなことになるかは見当もつきませんが、ひとびとの暮らしぶりに触れることで、旅行 とはまたすこし違った視点からトルコという国を知ることができればいいなあと思ってます。
さいわいネット環境も整っているので、エトセトラのページでイスタンブールから街角の風景をお届けします。〈2009.10.9.〉



  いきなり催涙弾

催涙弾の白煙

催涙弾の白煙

お互いに装備を手伝っています

お互いに装備を手伝っています

催涙弾の残骸

催涙弾の残骸

10月6日からイスタンブールで世界銀行とIMFの総会が開催されています。それに抗議するデモが会場近くで連日行われ、新市街のタクシム広場周辺はその 前の週からちょっとものものしい雰囲気です。
この日のお昼ごろ、タクシムの地下鉄駅から地上に出ようとしたら、階段から下りてくるひとたちはみんな口を押さえて小走りにやってきます。何やら妙だなと 思ったとたん、目が痛くなって咳き込んできました。地上に上がるとそれがもっと激しくなり、目を開けていられません。咳と鼻水、くしゃみも出てきて、顔全 体に強い刺激を感じてぴりぴりします。唐辛子とわさびのバケツに顔を突っ込んだ感じです。
デモ隊が暴走して警官隊が催涙弾を放ったとか。あと10分早かったら大当たり(?)でした。
しかし周囲のひとは意外にのんびりしていて、何となく次に何が始まるのか待っている感じです。面白がって写真を撮るひともいます。わたしもつられて撮りま した。
イスタンブールに着いて4日目。いきなり派手な歓迎を受けたという感じでしょうか。〈2009.10.9.〉

崩壊したバス停

崩壊したバス停

武装警官隊

武装警官隊



  イスタンブールのバッハ

イスティクラル通りに面した入口

イスティクラル通りに面した入口

聖アントニオ教会

  聖アントニオ教会。昼間に撮りました

09年10月2日から25日まで、「イスタンブールのバッハ Bach Istanbul'da 」と称したイベントが行われています。トプカプ宮殿の前にあるアヤ・イリニ博物館、スィルケジ駅構内、サクプ・サバンジュ博物館、聖アントニオ教会などで 演奏会があります。切符がうまく買えたので、そのうちのひとつに行ってみました。
10月15日、聖アントニオ教会で、ジギスヴァルド・クイケンとラ・プティット・バンドが「ブランデンブルク協奏曲」を演奏します。夜の八時半開演。切符 は約三千円でした。最高の席は約六千円。これは売り切れです。日本と較べると安いものですが、こちらの物価水準からすると、やはりちょっと特別な「お出か け」という感じになるかもしれません。

開演前

開演前

舞台

こんな感じの舞台です

いざ会場に行ってみたら、何とわたしの買った切符は立ち見席でした。ブランデンブルクをずっと立って聞くのはきびしいなあ、と思いつつそのへんをうろうろ していたら、一等席の脇にある礼拝所の階段に座っている観客がいます。要するに「立ち見席」とは「椅子がない席」という程度のことで、指定された場所に 立っていなさい、というわけではないようです。ちょうど一人分の空間が空いていたので、そこに陣取りました。舞台にとても近いところで、歌舞伎座でいうと 「花外三列目」という感じです。一等席にはスーツを着た年配の方が多く座っています。全体を見渡した限りでは、年齢層は比較的高め。500人ぐらいは入っ ていたでしょうか。
演奏は言うに及ばず。2番、4番、6番、休憩をはさんで、1番、5番、3番という順序でした。教会という場所柄、ちょっと音が響きすぎて聞きづらいところ もありましたが、聴衆はたいへん熱心に聞いています。アンコールもありました。終わったのは11時ちょっと前。
外へ出たら、平日であるにもかかわらず、イスティクラル通りはそぞろ歩きのひとたちでにぎわっていました。〈2009.10.18.〉



  トルコ共和国記念日
 
タクシム広場

   タクシム広場

ジュムヒュリエット通り

ジュムヒュリエット通り。その名も「共和国通 り」

10月29日はトルコ共和国記念日で祝日です。1923年のこの日にトルコ共和国宣言が布告されました。今年09年はその前日の28日もお休みで、二連休 です。一説によると、28日はインフルエンザ予防のため、公共施設を消毒するためにお休みになったとか。新型インフルエンザを心配するひともいますが、 「だってトルコに豚はいないでしょ? 普通のインフルエンザの予防じゃないの?」とフランス人のクラスメイトは憮然とした顔をしていました。トルコでは豚 の ハムやテリーヌが食べられないので(豚肉はあることはあるけれどたいへん高価)、彼女はお国料理が恋しくなっているようです。豚がいないからといって、新 型インフルエンザがないとは限らないと思いますが…。

