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番外編・テッサロニキの日々

  番外編・テッサロニキの日々



青い空に青い国旗



海辺の散歩道

テッサロニキThessaloniki はギリシャ北部のマケドニア地方にある都市です。首都アテネに次ぐ第2の街で、テルマイコス湾の奥に位置するため、古来より港湾都市として発展してきまし た。現在もギリシャ北部の産業や文化の中心地として機能しています。人口は約32万(2011年)。
街の歴史は古く、紀元前316年ごろ、古代マケドニア王国の将軍カッサンドロスが近隣の町を統合して設立されました。テッサロニキという名前は、彼の妻で アレクサンドロス大王の異母妹テッサロニケに由来するものです。街の英語読みはSalonika、トルコ語ではSelanik、古代ギリシア語が Thessalonike、ラテン語ではThessalonica となります。
前148年にローマ帝国の属州となり、紀元後395年ローマ帝国が東西に分裂した後は東ローマ帝国第2の都市として栄えました(もちろん帝国の首都はコン スタンティノープル、現在のイスタンブール)。1430年にオスマン帝国領となり、オスマントルコから独立したギリシアに1913年統合されました。
アテネが古代ギリシャを象徴する街なのに対して、テッサロニキはビザンティンを象徴する街だといわれる通り、今もビザンティン建築が多く残っています。 「テッサロニキの初期キリスト教とビザンティン様式の建造物群」は1988年世界文化遺産に登録されました。



アリストテルス広場

トルコとはいろいろな意味で縁の深いテッサロニキ。日本ではまだあまり馴染みがありませんが、歴史的にも文化的にも興味深い街です。イスタンブールからは 毎日直行便が出ているので、簡単にアクセスできます。飛んで1時間20分。
というわけで、2013年の夏にちょっと行ってみました。番外編として街の様子をご紹介いたします。〈2013.11.20.〉



  ビザンティン教会いろいろ




アギア・ソフィア



教会内部



キリストの昇天



聖母子像

さすが街のいたるところでビザンティン教会が目につきます。おしゃれなブティックやホテルが並ぶ通りを歩いていると、ふいに見事な教会が現れてびっくり。 ビザンティン建築とモダンな建物が不思議な具合に混ざり合っているところが、この街の魅力でしょうか。もちろんどの教会も現在はギリシア正教の教会です。
アギア・ソフィアAgia Sophia聖堂は8世紀の建造で、テッサロニキでもっとも重要な聖堂とされています。イスタンブールにあるアヤソフィアをモデルにして造られました。ドームには天使に守ら れて昇天するキリストを描いたモザイク画があります。これは9世紀ごろ描かれたもので、他ではあまり例がなく、初期キリスト教のモザイク画として非常に貴 重なものです。12世紀になるとドームには人々を祝福するイエスの姿を描くことが多くなるからです。祝福するイエス像は、イスタンブールのアヤソフィアやカーリエ博物館などで見ることができます。
正面にある聖母子のモザイクは12世紀のもの。当初は、イスタンブールのアヤ・イリニ教会のように十字架だけが描かれていたそうです。ここは1430年か ら1912年までのオスマン時代にジャーミーとして転用されていました。



アギオス・ディミトリオス教会の裏手



天井の木材が印象的



聖ディミトリオスのモザイク画



地下聖堂



照明の具合もいい感じです

アギオス・ディミトリオスAgios Dimitrios教会は、テッサロニキの守護聖人ディミトリオスが313年に殉教した場所に建造されました。教会ができたのは5世紀ごろのこととされて います。長い年月の間に火事や地震などでたびたび被害を被ったにもかかわらず、今も当時の典型的なバシリカ様式を保っています。とくに1917年の大火災 で街は壊滅状態となり、この教会も焼失しましたが、焼け残った資材を使って1926年から48年にかけて再建されました。8世紀のモザイク画が5枚、火災 を免れています。とても大きな教会ですが、正面よりも裏の方が面白い構造になっています。この教会もオスマン時代にはジャーミーとして使われていました。
祭壇脇を下りていくと地下聖堂があり、ディミトリオスが殉教したというローマ浴場跡が残っています。大理石のフラグメントなども展示されていて、ちょっと した博物館のようでした。



