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番外編・イオアニナの日々  〈 2020.5.23.〜2020.8.15.〉

番外編・テッサロニキの日々  〈2013.11.20.〜2014.2.28.〉 


  番外編・イオアニナの日々




パンヴォティス湖



イオアニナの街並み









廃墟となった17世紀のモスク



銀細工その他を売る店



トルコの水パイプなども



  パン屋



きれいに手入れされた花壇



公園

イオアニナ(ヨアニナ)はギリシャ北西部のイピロス地方、アテネの北西450キロ、テッサロニキの南西 240キロにある山あいの静かな街です。豊かな水を たたえたパンヴォティスPamvotis湖畔の西側に街が広がり、自然に恵まれた景勝地として知られています。山に囲まれていますが、西に80キロほど行 くとイオニア海にぶつかり、ヨーロッパ人に観光で人気のケルキラ島Kerkyra(コルフ島Corfu )への拠点ともなっています。アルバニアとの国境もすぐ近くです。イオアニナ県の県都で人口は65.574人、県全体では112.486人(2011 年)。

街は6世紀に東ローマ帝国のユスティニアヌスが興したと伝えられますが、ヘレニズム時代の遺構が発見されたことから、さらに古い時代から街があったようで す。ビザンツ時代から重要な商業都市とみなされ、とりわけ経済、文化が発達し「知識の中心」とも呼ばれていました。11世紀にノルマン人が支配、13世紀 にはエピロス専制侯国の街、1430年からオスマン帝国領となり、1913年ギリシャに編入されます。オスマン時代にもらたされた銀細工が有名で、現在も 街中に精緻な銀細工製品を扱う店が見られます。
湖に突き出した半島はビザンツ時代からオスマン時代にかけて築かれた城壁に囲まれ、かつてここにあった要塞が政治の中枢でした。今は住宅やホテル、古い建 造物を改築した博物館などがあり、歴史的地区となっています。



城壁の入口



堂々たる城壁



城壁内の民家



かわいらしいお店



歴史的建造物のカフェ



歩道の敷石



夜の街











イオアニナのバスターミナル

2019年10月、ここで生まれ育った友達に誘われて、イスタンブールから足を延ばしてみました。アテネからは空路で40分程度ですが、この時はイスタン ブールからテッサロニキまで飛び、そこから長距離バスで山々の景色を眺めながらイオアニナ到着。
噂にたがわず本当に静かで緑豊かな美しい街です。旅行者が大挙して押しかける「観光地」ではないせいか、ざわざわした感じがありません。街の中心部は石造 りの建物が並び、しっとりと落ち着いた雰囲気が漂っています。ヨーロッパの街並みに時折オスマン建築が見られるのも特徴的です。
大きな大学があるため若い人も多く、おしゃれでかわいらしいブティックやカフェ、レストランなど、こぢんまりとした街全体に現在進行形の活気が感じられま す。古い歴史とモダンなセンスが相まって、他にはない魅力にあふれた街という印象を受けました。〈2020.5.23〉



  イオアニナ(ヨアニナ) Ioannina

 


城壁







城門



城壁内の家







城門跡



歴史的建造物


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遺構



アスラン・パシャ・モスク



城内から望むパンヴォティス湖



街並み











ハーブの苗



路傍の花

湖に面したイオアニナの要塞周辺が街の中心です。城門前から延びる通りには飲食店やさまざまなお店が並んでにぎやかですが、一歩城内に入ると道路も狭く、 閑静な住宅地の合間にカフェやホテルなどがぽつぽつと見られます。入り組んだ住宅街を抜けると小高い丘があり、開けた場所に出ます。
ひときわ高くなった半島の北東部から、パンヴォティス湖とそこに浮かぶ小さな島(ニサキ)を見渡すことができます。素晴らしい景色です。半島をぐるりと囲 む城壁はビザンツ時代からオスマン時代にかけて建造されたものですが、北東部分は天然の岩壁を利用したそうです。
このエリアはかつての聖域にあたり、ビザンツ時代後期には聖ヨハネ教会がありました。聖ヨハネは街の名前の由来にもなっています。オスマン時代の1618 年、その跡地にアスラン・パシャ・モスクが建てられ、現在内部は博物館として公開中です。そのすぐ隣には歴史的建造物を改築したビザンツ博物館、さらに南 に下ると銀細工博物館、大天使ミハエル教会の跡地に建てられたファティフ・モスク(1430年建造、1790年再建)があります。
一帯はきれいに整備され、歴史文化的なエリアとなっています。訪れたのがちょうど週末だったせいか、家族連れで散策に来る人がたくさんいました。歴史的建 造物を改築したカフェでお茶を飲んだり、広々とした草地で転げまわる子供たち。みんな思い思いにくつろいでいて、街の人々の憩いの場になっていることがわ かります。



公園の時計塔



アギオス・マリナス教会の鐘楼



教会内部









教会近くの聖具店



マリーゴールド



夜の街





夜の城壁内







ライトアップされた城内の博物館



街中の歴史的建造物(現在は高校)





カフェ



アトリエ

イオアニナでは友達の家に泊めてもらいました。市内にいくつかあるホテルはどこも満室、そんなに観光に訪れる人が多いのかと驚きましたが、聞けばその週末 に国際的な医学学会が開催され、そのせいで街中も混雑しているということでした。混雑といってもとくに渋滞があるわけでもなく、普段はどれほど静かな街で あるのかがうかがい知れます。