アタテュルク文化センター

アタテュルク文化センター  Ataturk Kulturu Merkezi

楽隊

 楽隊

29日は今にも降り出しそうなお天気でしたが、街の様子を見に出かけてみました。アパートから一歩出ると、窓から国旗をさげている家がたくさんあります。 旗日の雰囲気濃厚です。
新市街のタクシム広場は赤いトルコの国旗であふれかえっています。タクシムにつながるジュムヒュリエット通りCumhuriyet Caddesiも真っ赤です。人出もすごくてごった返しています。観光客と地元住民入り乱れて記念写真を撮ったり、ゆでたとうもろこしやごま付きパンをか じったり。軍楽隊の演奏などもあり、聴衆は一緒になって歌っています。他にもいろいろなイベントが行われているようです。
そのあと旧市街の方にも行ってみました。こちらはアヤ・ソフィアやスルタン・アフメット・ジャーミー、トプカプ宮殿など、観光名所が集中している地域で す。ここも観光客が押し合いへし合い。ジャーミーなどに国旗は下がっていますが、新市街ほど「共和国」していない感じでした。

新市街のイスティクラル通りを走るレトロ電車

   新市街のイスティクラル通りを走るレトロ電車

夜の8時前、近所で花火が上がりました。ちょうど窓から見えたのですが、日本式のきれいな花火でした。でもわずか3分足らずでおしまい。お祭りで大騒ぎす るというよりも、しみじみと共和国宣言を祝うといった風情でした。〈2009.10.31.〉



  犠牲祭・その1

「バイラムおめでとうございます」

    「バイラムおめでとうございます、どうぞ元気でお健やかに」

今年は11月27日から犠牲祭(クルバン・バイラム Kurban Bayram)が始まりました。これはイスラム教の重要な行事で、各家庭あるいは数家族が一緒になって家畜を屠り、神に捧げるというものです。週末をはさ んでその前後五日間、学校などはお休みになります。
毎年日にちが変わるお祭ですが、この時期はみんな実家に帰省し、お墓参りをしたあと、親族一同で一緒に過ごすというのが慣例のようです。日本のお盆やお正 月と似ていますね。まとまったお休みになるので、その前の週から街行く人々はバイラムの話ばかりしています。この期間は「いいバイラムを」が挨拶がわりで す。

車がない

  車がない

犠牲祭で一番大切な27日、朝早くに近所を歩いてみました。まず道路が空いているのにびっくり。いつも渋滞している大通りに車がないなんて信じられない。 たいへん静かです。
このお祭のとき、以前は各家庭の庭先で家畜を屠っていたそうですが、今は衛生上の理由から指定された場所で行われるようになりました。折しも向こうから、 文字通り血のしたたる肉のかたまりをビニール袋に入れて歩いてくる男衆が。しかし屠る場所がはっきりわかりません。坂道を登ったり降りたりして(この街は ほんとに坂が多い)すっかり疲れ果て、お茶でも飲もうとチャイ屋に入りました。そこの主人にどこでやっているのかたずねても、あっちやこっちでやってるけ ど、服が汚れるといけないからね、というようなことを言って教えてくれません。まあ、確かにわざわざ見に行くようなものではないのかもしれませんが。

こんなところでやっていました

   こんなところでやっていました

ひと仕事終えて

   ひと仕事終えて

あきらめて帰ろうとしたところ、家畜の断末魔の叫 びが聞こえてきました。見るとガレージの前に人だかりが。近寄ってみると、ちょうど大きな黒い牛が屠られ るところでした。わたしがのぞこうとしたら、そばにいたひとたちが「見るな、見るな」と言います。部外者は見たらいけないのかと思って聞くと、「だって血 がたくさん出て気持ち悪いよ」って、自分は見ているくせに。
牛と格闘していたお兄さんたちがしきりに「ヤバンジ、ヤバンジ」と言いながらこちらを見ています。「野蛮人」と言われたわけではありません。ヤバンジ yabanciとはトルコ語で外国人という意味です。「おい、外国人が見てるぜ」という感じでしょうか。カメラを向けるとみんなうれしそうにしていまし た。〈2009.12.3.〉



  犠牲祭・その2
 
路面電車の上にはちゃんと旗が

  路面電車の上にはちゃんと旗が

みんながどのくらいこのお祭を楽しみにしているか というと、たとえば人生に疲れて半ばふて腐れながら店番をしているようなお兄さんに、買い物ついでに「い いバイラムを」と言ったとたん、はじけるような笑顔になって「菓子持ってけ」と店先のお菓子をくれたりします。日本の「どうぞよいお歳を」と同じ感じの挨 拶ですが、喜び方が半端じゃありません。何だかつられてこっちまで楽しくなってきました。
生贄を捧げた翌日の夜、新市街の繁華街イスティクラル通りに行ってみました。ここは普段からにぎわっている場所ですが、この日はまた一段と混雑していま す。各国の観光客よりも、トルコのひとたちが記念写真を撮って盛り上がっています。帰省するばかりではなく、お休みを利用して観光するひとも多いようで す。