パナギア・ハルケオン教会

パナギア・ハルケオンPanagia Chalkeon教会は1028年建造、1934年に修復されました。道路からかなり低い位置に建っている印象的な教会で、赤い煉瓦でできていることから 通称「赤い教会」と呼ばれています。ビザンティンの教会はだいたい赤みがかった煉瓦造りですが、確かにここは他の教会よりも赤く見えます。敷地内にはさま ざまな植物が生い茂り、美しい庭園のようです。内部にはアギア・ソフィアのモザイク画に影響を受けたフレスコ画(11世紀と14世紀のもの)が残されてい るのですが、何故かいつも閉まっていて入れませんでした。オスマン時代には「大鍋商人のジャーミー Kazancılar Camii」という名前だったそうです。



名称不明教会



フレスコ画

ロトンダ近くにあった教会は、ついに名前がわかりませんでした。堂々とした姿で、内部にフレスコ画も残っていたのですが。
そういえばキリスト教の教会には名前がわかる表示が見あたりません。そこに集う信者は名前を知っているわけですから、看板がなくてもとくに問題ないので しょう。でも、イスラム教のジャーミーには入口付近に名前が彫ってあったりプレートが貼ってあったりします。日本の神社やお寺も同じです。それぞれに似て いるところや違いがあるものですね。〈2013.11.20.〉



  歴史的建造物



ホワイト・タワー



木陰の爆睡犬

テッサロニキのランドマークとも言うべきなのが、ホワイト・タワーWhite Towerです。海辺に堂々とした姿を見せています。5世紀中葉ビザンティンの塔が建っていた場所に、ヴェネツィア人が防壁の一部として15世紀に造り替 えました。
オスマン時代には牢獄として使われ、「血塗られた塔Blood Tower」と呼ばれていたそうです。1878年に閉鎖され、その後1890年に白く塗られて新装なり、現在内部にはキリスト教の遺物やテッサロニキに関 連する品々が展示されています。周囲は公園になっていて、地元の人々が思い思いにくつろいでいました。



ロトンダ



内部



天井近くのモザイク



ガレリウスの凱旋門

ロトンダRotundaはローマ皇帝ガレリウスの霊廟として306年に造られたものです。しかし実際に彼の霊廟として使われることはありませんでした。ガ レリウスはテッサロニキから離れた現セルビアで亡くなり、そこで埋葬されたからです。その後コンスタンティヌス帝によって、テッサロニキで最初の教会とな りました。ガレリウスがキリスト教徒迫害に熱心だったことを考えると、歴史の皮肉を感じます(亡くなる直前に信仰の自由を認める寛容令を布告したとはい え)。
オスマン時代にはジャーミーとして使われ、ミナーレは修復されて現在も残っています。
内部は木の足場が組まれてがらんとしていますが、天井近くの壁に5世紀ごろのモザイク画や9世紀ごろのフレスコ画を見ることができます。ただし恐ろしく天 井が高いので、単眼鏡がないと細部を見るのはきびしいかもしれません。1996年に世界文化遺産に登録されました。

そのガレリウスが297年メソポタミアに遠征しササン朝ペルシアを破ったことを記念して、305年ごろに建造されたのがガレリウスの凱旋門Arch of Galeriusです。壁面にはその時の戦いの様子がレリーフで描かれています。劣化が進んでいるように見えました。この凱旋門があるエグナティア通り は、コンスタンティノープルとローマを結ぶ街道で、現在も街の中心を横切るにぎやかな通りになっています。



ローマ時代のアゴラ



野外劇場



ライトアップされたハマム



ハマム隣の商店

ゴージャスなマンションがひしめく街中に、ぽっかりと広大な空間が広がっています。ローマ時代のアゴラRoman Agoraです。アゴラは広場とも市場とも訳されますが、劇場や浴場、集会所といった公共施設、商業施設などが集まった場所で、都市部の人々にとって政 治・経済の中心になるところでした。この街のアゴラは前3世紀のマケドニア王国時代に始まり、その後ローマ時代に繁栄を極めました。街の真ん中にある遺跡 としてはかなり規模が大きく、良い状態で保存されています。