日曜日には友達の家の近くにあるアギオス・マリナス教会に案内してもらいました。彼女が子どものころ通っていた教会で、ご両親は今も毎週訪れ、礼拝後はご 近所の方たちとおしゃべりするそうです。友達も本当は毎週行きたいけれど、最近は忙しくてなかなか行けないと話していました。
ちょうど礼拝が終わった時間で、祭壇の前に置いてあるパンは誰が食べてもいいということで一切れ頂戴しました。聖体儀式で見るような特別なパンではなく、 ごく普通の田舎パンを一口大に切ったものでした。

夜に明かりが灯ると、シックな街がいっそうきれいに見えます。治安が悪いということもありません。カフェやレストランは大にぎわいです。城壁内はさすがに 静まり返っていますが、歴史的な建物がライトアップされ、夜の散歩を楽しむ人もちらほらいました。

普段の旅行ではひとりで街を歩き、名所旧跡や博物館を見て回り、ホテルで休むという日々です。お店やホテルの人と話をすることはあっても、本当に地元の人 々のなかに入るという機会はそれほど多くありません。
しかし今回は、友達と一緒に買い物に行って土地のおいしい物を教えてもらったり、街の生活についていろいろな話を聞いたりして、人々の暮らしをよりいっそ う身近に感じることができました。
彼女はドイツの大学を卒業し、そのままドイツで就職することも考えましたが、やはり故郷に住みたいと思って戻ってきたそうです。なるほど、こんなにおだや かで美しい街だったらそう考えるのももっともだとうなずけます。
こうしたいきさつもあって、イオアニナは一段と興味深く、また心に残る街となったのでした。〈2020.5.23〉







入口



すっきりとしたモダニズム



展示室



コリドー



古典期の黒絵式や赤絵式のポット



前500年から475年の黒絵



ディオニュソスとサテュロス



ライオンが描かれた戦車と御者



フラグメント



ヘレニズム、テラコッタのアテナ像



前3世紀、大理石の婦人頭部



展示室



エピロス王ピュロス



ヘレニズム、黄金のリース



彩色が残るテラコッタ

月曜日休館・8:30〜15:00
街の中心部、リタリツァ公園の中にイオアニナ考古学博物館があります。1966年開館、2003年から5年間にわたる改修を経て2008年にリニューアル オープンしました。ギリシャ人建築家のアリス・コンスタンティニディスAris Konstantinidis(1913〜1993)の設計で、モダニズムとギリシャの伝統、エピロス地方の建築物の要素がひとつになって表現されている といわれます。エントランスなどに優れてモダニズムが感じられます。
エピロス地方の遺跡から集められた出土品が、時代、場所、テーマ別というそれぞれの視点でまとめられ、7つのホールと通路に展示されています。この地方に 人類が住んでいた25万年前の旧石器時代から、ローマ時代後期の紀元3世紀までというタイムスパンの長さです。

前6世紀から5世紀の黒絵の壺にはディオニュソスとサテュロスが描かれています。
車輪と人物が見える大理石のフラグメントは前4世紀のもの。一人乗りの二輪戦車の御者はかつてゼウスの表象と信じられており、ゼウスと稲妻が結び付けられ るのは少し後の時代になってからだそうです。
ヘレニズムの黄金の装飾品は、イオアニナの南にあるアンブラキアAmbracia(現在のアルタ)の墓地から出土したもの。アンブラキアはエピロス王ピュ ロスPyrrhus(前319年〜272年)の出身地でもあり、彼は前295年にそこをエピロスの首都としました。装飾品にはオーク(ヨーロッパナラ)の 葉が繊細に表現されています。



ローマ皇帝



ディオニュソス像



ローマ時代の石棺



正面右、アキレウス



正面左、戦車に引かれるヘクトル



部分



ドドニ遺跡の復元図



ドドニの出土品



古典期、ブロンズ製のグリフィン



前6世紀から5世紀、ブロンズ製の鷲



前4世紀、神託が書かれたタブレット

ローマ時代のディオニュソス像は大理石でできたテーブルの支柱に彫られたもので、独立した彫像ではありません。そのせいか全体に平らな印象です。
2世紀の石棺は大理石製、正面にホメロスの『イリアス』の場面が描かれています。戦車に引きずられるヘクトルの亡骸がリアルです。

古代ギリシア世界で最古の神託所とされるドドニDodoni(ドドナ、ドドネ)の出土品も、まるまる一部屋使って展示されていました。ドドニはイオアニナ 近くにあるゼウスの聖域で、前2000年ごろからゼウス信仰と神託が始まった場所です。出土品は古典期のものが多く、実際に神託で使われたタブレットやゼ ウスを象徴する鷲のブロンズ像、儀式で使ったポットの注ぎ口と思われるグリフィンなど、貴重なコレクションがそろっています。

こぢんまりした博物館ですが、驚くほど充実していて見応えがありました。考古学に関してはさすがギリシャの底力を感じます。照明や解説パネルも申し分あり ません。ただしガラスケースに保護されている展示物の場合、素晴らしい照明がガラスに反射して写真を撮るのに少し苦労しました。
他に来館者がまったくいなくて貸し切り状態。学芸員の方は質問すると何でも丁寧に教えてくれて親切です。ドドニに明日行く予定だと話すと、公共の交通機関 がないことをしきりに心配してくれたのでした。〈2010.6.18〉




 