ライブハウスのバンド

   ライブハウスのバンド

踊るひとびと

   踊るひとびと

友だちに推薦された伝統音楽ライブハウスをのぞく と、店内はぎっしり。他の流行音楽の店とは違って、客の平均年齢は高めです。音楽に合わせてみんな輪に なって踊っています。立錐の余地がないとはこのことでしょうか。出口付近に空席があったのでさっそく中へ。
ふたつのバンドが交代で演奏しています。もちろん電気増幅していますが、ちゃんと伝統楽器も使われています。音楽は演歌のような民謡のような。みんなで合 唱していたりするので、メジャーな曲ばかりなのでしょう。静かな曲のときは座ってビールを飲み、「これだ!」というときは一斉に立ちあがってダンスが始ま ります。手をつないで輪になって右へすこしずつ移動します。わたしも混ぜてもらいました。左右小刻みにステップを踏んで、ときどきひょいと左足をあげま す。単純に見えますが、これがけっこうむずかしい。音楽のリズムアクセントと左足をあげるタイミングが微妙にずれているのです。たとえば音楽は4拍子だけ れど、足は6拍子みたいな感じです。これがだんだん早くなって、汗だくになったところで終わります。これが朝まで延々と続くようです。何だかお正月に盆踊 りしている気分になりました。〈2009.12.3.〉

通りでも突然輪になって踊り始めるひとたち

   通りでも突然輪になって踊り始めるひとたち



  犠牲祭・その3

ガラタ橋

  ガラタ橋

サバサンド

  派手な船でサバサンドを売っています。ひとつ210円ぐらい

バイラムの前はどこも買い物客で混雑していまし た。ごく普通の商店街でも大晦日の御徒町状態です。ほとんどのひとは量り売りのキャンディやチョコレート、 箱入りのお菓子などをキロ単位で買っています。台所用品や衣料品などをしこたま抱えているひとも。確かに明けてから見てみると、街行くひとたちは新しい服 を身につけています。こういうところも日本のお正月と似ていますね。
三が日という風情のバイラム最終日、旧市街と新市 街を結ぶガラタ橋周辺に行きました。この橋は必ず釣りをするひとが並んでいますが、今日は鈴なりです。こ んなにたくさん人が乗って橋が落ちるんじゃないかと心配になってきます。ここの名物(?)は、油で焼いたサバのフィレを野菜と一緒にパンにはさんだ「サバ サンド」。あたり一帯は魚を焼く煙で霞み、日本人には何やらなつかしいような匂いが充満しています。


 


サバサンド食べる

  サバサンド食べる

橋のたもとの広場がまたすごいことに。ひとがあふ れかえっているのにはもう慣れましたが、そのひとたちのほとんどが何かしら頬張っています。食べてないの は、これから食べようとしているか、食べ終わったひとたちです(たぶん)。ちょうど午後3時過ぎ。おやつの時間とはいえ、おやつにしてはすごい分量です。 犠牲祭で肉をたくさん食べたから、魚が食べたくなったというわけでもないのでしょうが。

問屋街

   問屋街

橋の近くにあるエジプシャンバザールもごった返し ていて、ぜんぜん前に進めません。バイラムの前にあんなに買い物をしたはずなのに、やっぱり今日もたくさ んの荷物を抱えて買い物三昧です。人垣に埋没した男の子は「何にも見えないよ」と隣のおじいちゃんに訴えますが、おじいちゃんは「お前も見えないだろう が、わしも見えん」などと話しています。わたしも前のひとの頭以外何も見えません。
バザール周辺の問屋街は店の前にも露店がひしめいて、衣料雑貨などの大売り出し中。きれいな刺繍の入った厚手の大判タオル、あっちの店は一枚300円でし たが、こっちの店では200円。混んでいるときに地元のひとたちに紛れ込んで様子を見ていると、値段の相場がつかめて面白いものです。もちろん、200円 のタオル買っちゃいました。柄違いで6枚も!こんなに買ってどうしましょ?〈2009.12.3.〉



  コンテンポラリー・イスタンブール
  
会場のホール

会場のホール

12月3日から6日まで「コンテンポラリー・イスタンブール09」と称する展覧会が、タクシムに近いルトフィ・クルダール・ホール Lutfi Kirdar Congress and Exhibition Hall で開催されました。これは、国内外のギャラリー70店あまりが参加するトルコ最大規模の現代芸術コンベンションです。今年で4回目だとか。出店はやはりイ スタンブールのギャラリーが圧倒的多数ですが、アンカラやムーラといった都市のギャラリーもいくつか。他にはドイツ、フランス、英国、アメリカ、イラン、 シリア、韓国などからも参加しています。主催は芸術活動に熱心な大手銀行。
いささか商業的な感じもしますが、とりあえず最先端の芸術の動向を見るには面白いかもしれないと思って行ってみました。チケットは約1200円。通常の博 物館の入場料の倍近くです。学割は480円。こういう展覧会でも学割があるというのは意外でした。

ブースが並んでいます

   ブースが並んでいます

出展作品は油絵、彫刻、写真、インスタレーション等々。ギャラリーで扱っているものなので、巨大なオブジェなんてものはありません。広い会場にゆったりと したスペースで、各ギャラリーのブースが並んでいます。カフェも併設されていて、ブースのなかにお茶やサンドイッチを持ち込んでくつろいでいる出展者も。 入場者は業界のひとや報道関係者が目立ちますが、もちろん一般客や家族連れもいます。小さい子供にはこういうのは楽しいかもしれないですね。いろいろ変な もの(?)があって。