アゴラから少し離れた場所にハマム(トルコ式浴場)がありました。実はこれもアゴラにあった施設で、かつてローマ浴場だったものがオスマン時代の1444 年に修復されてハマムとして使われていました。「パラダイス風呂」という名前で知られていたそうです。外から見ると、何がどうなっているのかよくわからな い複雑な構造になっています。現在はギャラリーになっているということでしたが、開店休業みたいな雰囲気でした。周辺はおしゃれなカフェや商店がひしめい ていて、にぎやかなエリアです。



アタテュルク博物館



ムスタファ・ケマル=アタテュルク



展示室



台所

テッサロニキは、トルコ建国の父ムスタファ・ケマル=アタテュルクの生まれた街でもあ ります。彼が1881年に生まれた家は在テッサロニキトルコ領事館の 敷地内にあり、現在ア タテュルク生家博物館Atatürk Evi Müzesi になっています。平日10:00〜17:00開館。
開館は1953年ですが、2010年に修復が始まり、2013年夏に新しくなって再び公開されました。1870年に建てられた3階建ての木造建築は、上階 がせり出したオスマン様式の民家で、2011年にギリシャ文化省によって近代歴史遺産に指定されたということです。
各階内部はテッサロニキ、イスタンブール、アンカラに分けられ、それぞれの都市における彼の軌跡がパネルや写真、ビデオなどで紹介されています。彼が育っ た家としての名残は台所だけで、きれいに復元されていました。そして中庭には、彼が子供のころその周りでよく遊んでいたという石榴の樹が。
係員はもちろんトルコ人、見学に訪れるのもトルコ人が多いようです。イスタンブールの地元旅行会社で催行するトルコ人向けギリシャツアーでは、必ずここが 見学コースに入っています。近くの土産物屋はトルコ人経営。カフェにもトルコ語表記の看板が出ていて、「トルコ風朝食セット」なんていうメニューも見えま した。〈2013.12.21.〉



  博物館
 


テッサロニキ考古学博物館



裏手の屋外展示場

目抜き通りのツィミスキ通りを歩いてホワイト・タワーへ向かった先に、テッサロニキ考古学博物館 Archaeological Museum of Thessaloniki があります。
祝日閉館。夏期は月曜日12:30〜19:00、火曜日から日曜日8:00から19:00。冬期は月曜日10:00〜17:00、火曜日から日曜日8: 00〜15:00。
1962年に開館した後、数回の増築を経て現在の規模になりました。広大な敷地の中に水平に広がる建物が印象的です。設計はギリシャのモダニズム建築家パ トロクロス・カランティノスPatroklos Karantinos (1903-1976)。このひとはオスマン時代のコンスタンティノープルに生まれ、アテネで亡くなりました。テッサロニキ・アリストテルス大学の教授 だった時期もあったそうです。
収蔵品はテッサロニキを中心とするマケドニア地方の出土品で、先史時代、アルカイック、古典期からヘレニズム、ローマ時代と目もくらむようなラインナッ プ。とりわけ古代マケドニア王国時代のコレクションが見事です。テッサロニキを歩くとビザンティンを感じますが、この博物館に入るとここが「古代マケドニ ア王国」だったことを意識させられます。





古代マケドニアの至宝



「デルヴェニのクラテール」

テッサロニキから60キロ余り西にヴェルギナの遺跡があります。そこはアレクサンドロス大王の父王フィリッポス2世の墳墓だということが1977年に判明 し、さまざまな出土品がこの博物館に展示されています。繊細な黄金の冠や装飾品には本当に目がくらみます。他には各時代の彫刻、陶器、モザイクなど、どれ も圧倒的な迫力。
「デルヴェニのクラテールDerveni Crater」もたいへんユニークです。デルヴェニもテッサロニキにほど近いマケドニア王国の街で、1962年にその遺跡の墳墓からクラテールが発見され ました。前350年ごろのものとされています。クラテールは地中海文化圏で葡萄酒と水を混ぜるために使われていた容器です。昔は葡萄酒を水で割り、蜂蜜な どで風味をつけて飲んでいました。このクラテールは高さ90.5センチ、重さ40キロという巨大なもの。金色に輝いていますが、銅と錫の合金製です。ギリ シャ神話で酒神といわれるディオニュソスのモティーフが全面に描かれ、とても精緻な装飾が施されています。発掘されたときは、焼いた人骨が中に納められて いたということです。実際にクラテールとして使われたのではなく、儀礼用のものだったのかもしれません。