ビザンツ博物館



展示室



柱頭いろいろ







イコン展示室



イコン



祭壇の扉



聖ゲオルギオス



聖カタリナの「神秘の結婚」



部分



18世紀、「諸聖人」



部分



「ジョシュア・ツリー」



花壇のパネル

月曜日・祝日休館・8:30〜17:00
城壁内の北東部、パンヴォティス湖を見下ろす場所にビザンツ博物館があります。現在の建物は1960年代のもので、かつてここにはアリ・パシャのレジデン スや軍の病院があったそうです。ビザンツ時代の彫刻、陶器、書物、コイン、ビザンツ以降のイコンなどが小さなフロアに展示されています。1995年開館。

かつて教会や修道院にあったと思われる柱頭には、それぞれキリスト教のシンボルが彫られています。
イコンが展示してある部屋は照明がかなり暗くなっていましたが、背景の金箔が美しく輝いて見えます。聖ゲオルギオス(ジョージ)はドラゴン退治で有名です が、このドラゴンはトルコのカッパドキア地方に住んでいたという伝説があります。
その昔、カッパドキアの人々は巨大なドラゴンに毎日羊を生贄として捧げなければなりませんでした。しかしついに羊がいなくなってしまい、今度は人間を捧げ ることになり、最初に選ばれたのが王の娘でした。たまたまそこを通りかかった聖ゲオルギオスがドラゴンを退治し、それを見た人々はキリスト教を受け容れる ようになったというお話です。
1688年の「神秘の結婚」はたいへんいい保存状態で、細部まで鮮明に描かれています。
「ジョシュア・ツリー」は1802年のイコン。ジョシュアはイスラエルのダヴィデ王の父とされ、そこからイエスに至るまでの家系図がジョシュア・ツリーと 呼ばれるものです。

本当に小さな博物館で、展示室の間取りなどは個人の邸宅のような趣があります。イコンを展示する博物館は写真撮影禁止のところが多いようですが、ここは問 題ありませんでした。
外に出て花壇の薔薇を眺めていると、壁に小さなパネルがあるのに気がつきました。1944年3月25日、城内に居住するユダヤ人がナチスに包囲され、この 場所に追い詰められました。彼らの抵抗もむなしく、全員強制収容所へ送還されたことを記したものです。この静かな街にも、負の歴史の痕跡が残されていまし た。〈2010.6.18〉







要塞



博物館全景



エントランス



暗い展示室





複雑な内部構造





徐々に明るい展示室へ



宝刀や宝飾品



宝石箱





銀器







照明の妙



おしゃれなショップとホワイエ

火曜日・祝日休館・夏期10:00〜18:00、冬期10:00〜17:00
ビザンツ博物館から南に下ると、広々とした芝生の向こうに銀細工博物館が見えてきます。この博物館は、かつての要塞とそのすぐ隣の建物を改修して2016 年に開館されました。隣の建物は当時要塞に詰めている人々の食事を作っていた台所兼食堂のようなものと思われます。
歴史的建造物を利用しただけあって、まず外観が圧倒的です。そして小さなエントランスを入ると、建物本来の構造や質感を生かした展示室が続き、展示そのも のもさることながら内部構造の複雑さに興味を引かれます。
銀細工の盛んなイオアニナで、銀の採掘、精製から銀細工の加工作業まで、どのようにして行われてきたかを、当時手作業に使われていた道具の展示やパネルな どで具体的かつ歴史的に解説した博物館です。

銀加工の行程を展示する部屋は、照明が非常に暗くてうまく写真が撮れません。薄暗い小さなブースをいくつも通り抜け、角を曲がると次は何が出てくるのか… という遊園地のお化け屋敷を思わせるドキドキ感があります。おまけに見学者がほとんどいなかったので、本当にちょっと心細くなってくるほどでした。

そこを過ぎると、今度は一転してまぶしくきらめく銀製品の世界が待っています。15世紀ビザンツ時代から現代まで、豪華で繊細な銀細工の数々を堪能できま す。宝飾品や食器、武器(もちろん実戦用ではなく装飾品)など、見事な作品ばかりです。とりわけ照明と展示方法が素晴らしく、銀製品がもっとも美しく見え るように細心の注意が払われていることがわかります。

たいへんインパクトのあるプレゼンテーションです。前半の展示を見ると、その昔、実際に薄暗い工房で何人もの職人が長い時間をかけて過酷な作業をしていた ことに思い至ります。そして後半では、完成された銀製品が教会や宮殿をきらびやかに彩り、裕福な家庭の食卓で輝いていた様子を見ることができるのです。
このドラマチックなコントラストを際立たせることによって、展示された銀製品は単なる展示物ではなく、歴史と奥行きを持つ生きた作品となっているように感 じられました。



花壇



城壁



博物館周辺





教会?



展示室



ミフラーブ



詳細不明



聖具




外に出て来た道を戻る途中に、青いドームに十字架がある教会のような建物がありました。中に入ってみると一室に銀の聖具などが展示されていて、今しがた見 てきた博物館の続きのような感じです。モスクのミフラーブ(メッカの方角を示す壁のくぼみ)もあったので、オスマン時代にモスクとして使われた元教会が小 さな展示室になったのかもしれません。結局この建物が何だったのかいまだにわからないままですが、イオアニナの歴史の一端をさりげなく見せられた気がしま した。〈2010.6.18〉



  ニサキ(イオアニナ島) Nisaki



パンヴォティス湖



正面は湖の北岸



ニサキ



小さな家々



船着き場



お土産いろいろ



シックなレストラン



教会の鐘楼



教会入口



内部



細い道が続きます







アリ・パシャ博物館



展示室







19世紀の銀製品




パンヴォティス湖に「ニサキ」と呼ばれる小さな島が浮かんでいます。ニサキとは文字通り「小さな島」という意味で、イオアニアでも人気のある観光スポット のひとつです。要塞の先に船着き場があり、10分程度で島に渡ることができます。船は夏期24時、冬期22時ごろまで運航。