  こんな感じ

イスタンブール近代美術館に 行ったときも感じたのですが、全体の色調が暗めです。技術的水準はまったく問題ありません。どれも丁寧な作品ばかりです。ただ 何というか、こう明るくポップにいかないというか、はちゃめちゃにならないというか、真面目というか。インスタレーションなどよりも油絵の割合が多いせい かもしれませんが、ちょっと重い感じがします。何か色彩感覚のようなものが違うんでしょうか。ぱっと見ていて「あ、ちょっと面白いかも」と思うものは、た いていロンドンやベルリンからの出展。つまり西欧人の作品です。日本人の嗜好がいかに「西欧」の表現に慣らされているか、ということを実感しました。



  カーテン

ひとつ興味深いブースが。そこだけ黒いカーテンのなかです。暗闇で発光するオブジェか何かかと思ったけれど、カーテン半開きだしなかは明るいし。入ってみ ると巨大な油絵が3点。いずれも男女性器の描写があり、うち1点は同性愛的テーマを扱っています。有料でしかるべき目的を持ったひとしか行かない展覧会場 でも、こういう配慮がなされるのでしょうか。あとでトルコの友だちに聞いてみたら、そういうことはあまり例がないと思うよ、と言っていました。 〈2009.12.11.〉



「コンテンポラリー」でも焼栗の屋台



  ニシャンタシュ芸術公園



  公園入口



  オブジェ

現代芸術のついでに。タクシム北のあたりを散歩していたら、「ニシャンタシュ芸術公園 Nisantas Sanat Parki」なるものを発見。このへんは欧米系の高級ブティックや素敵なカフェ、、輸入食品を扱うスーパーなどがある今風のおしゃれな地域です。「とても トルコとは思われない」とは日本人の友だちの弁。その一角、「イスタンブール・コンテンポラリー」の会場近くにこの公園がありました。



座りづらい



楽しそう

なかなかポップなベンチが並んでいます。どれもタイトルと作者の表記があって立派な作品になっていますが、もちろん誰も気にしていません。お散歩の途中で 一休みするのにもってこいです。安心して座れる(?)普通のベンチもあって、子供を連れたお母さんやお務めのひとたちがくつろいでいます。重厚な歴史を感 じさせる街の中に、ひょこっとこういうものがあるというのが楽しいですね。
がんばれ、トルコ現代芸術!〈2009.12.11.〉



いつ見ても誰も座っていない



猫はやっぱり鳥が好き



  路線バス「始発から終点まで」ツアー・その1

カドキョイ発ペンディキ行き

カドキョイ発ペンディキ行き

このところイスタンブールは、ぐずついたお天気が 続いています。気温もだいぶ低くなってきました。こうなってくると、街歩きもなかなか大変です。何かいい方法はないかと思って考えついたのが、路線バスに 乗って街を見物するという手です。
市内にあるバスターミナルには、各地域へ行くバスが集まっています。バスの乗車口に主要経由地が書いてあるので、それと地図を見ながらだいたいの見当をつ けて、なるべく長い距離を走りそうなバスに乗ります。イスタンブール市営バスはどこまで乗っても約90円。どうせならたくさん乗れる方がうれしいですね。 観光とは関係のない道を通るので、普段は見られない街の様子が見られます。座席が高くて見晴らしはいいし、暖房も効いていて快適です。ただし時間帯と天候 を考えないと、渋滞で大変なことになりますが。

アジア側の街並み

アジア側の街並み

アジア側にあるカドキョイKadikoyのターミナルから、ペンディキPendik行きのバスに乗ってみました。ペンディキはイスタンブール市の一番南に ある港です。アジア側というとカドキョイとウスキュダルぐらいしか知られていませんが、こちらで買ったトルコ語のガイドブックには、この港のことが一番最 後にちゃんと載っていました。何もなさそうだけれど、途中の様子を見るだけでも面白いかもしれません。
カドキョイからペンディキ行きはいくつか路線があります。そのなかで頻発している17番というのに乗りました。車内はけっこう混んでいます。途中の停留所 でも頻繁に乗り降りがあり、街のひとたちが足代わりに使っている路線のようです。道中にぎやかな商店街が続き、時折建物の間から下の方にマルマラ海が見え ます。アジア側はあまり高い建物がなくて道が広いせいか、街全体がゆったりした雰囲気です。新市街に比べると、ちょっとのんびりした「地方都市」という感 じでしょうか。
バスのなかで誰かが携帯で話していると、こわそうなおばさんが「ちょっと。携帯禁止よ。やめてちょうだい!」と文句を言います。後ろの方にいたおじさんも 「そうだそうだ、やるんなら外でやれ」。電話の主は仕方なく電話を切ります。ヨーロッパ側ではどこにいてもみんな当たり前のように携帯で話していますが、 こちら側はちょっと様子が違うようです。たまたまうるさいおばさんが乗っていただけかもしれませんが。
鉄道のペンディキ駅前を過ぎると乗客はぐっと減り、バスは街を離れて海岸沿いに出ます。帰りは鉄道でハイダルパシャ駅まで戻るのもいいなあと思っている と、後ろに座っていたおじさんがさりげなく興味津々で「どこまで行くのかね?」とたずねてきました。「終点まで」と答えると「ふうん」という顔をしていま した。