展示室



モザイク部屋



エジプトの影響が見られる杯





  大理石の彫像

どの部屋も展示の仕方が工夫されていて、解説も丁寧です。とりわけ装飾品や彫像のライティングが素晴らしく、収蔵品の質とともに水準の高い博物館だという ことがわかります。ヨーロッパに現存する最古のパピルス断片、「デルヴェニ・パピルスDerveni Papyrus 」もこの博物館に保存されているということでした。
ミュージアム・ショップも充実しています。写真集や解説書はもちろん、金属製品のアクセサリー、大理石やテラコッタ製のレプリカなど、実に精巧にできてい て感心します。どうせレプリカを作るなら、このくらい緻密に作らなければ面白くありません。ヘレニズム時代の彫像など、小さな物を思わずお土産に買ってし まいました。



ビザンティン文化博物館



展示室





さまざまなイコン



ビザンティン・グラス

考古学博物館の隣はビザンティ ン文化博物館Museum of Byzantine Cultureです。
月曜日13:00〜20:00、火曜日から日曜日8:00〜20:00。閉館日なし。チケットは考古学博物館との共通券が割引きになります。
ここも素晴らしくモダンな建物ですが、外壁が煉瓦のせいかビザンティン建築の雰囲気がそこはかとなく漂っています。1994年開館。ギリシャの建築家キリ アコス・クロコスKyriakos Krokos(1941-1998)設計。
内部はテッサロニキを中心とするギリシャ北部一帯のビザンティン美術で満ちあふれています。3、4世紀の初期キリスト教時代から1453年ビザンティン帝 国滅亡までの教会内部の祭壇、装飾品、モザイク画、イコン、大理石のレリーフ、陶器製品などが結集したという印象です。他にも初期キリスト教徒の生活や埋 葬の方法などを紹介するセクションや、ビザンティン以降19世紀までのキリスト教関係の遺物が見やすく展示されています。とくに13世紀から15世紀のイ コンが並べられた展示室が圧巻。その量と質には驚くばかり、迫力に満ちたコレクションです。



案内用プレート



この先に総大理石のお手洗いが

展示室の床は大理石。ゆったりと空間を使っています。この博物館そのものがビザンティンという時代と文化を具現しているかのようです。館内の案内板もモザ イクをあしらったデザインで、しゃれています。遊び心を感じます。
びっくりしたのはお手洗い(博物館は総じて滞在時間が長いため、見学の合間にどうしても行くことになります。何だかいつもお手洗いの紹介をしているような 気もしますが…)。広い廊下から個室内部、洗面台、壁まですべて大理石、しかもウルトラモダンなデザイン。何とも贅沢なお手洗いでした。 〈2013.12.21.〉




  テッサロニキ・ユダヤ博物館

街の中心部に、ひとつ興味深い博物館があります。テッサ ロニキ・ユダヤ博物館 Jewish Museum of Thessaloniki です。
火・金・日11:00〜14:00、水・木11:00〜14.00、17:00〜20:00。土・日休館。内部の写真撮影は禁止です。建物はイタリアの建 築家ヴィタリアーノ・ポツェーリVitaliano Pozeliによる設計。1904年に建造され1917年の大火を奇跡的に免れたものです。もとはアテネ銀行やユダヤ新聞社として使われていました。 1997年開館。ポツェーリは他にテッサロニキ銀行やオスマン時代のイェニ・ジャーミーなども設計しています。
アレキサンドリアからテッサロニキにユダヤ人がやって来たのは前140年ごろといわれており、ヘレニズム時代を通じてコミュニティを形成、その後金融や絹 貿易などで街の発展を後押ししました。ユダヤ世界には一般に、南欧・中東系のセファルディムと東欧系のアシュケナジーというふたつの大きな勢力がありま す。テッサロニキにはセファルディムの人々が多く住んでいましたが、15世紀からはアシュケナジーのコミュニティもあったそうです。
博物館には、儀礼で使われた祭祀道具や墓碑、民俗誌的な紹介、テッサロニキに暮らすユダヤ人に焦点を当てた写真やさまざまな資料が時代ごとに展示されてい ます。16世紀から20世紀までの出版物をそろえたライブラリーもありました。
展示は第二次大戦で終わっています。1941年のナチス・ドイツ占領後、1944年に街が解放されるまでの間に49000人のユダヤ人が強制収容所に連行 されました。テッサロニキに住むユダヤ人の実に96.5%がホロコーストの犠牲となったわけです。
折しもテッサロニキを訪れる数日前に、ポーランドのアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を見学していました。収容所にはヨーロッパ各地からユダヤ人が 送り込まれましたが、その最東部のひとつはテッサロニキだったのでした。〈2014.1.31.〉