この島には13世紀から修道僧が住みつき、16世紀までの間に多くの修道院が建てられました。イオアニナが繁栄していた時期、裕福な街の人々がこぞって寄 進したということです。
また、オスマン統治時代に活躍したアルバニア人総督テペレナのアリ・パシャAli Pasha(1741(44?)〜1822)の別荘が博物館になっています。

島の船着き場を降りると、狭い道にカフェやレストラン、土産物屋が並び、週末ともなると日帰りで遊びに来る人々でにぎわいます。ここだけ時間の流れが止 まったような村で、伝統的な石造りの家々はノスタルジックな雰囲気に満ちています。
通りを抜けると突き当りが「アリ・パシャと革命期博物館Museum of Ali Pasha and Revolutionary Period」です。ここは聖パンテレイモン修道院だった建物で、その後アリ・パシャが別 荘として使っていました。

アリ・パシャはアルバニア地方で内乱や侵攻を鎮圧してオスマン帝国から注目され、1789年にイオアニナの領主となります。その後さまざまに画策しながら ギリシャ西部からマケドニアに勢力を伸ばしていき、「イオアニナのライオン」と呼ばれてめざましい活躍をしました。アリ・パシャの時代にもイオアニナは経 済的、文化的に大きく発展したということです。
しかし1808年、地方領主の特権を制限しようとした帝国にアリ・パシャは激しく抵抗、スルタンの命によって1822年この建物で暗殺されました。その少 し前からギリシャでは帝国からの独立と民族の再生をめざす機運が高まり、バルカン半島各地で蜂起が生じていたところです。アリ・パシャの抵抗・暗殺はこの ギリシャ独立戦争(1821〜1891)に深く関連する事件でもあったのでした。
博物館にはアリ・パシャの所持品やその時代の武器、宝石、衣装、銀器などが展示されています。月曜日休館・8:00〜17:00。



路地





フィラントロピノス修道院









聖二コラオス・ストラテゴプロス修道院







マリーゴールド



廃屋



高台



趣のあるカフェ



カフェの庭



ギリシャコーヒー



帰りの船



夕闇迫る湖

湖畔にのびる道を登って行った先に修道院がいくつもあります。一番古いものは1292年にイオアニナの司教が建てた聖ニコラオス・フィラントロピノス修道 院Monastery of St Nikolaos Philanthropinosで、内部のフレスコ画がきれいに保存されていて圧倒されます。ちょうど祈祷の最中で、写真撮影は禁止でした。
その先にあるのが、同じころ建てられた聖二コラオス・ストラテゴプロス修道院Monastery of St Nikolaos Strategopoulos です。外の壁にフレスコ画が見られます。こちらは当時の街の有力者が寄進したもので、この一族は他にも修道院を寄進したということです。

高台からの眺めは見事なものです。修道院に至る道や案内パネルも整備されていて歩きやすく、道々に咲く花を楽しみながら散策できます。他の修道院も訪問し たかったのですが、日没も近くなったので村に戻り、ギリシャコーヒーで一息入れてから帰りの船に乗り込みました。
実際に訪れるまでは人々が週末の気晴らしに訪れる観光地かと思っていましたが、修道院と独立戦争という歴史のなかの聖と俗がしっかりと刻まれている島だっ たのでした。〈2020.7.16.〉



 


かなり広い遺跡



向こうに見えるトマロス山





地図の右側にかたまる神殿群



ゼウス神殿













神託の様子



ゼウス神殿に咲く花



テミス神殿





向こうに見えるのがゼウス神殿



咲き乱れる野の花



古いディオネ神殿



新しいディオネ神殿









アフロディテ神殿





ヘラクレス神殿



バシリカ





十字架の見える石板




無休・夏期8:00〜15:00、冬期8:30〜15:00
ドドニはイオアニナの南西22キロ、ゆるやかな丘に挟まれた場所にある遺跡です。ここは古代ギリシア世界で最古の神託所のひとつとされ、前2000年ごろ からゼウス信仰と神託が行われていました。ホメロス(前8世紀末)の『イリアス』や『オデュッセイア』、ヘロドトス(前5世紀ごろ)の『歴史』にもドドニ の名前が見られます。
ギリシア世界の神託といえばデルポイのアポロン神殿が思い浮かびますが、ドドニではゼウスが神託を行っていたというのが特徴的です。それ以前には地母神 (またはディオネ)が祀られており、やがてそれがゼウスに取って替えられたという説もあります。

神託は、ヒエラ・オイキアHiera Oikia(聖なる家)と呼ばれる聖域で行われていました。聖域に茂るオーク(ヨーロッパナラ)の葉が風にそよぐ音を「神の声」として神官が聞き取ってい たそうです。前8世紀ごろには葉の音だけでなく、神聖なオークの周りにブロンズ製の三脚ポットを並べ、それが発する音を神託としていたと考えられていま す。
当初はここに神聖な木だけがあり、前4世紀前半になってからその脇に小さな祠が建てられます。その後祠は拡張され、前3世紀にエピロス王ピュロスがさらに 大きなゼウス神殿を建立しました。
ピュロスはここを重要な宗教的中心地とみなし、野外劇場や競技場などを建造します。その後ゼウス神殿は外敵によって何度か破壊されたものの、その都度再建 されました。392年にテオドシウス1世がキリスト教を実質的な国教と認めて異教禁止令を出すまで、ドドニでは神託が続けられていたということです。