ペンディキのバスターミナル

ペンディキのバスターミナル



こんな感じです

こんな感じです

ほどなく港のはずれにあるバスターミナル着。所要 約1時間20分。前方には海と船と幹線道路、松の植わった公園しかありません。後ろは少し奥まった丘の斜面にぎっしり住宅が並んでいます。かなり大きい入 り江の一番端のようで、雨まじりの風がぴゅうぴゅうと吹いてきます。松の木陰で地元の高校生たちが歓談中。一番大きな少年は17歳だそうです。煙草吸って いいのでしょうか。わたしも吸おうとしたら、自分の箱からぱっと一本差し出して火をつけてくれました。ずいぶん大人びた身のこなしにびっくり! 〈2009.12.22.〉

高校生諸君

高校生諸君



  路線バス「始発から終点まで」ツアー・その2

ペンディキ発シシリー行き

ペンディキ発シシリー行き

2階の座席

2階の座席

ペンディキのターミナルには、ここからさらに山側 に入る路線がありました。この先どんなところに行くのかしらんと思って時刻表を見ると、日中はほとんど便がありません。あきらめてカドキョイに戻ろうとし たところ、2階建てのバスが停まっています。行き先はメジディエキョイ・シシリー Mecidiyekoy・Sisli 。ヨーロッパ側新市街にあるわたしのアパートの近くです。時々同じ地名が向こうとこっちにあるので確認すると、やはり新市街まで行くようです。帰りはこれ に乗ることにしました。
料金は約180円、普通のバスの二倍。走行距離もそのくらいあるかもしれません。当然2階の一番前の席に座りました。観光バスのような仕様で何だか楽しく なってきます。乗客4名で出発。港からしばらく街に入った後は、もっぱら幹線道路を走ります。一種の高速バスみたいなものでしょうか。初めのうちは道も空 いていて快適でしたが、だんだん渋滞してきました。道路の右側は現在メトロの工事中。メトロができればだいぶ便利になりますね。



幹線道路

幹線道路

お天気はいよいよ悪くなり、フロントグラスには滝 のように雨が流れています。おまけに乗客が増えるにつれて窓ガラスが曇ってきます。せっかくの観光気分なのに、外がきれいに見えなくてちょっと残念。この バスは携帯OKのようで、車内のあちこちで話し声が。ちらりと聞こえたところによると、後ろの年配の男性はこれから病院に行くのだそうです。高速バスとは いえ本数も多く、しっかり市民の足になっていることがわかります。

雨のボスフォラス大橋

雨のボスフォラス大橋

メジディエキョイ・シシリー界隈

メジディエキョイ・シシリー界隈

前方にボスフォラス大橋が見えてきました。外はは げしい雷雨です。でもせっかくの機会なので、ガラス越しに無理矢理写真を撮ってみました。ゆがんで見えるのは、ガラスに当たった雨が流れているためです。 バスはメジディエキョイで環状線を降りて、シシリーに向かいます。しかしひどい渋滞でなかなか前に進みません。終点まで行きたかったのですが、途中の道ば たで降ろされてしまいました。所要1時間25分。道中混んでいたとはいえ、やはり普通の路線バスよりもかなり速いバスでした。〈2009.12.22.〉



  スクールデイズ・その1

二ヶ月の予定だったイスタンブール滞在ですが、いざ行ってみたら見るもの聞くものすべてが新鮮で、毎日びっくりするやら感心するやら。観光の時には気がつ かなかったさまざまなできごとに、すっかり圧倒されてしまいました。せっかくの機会なので少し滞在を延長し、2010年お正月に日本に戻ってまいりまし た。
まだまだご紹介したいことがたくさんあります。これから後はイスタンブールの日々を思い出しながら、印象に残ったことを取り上げていくことにいたしましょ う。

学校正面

 学校正面






歴史を感じさせる内部です

イスタンブールには大きな語学校がいくつかあります。わたしが通っていたのはトメルTomer という学校でした。ここはアンカラ大学で開発され たプログラムを使っていて、外国人のためのトルコ語教育で定評のあるところです。本拠地はもちろんアンカラ。他にもイズミールやアンタルヤなど、トルコ国 内に10の分校があります。
イスタンブール校はイスティクラル通り中ほどを少し入ったところにありました。繁華街の裏手なので周囲は何やら歌舞伎町の裏通りみたいな感じですが、校舎 は1920年代に建てられた7階建ての立派なヨーロッパ建築です。最新式の近代建築に比べると居住性にやや劣るとはいえ、歴史的建造物だけあって細部の装 飾が凝った美しい建物でした。



屋上から見たガラタ塔方面



  クラスメイト

ある時クラスメイトに誘われて屋上に上がってみました。そもそも丘の中腹に建っているので、上まで登ると素晴らしい眺めです。ガラタ塔から旧市街まで見渡 すことができます。日中は逆光になるので金閣湾の写真はうまく撮れませんでしたが、風が吹き抜ける気持ちのいい場所でした。お天気のいい休み時間のたびに そこでたむろしていたら、その後危険だからということで立ち入り禁止になってしまいました。何とも残念。
授業はなかなか大変で、毎日ついていくのに必死でした。クラスメイトはほとんどがトルコ語ぺらぺらです。みんな何でこんな初級クラスにいるのかわかりませ ん。そんなことを言っても仕方ないので、連日山のように出る宿題を泣きながら(?)やっていました。休み時間の共通言語は英語だったのがせめてもの救いで す。聞くところによると、仲間うちの共通語がロシア語とか中央アジアの言語になる場合もあるそうなので。