  テッサロニキの美味
 









にぎやかな市場

テッサロニキにはおいしいものが満ちあふれています。エーゲ海の新鮮な魚介類、豚や羊などの肉料理、塩味が効いたフレッシュタイプのフェタチーズ、力強い 味の野菜やハーブ、大粒のつやつやとしたオリーブ、そして太陽の恵みが凝縮されたようなワイン。
トマトやオリーブオイル、ハーブを使った料理は、まさに地中海料理そのものです。ギリシャ料理はイタリア料理、スペイン料理、モロッコ料理とともに「地中 海の食事」として2010年ユネスコの無形文化遺産に登録されました。

街の中心部に市場があり、八百屋や魚屋、チーズ、オリーブ、ハムやベーコンなどの豚肉加工品を扱う店が軒を連ねています。魚は種類が豊富でしかも安い。海 域としたらイスタンブールあたりとそれほど違わないと思いますが、こちらの方が圧倒的にたくさん種類があります。トルコと地理的に近く、歴史も重なり合っ ているテッサロニキですが、魚に関してだけは民族的な好みの違いを感じます。
肉類はスパイスをまぶして串焼きにしたりオーブンで焼いたものが多く、魚介類はグリルやフライ、マリネなど。イカやタコもよく見かけます。いずれもさっぱ りした味付けで日本人好みの味、素材のおいしさを十分に堪能できます。総じて量がたっぷり、ダイナミックな盛りつけで、ワインや葡萄から作った蒸留酒のウ ゾを片手に仲間同士でわいわいやるのにぴったりです。



居酒屋通り



サラダの上にはチーズがかかっています



メゼのチーズコロッケ



ギリシャのビール「ミソス」



樽出しワイン

街にはこぢんまりした居酒屋(タヴェルナ)がひしめくエリアがあり、夏場は外に椅子とテーブルを並べて涼しい夜風を楽しみながら食事をします。夜の9時を 過ぎたころから地元の人々が集まりはじめ、楽隊なども入って夜中までにぎやかです。
そういうお店にはメゼと呼ばれるさまざまな前菜が用意されています。オリーブオイルを使った冷製の野菜料理、フェタチーズのサラダ、焼いたチーズやチーズ のコロッケ、ズッキーニの花にピラフを詰めたもの、塩漬けの葡萄の葉で肉や米を巻いて調理したドルマデス、刻んだきゅうりをヨーグルトであえたザジキなど など。
バリエーション豊かなおつまみで一杯やるわけですが、どこの店も瓶入りのワインというものを置いていません。ワインを注文してもワインリストはなく、赤か 白か、ドライかスウィートか、量はどのくらいかと訊かれます。やがて、日本酒をお燗するときに使う「ちろり」のようなアルマイトのカップに入ったワイン と、ワイングラスが運ばれてきます。
最初はわけがわからず面食らいましたが、要するに瓶ではなく樽から直接出してくるようなのです。これがまたどこで飲んでも安くておいしい。等級のない地酒 の類なのでしょうが、瓶入りでは味わえないフレッシュな風味と軽やかさがあります。それでいてしっかりとしたボディもあり、バランスが取れています。お店 によって仕入れ先が違うらしく、店ごとに違う味わいが楽しめます。
テッサロニキに来る前、ギリシャ人の友だちにお薦めワインなどを教えてもらったのですが、居酒屋でこういう出し方をするとは聞いていませんでした。友だち はアテネの生まれ育ちと言っていたから、もしかしたらこれはテッサロニキだけのやり方なのかもしれません。ギリシャは他の街を知らないので何ともわかりま せんが。
空気が乾燥して日射しが強烈な夏は、ビールがおいしい季節。神話という名前の「ミソス」は、ギリシャで初めての国産ビールとして1997年テッサロニキで 生まれました。ピルスナー・タイプのラガービールで軽いのど越しなので、日本人にも飲みやすい味です。