ゼウス神殿にはオークの木が茂っています。もちろんこれは、前8世紀から前5世紀ごろに生えていたと思われる場所に近年になって植えられたものです。とは いえ、聖域周辺にはそこかしこにオークの木が生えています。この地域はオークが生育するのにふさわしい環境にあるのかもしれません。ちょうどオークのドン グリがなっていました。

ゼウス神殿のすぐ隣には前4世紀建立とされるテミス神殿があります。テミスはティタン族のウラノス(天界の神)とガイア(大地の女神)の娘で、ギリシア神 話では古層の女神に位置づけられます。ローマ時代以降、法や掟の女神として天秤と剣を手にする姿が一般的になりました。天秤と剣はそれぞれ正義と力を象徴 します。テミスはアポロンに予言の術を教えたという話もあるようで、神託との関連性もうかがえます。

ゼウス神殿をはさんで反対の北側にあるのがディオネの神殿です。新旧ふたつの神殿があり、古い方は前4世紀、新しいものは前3世紀に建てられました。ディ オネもまたウラノスとガイアの娘で、テミスとは姉妹ということになります。レトがアポロンを出産する場面に立ち会ったり、ゼウスとの間にアフロディテをも うけた女神です。ドドニではゼウスとともに古くから祀られ、ディオネには女性祭司、ゼウスには男性祭司がついて神託をおこなったと考えられています。

ゼウスとディオネの娘アフロディテの神殿も、ゼウス神殿の南西にあります。アフロディテはオリュンポス十二神の一柱、美と性愛の女神で、神殿は前3世紀 ピュロスの時代に建てられました。

聖域の北東にあるのが前3世紀建造のヘラクレス神殿です。数々の武勇伝が有名なヘラクレスは、ゼウスとミュケナイ王の娘アルクメネとの間に生まれた半神半 人の英雄です。遺跡の地図を見ると、5世紀にできた初期キリスト教のバシリカと一部が重なっています。バシリカは他の神殿の建材を利用して造られ、地震で 壊れた後6世紀に修復、拡張されました。バシリカとしてはかなり大きなものといえるでしょう。

それぞれの神殿はそれほど大きいわけではありません。一番重要なゼウス神殿が20.80メートル×19.20メートルという大きさです。しかしひとつの聖 域にこれだけの神殿がまとまってあるのはたいへんめずらしいケースだと思います。ドドニがどれほど宗教的に意義深い場所だったのかがわかるようです。しか も祀られている神々のほとんどはゼウスと血縁関係にあり、すべての神殿はゼウス神殿を中心に配置されているというのも興味深いところです。



野外劇場全景





スケーネと前廊



排水設備



観客席



クロッカス



野生のシクラメン









議事堂







公文書館



  ストア







劇場脇の競技場



  奥の盛り土部分が観客席跡



  トラックの折り返し地点?



何故かきのこ



  白いクロッカス



  劇場遠景

前3世紀の野外劇場は17000人収容可能という壮大なもので、ギリシア最大の劇場のひとつとされています。ゆるやかな丘の斜面を利用したギリシア様式の 劇場で、舞台背景となる建造部分(スケーネ)やさらにその外側に並ぶドリス式列柱、観客席の脇を支える壁など、非常によい保存状態です。半円形のオーケス トラ部分の床には排水溝も見られます。修復中のため観客席には入れませんでした。

劇場の東側に密接するかたちで総面積1260uの大きな議事堂があります。正面のドリス式列柱が目立ちます。議事堂の南側で向き合うように建つのが公文書 館、さらにその南に長いストアが続きます。
劇場の南端から競技場跡の空間が広がります。ただの草むらに見えますが、盛り土やくぼみなどに競技場の痕跡がうかがえます。観客席は21列から22列、多 くの水源を持つトマロス山から水を引くための水道設備や水盤などが備わっていたそうです。議事堂その他の建造物はすべて前3世紀に建てられました。

ドドニの出土品はイオアニナ考古学博物館で展示されており、神託が刻まれた鉛のタブレットやブロンズ製 の祭具など、貴重な品々を見ることができます。
ここは人々が日常的に生活していた街ではなく、神殿で神託や儀式が行われる時、あるいは劇場や競技場で催し物がある時だけ人が集まってきた場所です。その ため市場や民家などの遺構はありません。非常に印象的な遺跡です。聖域として独立した遺跡というと、トルコではディディマラギーナパンイオニオンなど があります。

ドドニは丘に挟まれていますが、広々とした印象です。アップダウンもなく歩道が整備されているため、歩くのに苦労しません。周辺には何もなく、入口のチ ケットブース近くにミュージアムショップとお手洗いがあります。
ここを訪れたのは10月も半ばを過ぎたころでしたが、真夏のような青空と照りつける太陽で見学中は大汗をかきました。この地方は朝晩と日中の温度差が大き いので、屋外で活動する時は服装に気をつけた方がいいかもしれません。
少し離れた高台に小さな集落があり、地元の人々が集うカフェから劇場が見えます。カフェで冷たい飲み物で休憩、出かけようとするとお店の人がいません。 困っているとおしゃべりに興じていた常連さんが「いいよいいよ」などと言って、結局ご馳走になってしまいました。〈2020.7.16.〉