授業風景

素晴らしかったのは先生の教え方です。最初のクラスは学生8人、次のクラスは15人でしたが、一瞬たりとも気を抜けない怒濤の授業展開、恐ろしい勢いで単 元が進んでいきます。しかもそれが、和気あいあいと明るく楽しい雰囲気いっぱいで、というところがすごい。
先生は各学生の能力や性格、そしておそらく文化的背景を瞬時に把握して、それにあった内容の質問を機関銃のように繰り出します。よくわからないままトンチ ンカンな返答をしても、上手にフォローして正解に導いてくれます。気の利いた冗談でみんながお腹をかかえて笑います。クイズ感覚でその日のポイントをおさ らいします。教員の立場になって、こんな密度の高い授業を1日4時間毎日やれと言われても、とてもできない…と感服しました。もっともこれはたまたまそう いう熱血先生に当たっただけなのかもしれませんが。
写真の授業風景は「海峡沿いの眺めのよいレストランに来た二人連れの客と給仕係」というシチュエーションです。店に入って席に着き、メニューを見て料理を 注文、お勘定をするという一連の会話を、学生三人で実演します。このときは「いささか威勢のよすぎるギャルソンヌに、おとなしい観光客がびびりまくる」と いう展開になってしまいました(笑)。〈2010.2.16.〉



  スクールデイズ・その2






  先生の誕生パーティ?



  韓国の友だちの力作「キンパ」

底抜けに明るく楽しい先生のおかげで、わたしたちのクラスはとても親密で仲のいいクラスになりました。数ヶ月前から学校に通っていた友だちが「こんなに仲 のいいクラスなんてあり得ない!」と叫ぶほどです。たしかにこればっかりは巡り合わせというものでしょう。本当に幸運なことでした。
ある時、明日は先生の誕生日だから、ケーキや飲み物をこっそり用意して、休み時間にサプライズパーティをしよう、という計画が持ち上がりました。「じゃあ 僕はケーキを買ってくるよ」「わたしは飲み物ね」「わたしはみんなでつまめる軽食を作って来ようかな」と、その場で話がまとまります。わたしは鶏のつくね と卵焼きを作って持っていくことになりました。
そして当日。休み時間に教員室に戻ろうとする先生を呼び止め、廊下で待っていてもらいます。その間にそれぞれ持ち寄ったものを机に並べ、ケーキにろうそく を点します。そしていよいよ先生の入場。みんなで「ハッピーバースデイ」を歌います。先生は何ごとかとびっくり!「だって今日はわたしの誕生日じゃなく て、わたしの息子の誕生日なのよ!?」…。
クラスメイトはみんなトルコ語上手だけれど、そのあたりをちょっと聞き間違えたのですね。それでも先生はとても喜んでくれて、みんなでおいしくケーキや軽 食をいただきました。



  ケーキ持ち込み



 


  ロカンタで昼食会

また別の時は、先生がナッツやレーズン入りのお手製ケーキを持ってきてくれたこともありました。このときは学校近くのチャイ屋にケーキを持ち込み、お茶を 飲みながらみんなで頬張ったのでした。
こんな具合で先生と一緒にお昼を食べに行ったり、夕方集まってビールを飲みに行ったり。最初のころはクラスメイトだけで集まっていましたが、そのうちみん な学外のボーイフレンドやガールフレンドを連れてくるようになって、ますますにぎやかに。先生もまたそれを歓迎していました。こういうところに、おおらか で友だちを大切にするトルコらしさを感じます。
でも、先生が一緒のときは教室以外の場所でもトルコ語で話をしないといけません。教育的配慮ということでしょうか。隅の方でこっそり英語で話していると、 「ヒロミ!」と注意されます。おかげで、課外授業にいたるまでしっかり充実した語学校生活を送ることができました。
このときのクラスメイトは、学校をやめたりクラスが変わったりした今でも、時々会ってはパーティをしているそうです。各国から勉強に来た若い人たちと親し くなれたことは、わたしにとってもとても貴重な経験でした。またみんなと会いたいなあ!〈2010.3.6.〉






 建物正面。普通のアパートと同じ です

イスタンブール滞在中に泊まっていたのは、「イスタンブール・スイーツIstanbul Suites 」というところでした。場所はタクシム広場から歩いて約15分、「軍事博物館」の近くにあります。ここはホテルというよりも家具付きのアパートで、原則的 に週、または月単位の契約になっています。各部屋には基本的な家具とキチネット、冷蔵庫、調理器具、食器、バスルームなどが完備されています。部屋数は全 部で12室。たいへんこじんまりとしたアパートです。
わたしのいた部屋は、ワンルームを棚とカーテンで仕切ってリビングと寝室に分けてあり、実質的に1LDKという感じになっていました。隣の建物もこのホテ ルの所有で、そちらはキッチンと寝室、リビングがそれぞれ完全に独立した部屋になっています。いずれも普通に生活することを前提にしているため、とくに ゴージャスでぴっかぴかというわけではありませんが、清潔で使い勝手がよく、快適に過ごすことができました。家族連れの観光客や仕事で長期滞在するひとが 多いようでした。
大通りから少し入ったところにあるので、街の中心にある割にたいへん静かです。近所にバチカン領事館があり、時々そこの教会から鐘の音が聞こえてきます。 イスラム寺院のエザーン(礼拝のアナウンス)と、キリスト教会の鐘の音が両方聞こえるのは、この街ならではのことかもしれません。
すぐ前の路地では子供たちがボールで遊んでいたり、ご隠居さんが椅子とテーブルを持ち出して、日がなバックギャモンに興じていたりします。通りの向こうと こっちで、窓越しに世間話をしているお母さんもいます。何だか下町情緒たっぷりという雰囲気ですね。