毎度おなじみイカリング



ダイナミックなイカ姿焼き



豚肉のロースト

タヴェルナではメインの料理も充実しています。変わったところではウサギやエスカルゴ、山羊の料理もありました。肉も魚も数種類ずつ用意してあるお店が多 いようです。イカリングはやっぱりギリシャでも柔らかくて美味。豪快イカの姿焼きも絶妙な火の通り具合、身が厚くて食べ応えあります。本当に何を食べても おいしいものばかり。1週間近くの滞在中に、一度もはずれがないという幸せな経験をしました。



トルコのシミットみたいな「クルーリー」



暑い季節にはアイスクリームやフラッペ

ギリシャ料理にはトルコ料理と共通するものがたくさんあり、名前もよく似ています。トルコ語ではメゼ、ドルマ、ジャジュク、キョフテ。ギリシャ語でもメ ゼ、ドルマデス、ザジキ、ケフテダキア。フェタチーズはトルコのベヤズ・ペイニル(白いチーズ)と瓜二つです。イスタンブールでは胡麻つきドーナツ型塩味 パン「シミット」を売る屋台がたくさんありますが、ここでも同じものを同じような屋台で売っています。ギリシャでは「クルーリー」という名前でした。
他にもトルコのボレッキのようなほうれん草入りのパイ、ドネルケバブの豚肉版ギロ、羊の臓物あぶり焼きのココレッチ。トルコと比べるとギリシャの方が塩 味、スパイス、油控えめでおだやかな感じがします。
お菓子はケーキ類の他に、トルコと名前も実態もほぼ同じバクラヴァ、カダイフィ、ルクム、ルクマデスといったものもありました。ルクムはトルコではロクム (ナッツ入り餅菓子)、揚げドーナッツの飴がけルクマデスはロクマと呼んでいます。
一方トルコでは、魚の名前はギリシャ起源のものがたくさんあるそうです。トルコ語でイカはカラマール、海老はカリデスですが、ギリシャ語ではそれぞれカラ マリア、ガリーダとなります。両国ともにビザンティンの時代からギリシャ独立までの長い間、同じ帝国の領土にあったわけですから、共通する言葉や料理があ るのも当然のことかもしれません。
街の人々はカフェでよくフラッペを飲んでいます。フラッペは濃いインスタントコーヒーをシェイクして冷やした飲み物。かき氷状になっているわけではありま せん。注文時にミルクや砂糖をどうするか訊かれます。気候風土にぴったり合った味わいです。