  ザゴリ Zagori 
   


渓谷





ヴォイドマティス川





橋が多いことでも有名







植物分布図



石造りの村





イオアニナ北東の山間部に広がるザゴリ地区は、渓谷の深さや自然の美しい景観で有名な場所です。一帯は国立公園に指定されており、ハイキングやトレッキン グのコースが整備され、旧石器時代に人が住んでいた洞窟などもあります。街からそれほど遠くなく、避暑がてらに訪れて散策するには絶好のロケーションで す。
渓谷を流れるヴォイドマティス川Voidomatisはヨーロッパで透明度が一番高い川といわれ、ギリシャ全土で販売されているミネラルウォーター「ザゴ リ」の水源地になっています。青く澄んだ川の水に手を浸すと、ひんやり冷たくていい気持ちです。ほとりには水色がモミ、緑色はオークといった具合に植物分 布が記されたパネルがありました。落葉広葉樹の森もあり、秋には素晴らしい紅葉も楽しめそうです。

山あいに点在する村は伝統的な石造りの建物が山の斜面に並び、静かで独特の雰囲気を醸し出しています。山岳地帯のザゴリは昔からアクセスが悪くて外部とあ まり交流がなかったため、他にはない北ギリシャ独自の方言や宗教儀礼、習慣が今でも残っているということでした。〈2020.8.15.〉



  イオアニナの美味 Taste of Ioannina



高台のレストラン



中庭



オリーブとオイルの突出し



チーズコロッケ



ほうれん草のパイ



スズキのグリル



湖畔のカフェ



城壁内のカフェ



ギリシャコーヒー



街中のレストラン



スタンバイOK



チーズ屋の店先



バーのひと皿



牛の煮込み



湖畔の絶景レストラン





穀物入りサラダ



ローストポーク



デザート

イオアニナは山に囲まれていますが、海も近いので街なかに魚屋がたくさんあり、山海の珍味がそろっています。おしゃれなパン屋が目につき、伝統的なパンの 他にナッツや穀物入りのパンなど種類豊富。ギリシャらしくさまざまな白いチーズを使った料理も多く、豊かな食文化を感じます。もちろん地元のワインもいろ いろあり、すっきり軽い口当たりのものからどっしりしたものまで、料理との組み合わせを楽しめます。

陽気のいい時は屋外のテーブルでお茶を飲んだり食事をします。これが本当に気持ちよく、湖畔のカフェやレストランは大にぎわいです。
ギリシャでもトルコでもいろいろな具材が入った塩味のパイをよく見かけます。朝食や前菜の一品、小腹が空いたときのスナックとして人気がありますが、こう したパイはもともとバルカン半島の食習慣から生まれたものだそうです。レストランでいただいたほうれん草のパイは中にほうれん草がぎっしり、パイ皮もやや 厚めで、ひと切れで一食分になりそうな迫力でした。

バーでちょっとワインを飲むのも楽しいものです。若い人が多いイオアニナは街の中心部に気軽なバーがたくさんあり、それぞれの店はインテリアなどに趣向を 凝らして居心地のいい空間を作り出しています。そんなバーで出たひと皿は、丸い白チーズを温めてバルサミコをたらしたもの。白いチーズには焼いて食べる種 類がありますが、こういう形状の(おそらく円筒形のチーズを輪切りにした)ものは初めて見ました。ギリシャのチーズは一般にトルコのものより塩味が薄く、 そのせいか牛のお乳の甘い香りがより強く感じられます。

湖畔の絶景レストランは城壁の外、テラスの湖側は断崖絶壁という場所にあります。オスマン時代に監獄だった建物をリノベーションしたということで、確かに 脱獄はむずかしそうです。今は屋上がパラソルつきのテラス席になっており、湖からのさわやかな風が吹き抜けます。
ここは伝統料理というよりもちょっと洒落た料理を出す店のようで、味や盛り付けにモダンなセンスを感じます。分量もやや控え目で、てんこ盛りが多いギリ シャではめずらしい部類に入るかもしれません。
デザートは小麦粉を糸状に練って焼いた「カダイフ」のシロップ漬けに、アイスクリームとマーマレードが乗ったもの。さすがギリシャ、ものすごく甘い。注文 時に手違いがあったお詫びということで、お店からのサービスでした。



カフェのギリシャコーヒー



ドドニのカフェ



ザゴリのレストラン



手書きメニュー



サラダ



パプリカのチーズ焼き



  牛の煮込み



お夜食



友達のお母さんの手料理



朝食



パンとチーズ



ハムのサンドイッチ



トルコとほぼ同じ伝統菓子



ショウケースに並ぶケーキ

ザゴリでは村に一軒あるレストランでお昼を食べました。手書きの素朴 なメニューに見慣れない文字が書いてあるので何かと思ったら、どうもヘブライ語のよう です。ヘブライ語はユダヤ系の人々の言語で、現在ではおもにイスラエルで使われています。ザゴリはアルバニアとの国境も近く、ユダヤ系の人々が多く訪れる ということですが、その理由ははっきりしませんでした。
オリーブやパプリカ、きゅうり、トマトのサラダはギリシャで一般的なもの。パプリカと白いチーズのオーブン焼きにはハーブやスパイスがかかっています。ト マトやじゃがいもと一緒に煮た牛の煮込みは滋味あふれる味わいです。いわゆる田舎料理の部類に入るのでしょうが、見た目より塩が薄く日本人にも馴染みやす い味でした。