  リビング

ここは地の利がよいということもありますが、何よりも大家のナラン・サジュク Nalan Sacikさんがとても誠実で信頼できる人柄で、安心して過ごせるという点が魅力です。彼女自身も同じ建物に住んでいるので、たとえば台所の流しの具合が 悪いとか、部屋のテレビが映らないといった不具合にすぐ対応してくれます。
またある時は、だいぶ寒くなってから深夜に怪しげな節回しで声を張り上げ通りを徘徊する男が連日出没し、何やら不安に思ってあれは何かとたずねたら、「そ れはボザ売りよ」と教えてくれました。ボザbozaは冬場に出回るトルコの伝統的な天然飲料ですが、まさかそんなふうに真夜中に路地で売って回るとは思い ませんでした。教えてもらわなければ、毎晩「ボザ売り」の声にびびっていたかも?彼女は「彼を呼び止めて買うよりも、大通りにある大きなお菓子屋さんで瓶 入りのを売っているから、それの方がおいしくていいわよ」と助言してくれました。



  部屋の窓から



  向かいのよろず屋開店準備中

ナランさんは、ここに滞在するひとたちは自分の家族と同じと思っているそうです。ですから、そのひとたちが快適に過ごせるようにいつも気を配っています。 みんなの話を聞いたり相談にのったりすることは、自分にとって大切なことだし、またそれがとても楽しいと話していました。
実際に、玄関脇の彼女のオフィスでお茶を飲みながらおしゃべり、ということもよくありました。アパートの地下階には本格的なキッチンを備えた広いサロンが あり、そこで滞在者同士の交流の場がもたれることも。彼女はこれからそのサロンを利用して、滞在者のために「旅行で使えるトルコ語講座」や「簡単トルコ料 理教室」などを開催していきたい、と意欲的に抱負を語っていました。
いつも明るく頼りになるナランさん。彼女のおかげで充実したイスタンブール生活を送ることができたのだなあ、としみじみ思ってしまうのでした。 〈2010.3.23.〉



  駅前商店街



クルトゥルシュ商店街



  八百屋兼肉屋の店先

ナランさんのアパートは、メトロのタクシム駅とオスマンベイ駅の中間ぐらいにあります。ジュムヒュリエット通りにはスーパーが3軒ほどある他に、飲食店や 食品店、お菓子屋さんなどがたくさん並んでいて、なかなかにぎやかです。アパート近くの裏路地にはぽつぽつとよろず屋やパン屋、雑貨屋など。普段は学校帰 りにこうしたお店に立ち寄って買い物をしますが、もうちょっと本格的に食材をそろえたいときはオスマンベイ駅の方に出かけます。
大通りをはさんで駅の東側は、高級おしゃれエリアのニシャンタシュNisantasi、テシヴィキエ Tesvikiye。西側はクルトゥルシュKultulusという地域で、こちらは地元駅前商店街全面展開。通りを一本はさんだだけで、雰囲気ががらっと 変わります。ニシャンタシュ方面は公園や音楽会のホールがあるので、くつろぎたいときに足を運びます。しかし日々の糧なら何といっても駅前商店街です。



「村の玉子」



伝統薬局

乾燥ハーブやドライフルーツ、小麦粉を練って薄くのばした生地「ユフカyufka」など、伝統的な食品を扱う店が何軒もあります。そういう店にはたいてい 「村の玉子koy yumruta 」と称した、ばら売り玉子が並んでいます。もみ殻のなかに埋まった玉子を客が自分で選びます。ちょっと宝探しみたい。スーパーなどの玉子より高めで1個約 20円。でも欲しい分だけ買えて無駄がないうえ、味もいいみたいです。
薬局はいたるところにありますが、市販薬や処方箋の薬を扱う店の他に、薬用ハーブやオリーブオイル石鹸、エッセンシャルオイルなど、ナチュラル系のものを 扱う伝統的な薬局もあります。漢方薬局みたいなものでしょうか。トルコではちょっと風邪を引いたぐらいだったら、薬草茶と柑橘系の果物で治してしまうひと が多いそうです。店内はハーブの香りで一杯。