量り売りの酒屋



ホテルの部屋で宴会

イスタンブールに戻ったら豚肉製品は手に入りにくいので、お土産用にハムやベーコンを買おうと何回か市場に行きました。それにこの市場のあたりは、かつて ユダヤ人が多く住んでいた地域だそうで、シナゴーグもあるというので尋ねてみたのですが、はっきりわかりませんでした。
その代わりといっては何ですが、市場内で酒屋を見つけました。店先にはやはりワインの瓶は見あたりません。大きな紙パックの箱が並んでいます。店内には新 しい空のペットボトルも。どうやら紙パックに入ったワインをペットボトルに移して、量り売りしている様子です。なるほど、タヴェルナのワインはこういう酒 屋から買ってきたのかとわかりました。樽ではなくて紙パックというのが今風ですが。
値段は1リットルで表記してあります。一番安いのは1.80ユーロ!?あまりの安さに茫然としていると、店のおじさんが味見するかと言ってきます。そりゃ 断る理由がありません。おじさん小さなプラスチックのコップになみなみと注いでくれます。味見の分量をはるかに超えています。この時はまだ午前中。これか ら街の見学をする予定だったので、酔っぱらうわけにはいきません。そんなにたくさんいらないと言うと、「何で?だって味見はタダだよ、たくさんあった方が いいでしょ」などと言うのであります。3種類ぐらい味を見て、結局1.5リットル6.23ユーロというのを買いました。
さて、こうなったらこの日の夕食はタヴェルナではなく、ホテルのお部屋で酒盛りといきましょう。サラダ用の野菜、レモン、パン、オリーブ、チーズなどを市 場で調達。メインの温かい料理は、頃合いを見てテイクアウトができるお店で熱々を買ってきます。豚の串焼きスヴラキとギロ、たっぷり2人分ぐらいありそう なスパゲッティ・カルボナーラ。
旅行に行くと必ずこうした「お部屋食」をやってみることにしています。食堂で食べるのも楽しいけれど、地元の人たちと一緒になって買い物をしたり、よそ行 きでない料理を味わってみると、いろいろな発見があるものです。経済的な効果も期待できます。
ところがテッサロニキではそもそも居酒屋の値段が安いため、出来合いのものを買ってきて食べても、それほど値段に違いがないということに気がつきました。 量り売りワインが徹底的に安いということが影響しているのでしょうか。
トルコも野菜や果物など食材は安いのですが、精肉とワインの安さはギリシャにかないません。日本からするとどちらも2分の1から5分の1の値段で安いこと には変わりありませんが、仔細に見てみると食材、とくに豚肉や魚の豊富さとアルコールの安さという点ではギリシャは天国みたいです。宗教的な規制が関係し ているのかもしれません。



圧巻の食料品店

充実したテッサロニキの食生活でしたが、もうひとつ。目抜き通りから少し入ったところに、大きな食料品店がありました。1924年創業とかで、骨付きハム や大きなチーズのかたまりなど、何やらおいしそうなものがウィンドウにぶら下がっています。
入ってみるとこれがすごい。店内はハム、ソーセージ、チーズ、パン、牛乳、乾物、瓶詰め、スパイス、焼き菓子、チョコレートなど、ありとあらゆる食品で びっしり埋まっています。よくよく見ると、ギリシャ産のものの他に、フランス、ドイツ、イタリアなど、ヨーロッパ各地のものも。言ってみれば輸入生鮮食品 マーケットという感じでしょうか。おまけに輸入品でもほとんど各国の現地価格です。EU内は関税がかからないそうですが、それを実感した一瞬でした。
ふと見ると地下に続く階段があります。何だ何だと下りていくと、そこはヨーロッパ以外の国から来た食品パラダイスでした。韓国、中国、インド、東南アジア 各国、南米などからの缶詰、麺類、乾物、瓶入り調味料、インスタント食品。もちろん日本の醤油、味噌、海苔、わさび、ロングライフパック入りの豆腐も見え ます。そのラインアップと充実度は尋常ではありません。
要するに「エスニックといえばこんな感じのもんでしょ」という、通りいっぺんの品揃えではないのです。たとえばインドネシア人がこの店に来て自国の食品や 調味料を買って料理すれば、ほぼ完璧なインドネシア料理を作ることができる、というレベルです。つまり各国の料理の基本を知っている目利きが選んだベー シックアイテム・コレクションといってもいいでしょう。さすがに生鮮はありませんでしたが、なくても各国料理を再現することは十分可能だと思わせる迫力。 今までいろいろな国で輸入食品を扱う店をのぞいてきましたが、そういう意味でこんなにそろっている店は初めてです。
しかし何でテッサロニキで?地元の人々はエスニック料理が好きなんでしょうか?街には寿司バーも中華料理屋もカレー屋も見あたらないのに?そもそもアジア 系の人はどのくらい住んでいるのでしょう?街で東洋人を見かけたことはほとんどなく、地元の人は日本人がめずらしいという雰囲気なのに?
この店がイスタンブールのアパートの近くにあったら嬉しい、いや、東京の我が家の隣にあったらもっと嬉しい!恐るべし、テッサロニキ…。 〈2014.2.28.〉