友達と一緒に日中観光して疲れていた時は、彼女の家で夜食をいただきました。冷蔵庫のありあわせのものでも、蝋燭を点してセッティングすると素敵なテーブ ルになります。ミートボールとお米型のパスタを煮た一品は、隣に住むお母さんの手作りです。とても優しい味わいで、これなら夜遅くに食べても負担になりま せん。なるほど、本当の家庭料理とはこういうものかと納得しました。

地元に住む友達に案内された店の料理は、伝統的なものから今風のものまで、どれも新鮮な材料を使ったおいしいものばかりです。一緒に食事をしてわかったの ですが、ギリシャでは週末の昼食は午後1時か2時ごろから2時間ぐらいかけてゆっくりいただき、それからちょっと昼寝をして夜の9時か10時ごろ軽食を摂 るようです。たまたま友達がそういうパターンなのかと思いましたが、これが一般的だということです。生活をのんびり上手に楽しむという姿勢が、こういうと ころにも現れているように感じられました。〈2020.8.15.〉

〈この項終わり〉




  番外編・テッサロニキの日々



青い空に青い国旗



海辺の散歩道

テッサロニキThessaloniki はギリシャ北部のマケドニア地方にある都市です。首都アテネに次ぐ第2の街で、テルマイコス湾の奥に位置するため、古来より港湾都市として発展してきまし た。現在もギリシャ北部の産業や文化の中心地として機能しています。人口は約32万(2011年)。
街の歴史は古く、紀元前316年ごろ、古代マケドニア王国の将軍カッサンドロスが近隣の町を統合して設立されました。テッサロニキという名前は、彼の妻で アレクサンドロス大王の異母妹テッサロニケに由来するものです。街の英語読みはSalonika、トルコ語ではSelanik、古代ギリシア語が Thessalonike、ラテン語ではThessalonica となります。
前148年にローマ帝国の属州となり、紀元後395年ローマ帝国が東西に分裂した後は東ローマ帝国第2の都市として栄えました(もちろん帝国の首都はコン スタンティノープル、現在のイスタンブール)。1430年にオスマン帝国領となり、オスマントルコから独立したギリシアに1913年統合されました。
アテネが古代ギリシャを象徴する街なのに対して、テッサロニキはビザンティンを象徴する街だといわれる通り、今もビザンティン建築が多く残っています。 「テッサロニキの初期キリスト教とビザンティン様式の建造物群」は1988年世界文化遺産に登録されました。



アリストテルス広場

トルコとはいろいろな意味で縁の深いテッサロニキ。日本ではまだあまり馴染みがありませんが、歴史的にも文化的にも興味深い街です。イスタンブールからは 毎日直行便が出ているので、簡単にアクセスできます。飛んで1時間20分。
というわけで、2013年の夏にちょっと行ってみました。番外編として街の様子をご紹介いたします。〈2013.11.20.〉



  ビザンティン教会いろいろ




アギア・ソフィア



教会内部



キリストの昇天



聖母子像

さすが街のいたるところでビザンティン教会が目につきます。おしゃれなブティックやホテルが並ぶ通りを歩いていると、ふいに見事な教会が現れてびっくり。 ビザンティン建築とモダンな建物が不思議な具合に混ざり合っているところが、この街の魅力でしょうか。もちろんどの教会も現在はギリシア正教の教会です。
アギア・ソフィアAgia Sophia聖堂は8世紀の建造で、テッサロニキでもっとも重要な聖堂とされています。イスタンブールにあるアヤソフィアをモデルにして造られました。ドームには天使に守ら れて昇天するキリストを描いたモザイク画があります。これは9世紀ごろ描かれたもので、他ではあまり例がなく、初期キリスト教のモザイク画として非常に貴 重なものです。12世紀になるとドームには人々を祝福するイエスの姿を描くことが多くなるからです。祝福するイエス像は、イスタンブールのアヤソフィアやカーリエ博物館などで見ることができます。
正面にある聖母子のモザイクは12世紀のもの。当初は、イスタンブールのアヤ・イリニ教会のように十字架だけが描かれていたそうです。ここは1430年か ら1912年までのオスマン時代にジャーミーとして転用されていました。



アギオス・ディミトリオス教会の裏手



天井の木材が印象的



聖ディミトリオスのモザイク画



地下聖堂



照明の具合もいい感じです

アギオス・ディミトリオスAgios Dimitrios教会は、テッサロニキの守護聖人ディミトリオスが313年に殉教した場所に建造されました。教会ができたのは5世紀ごろのこととされて います。長い年月の間に火事や地震などでたびたび被害を被ったにもかかわらず、今も当時の典型的なバシリカ様式を保っています。とくに1917年の大火災 で街は壊滅状態となり、この教会も焼失しましたが、焼け残った資材を使って1926年から48年にかけて再建されました。8世紀のモザイク画が5枚、火災 を免れています。とても大きな教会ですが、正面よりも裏の方が面白い構造になっています。この教会もオスマン時代にはジャーミーとして使われていました。
祭壇脇を下りていくと地下聖堂があり、ディミトリオスが殉教したというローマ浴場跡が残っています。大理石のフラグメントなども展示されていて、ちょっと した博物館のようでした。



パナギア・ハルケオン教会

パナギア・ハルケオンPanagia Chalkeon教会は1028年建造、1934年に修復されました。道路からかなり低い位置に建っている印象的な教会で、赤い煉瓦でできていることから 通称「赤い教会」と呼ばれています。ビザンティンの教会はだいたい赤みがかった煉瓦造りですが、確かにここは他の教会よりも赤く見えます。敷地内にはさま ざまな植物が生い茂り、美しい庭園のようです。内部にはアギア・ソフィアのモザイク画に影響を受けたフレスコ画(11世紀と14世紀のもの)が残されてい るのですが、何故かいつも閉まっていて入れませんでした。オスマン時代には「大鍋商人のジャーミー Kazancılar Camii」という名前だったそうです。