お菓子屋さん



  カルフール

商店街には他にも肉屋、魚屋、酒屋、金物屋、床屋、洋品店、雑貨屋、花屋などがひしめいていて、生活感にあふれています。外国人だからといって値段をふっ かけてくることもありません。八百屋のお兄さんは、トルコ語の野菜の名前やご近所の情報を教えてくれます。肉屋のおじさんは、わたしがほんのちょっとしか 買わなくても(つまり地元のひとたちはいっぺんにキロ単位で買っていく)、いつも上機嫌で包丁を振り回しています。本当においしい食材は、やはりこういう 個人商店に多かったように感じました。
駅前から延々と続く商店街は、ゆるい坂を下って2キロ半ぐらいで終わります。終点にあるのは巨大な売り場面積を誇るスーパー「カルフール Carrefour 」。フランス資本だけあって、フランス産のワインやチーズなども手に入ります。ベーコンやハムといった豚肉製品も、隅の方にちょこっと並んでいました。い ろいろなものをまとめて買いたいときや、ちょっと目先の変わったものがほしいとき、こういうスーパーはやはり便利ですね。
個人商店と大型スーパー。ここではどちらもにぎわっていて、うまく共存しているように見えました。〈2010.5.26.〉



  エディルネカプ周辺



  テオドシウスの城壁

エディルネカプEdirnekapiはテオドシウスの城壁にいくつかある門のひとつです。城壁はイスタンブールのヨーロッパ側、街の西側を守るようにして 造られ、現在かなり修復されています。エディルネカプはこの城壁の北寄りにあり、ここを通ってさらに西に向かうと、ギリシア、ブルガリアと国境を接する 町、エディルネにたどり着きます。だから「エディルネ門」というわけです。



  オスマン様式の民家



  博物館前のカフェテラス

このあたりは観光地ではなく、ごく普通の住宅地といった感じです。近くにカーリエ博物館がなければ、観光客が足を運ぶこともないでしょう。なぜか博物館近 くの路地の一画に、オスマン様式の木造家屋がずらっと並んでいます。いずれも割と新しく建てられたようで、見たところ普通の民家みたいです。他にもあるか と思ってそのへんを歩いてみましたが、こんなに集中しているのはここだけでした。昔はこういう家がイスタンブール市内にたくさん並んでいたのでしょうね。




  ロカンタの昼食



  ロカンタのおじさんケバブを削ぐ

博物館周辺は入口に大きなカフェテラスがあるだけで、バス停のある幹線道路まで出ないとお店らしいものはありません。博物館を見学した後、何軒かある食堂 の一軒でお昼を食べました。肉と野菜の煮込みとピラウ。パンは食べ放題。これにお茶がついて約500円。何ということのないごく普通の料理ですが、トルコ はこういうものがなかなか美味です。タクシム界隈のロカンタで食べると、同じようなものでももう少し値段が高くなります。この店は味付けがあっさりしてい ておいしかった。見た目よりボリュームもたっぷり、夜になってもお腹が空きませんでした。〈2010.6.8.〉



  イスタンブールのシャガール



  正面入り口



  エレベータの扉もシャガール

2009年10月23日から2010年1月24日まで、新市街にあるペラ博物館Pera Muzesiで「シャガー
ル展」が開催されていました。日本でも人気のあるシャガール、ここではどんな風に紹介されているのでしょうか。この博物館は常設展もたいへん充実していま す。常設展についてはこちらをごらんください。特別展開催翌日に行っ てみたにもかかわらず、館内は閑散としています。平日のお昼過ぎという時間帯だからか もしれませんが、ちょっと拍子抜けしてしまいます。しかし展示は圧倒的なものでした。油絵やドローイング、版画など160点あまりを、3階分のフロアを 使ってゆったり展示してあります。エレベータの扉までシャガールになっています。なかなかおしゃれな博物館です。



フロアの様子



作品

シャガールは愛を主題にした作風で知られていますが、作品にはユダヤ教のさまざまなモティーフが使われることがあります。この展覧会は「シャガール、人生 と愛」というテーマでしたが、全体を丹念に見ていくと、信仰者としてのシャガールの姿が浮かび上がってきます。これは日本ではあまりクローズアップされる ことのない側面かもしれません。イスラム教、ユダヤ教、キリスト教それぞれの寺院や教会が混在するイスタンブールでこういう展示を見ると、説得力があるよ うに感じられます。
トルコを代表するマグナムの写真家アラ・ギュレルAra Guler がシャガールに会ったときの話も紹介されていました。ギュレルによると、シャガールはロシアから亡命してすぐイスタンブールを訪れ、マルマラ海にあるビュ ユックアダBuyukada という島に数年間滞在したとか。シャガールは「君はあのあたりのことに詳しい?島の写真を撮ったことがあるなら送ってほしい な」などとギュレルに語ったそうです。



カフェ



  ランチョンマットもシャガール



  マリア・カラスのピアノ

ところでこの博物館には素敵なカフェがあり、入館者以外も使えるようになっています。見応えのある展覧会のあとにお茶で一息入れるにはもってこいです。軽 食などもあるようでした。広くてゴージャスなラウンジの中央に、マリア・カラスのピアノが展示されています。第二次大戦後カラスがアメリカに渡る際、ちょ うどアンカラのコンセルヴァトワールに招聘されることになったカラスの先生のもとに渡ったものだそうです。思いがけない発見があって、ここはすっかりお気 に入りの博物館になってしまいました。〈2010.6. 30.〉