名称不明教会



フレスコ画

ロトンダ近くにあった教会は、ついに名前がわかりませんでした。堂々とした姿で、内部にフレスコ画も残っていたのですが。
そういえばキリスト教の教会には名前がわかる表示が見あたりません。そこに集う信者は名前を知っているわけですから、看板がなくてもとくに問題ないので しょう。でも、イスラム教のジャーミーには入口付近に名前が彫ってあったりプレートが貼ってあったりします。日本の神社やお寺も同じです。それぞれに似て いるところや違いがあるものですね。〈2013.11.20.〉



  歴史的建造物



ホワイト・タワー



木陰の爆睡犬

テッサロニキのランドマークとも言うべきなのが、ホワイト・タワーWhite Towerです。海辺に堂々とした姿を見せています。5世紀中葉ビザンティンの塔が建っていた場所に、ヴェネツィア人が防壁の一部として15世紀に造り替 えました。
オスマン時代には牢獄として使われ、「血塗られた塔Blood Tower」と呼ばれていたそうです。1878年に閉鎖され、その後1890年に白く塗られて新装なり、現在内部にはキリスト教の遺物やテッサロニキに関 連する品々が展示されています。周囲は公園になっていて、地元の人々が思い思いにくつろいでいました。



ロトンダ



内部



天井近くのモザイク



ガレリウスの凱旋門

ロトンダRotundaはローマ皇帝ガレリウスの霊廟として306年に造られたものです。しかし実際に彼の霊廟として使われることはありませんでした。ガ レリウスはテッサロニキから離れた現セルビアで亡くなり、そこで埋葬されたからです。その後コンスタンティヌス帝によって、テッサロニキで最初の教会とな りました。ガレリウスがキリスト教徒迫害に熱心だったことを考えると、歴史の皮肉を感じます(亡くなる直前に信仰の自由を認める寛容令を布告したとはい え)。
オスマン時代にはジャーミーとして使われ、ミナーレは修復されて現在も残っています。
内部は木の足場が組まれてがらんとしていますが、天井近くの壁に5世紀ごろのモザイク画や9世紀ごろのフレスコ画を見ることができます。ただし恐ろしく天 井が高いので、単眼鏡がないと細部を見るのはきびしいかもしれません。1996年に世界文化遺産に登録されました。

そのガレリウスが297年メソポタミアに遠征しササン朝ペルシアを破ったことを記念して、305年ごろに建造されたのがガレリウスの凱旋門Arch of Galeriusです。壁面にはその時の戦いの様子がレリーフで描かれています。劣化が進んでいるように見えました。この凱旋門があるエグナティア通り は、コンスタンティノープルとローマを結ぶ街道で、現在も街の中心を横切るにぎやかな通りになっています。



ローマ時代のアゴラ



野外劇場



ライトアップされたハマム



ハマム隣の商店

ゴージャスなマンションがひしめく街中に、ぽっかりと広大な空間が広がっています。ローマ時代のアゴラRoman Agoraです。アゴラは広場とも市場とも訳されますが、劇場や浴場、集会所といった公共施設、商業施設などが集まった場所で、都市部の人々にとって政 治・経済の中心になるところでした。この街のアゴラは前3世紀のマケドニア王国時代に始まり、その後ローマ時代に繁栄を極めました。街の真ん中にある遺跡 としてはかなり規模が大きく、良い状態で保存されています。

アゴラから少し離れた場所にハマム(トルコ式浴場)がありました。実はこれもアゴラにあった施設で、かつてローマ浴場だったものがオスマン時代の1444 年に修復されてハマムとして使われていました。「パラダイス風呂」という名前で知られていたそうです。外から見ると、何がどうなっているのかよくわからな い複雑な構造になっています。現在はギャラリーになっているということでしたが、開店休業みたいな雰囲気でした。周辺はおしゃれなカフェや商店がひしめい ていて、にぎやかなエリアです。



アタテュルク博物館



ムスタファ・ケマル=アタテュルク



展示室



台所

テッサロニキは、トルコ建国の父ムスタファ・ケマル=アタテュルクの生まれた街でもあ ります。彼が1881年に生まれた家は在テッサロニキトルコ領事館の 敷地内にあり、現在ア タテュルク生家博物館Atatürk Evi Müzesi になっています。平日10:00〜17:00開館。
開館は1953年ですが、2010年に修復が始まり、2013年夏に新しくなって再び公開されました。1870年に建てられた3階建ての木造建築は、上階 がせり出したオスマン様式の民家で、2011年にギリシャ文化省によって近代歴史遺産に指定されたということです。
各階内部はテッサロニキ、イスタンブール、アンカラに分けられ、それぞれの都市における彼の軌跡がパネルや写真、ビデオなどで紹介されています。彼が育っ た家としての名残は台所だけで、きれいに復元されていました。そして中庭には、彼が子供のころその周りでよく遊んでいたという石榴の樹が。
係員はもちろんトルコ人、見学に訪れるのもトルコ人が多いようです。イスタンブールの地元旅行会社で催行するトルコ人向けギリシャツアーでは、必ずここが 見学コースに入っています。近くの土産物屋はトルコ人経営。カフェにもトルコ語表記の看板が出ていて、「トルコ風朝食セット」なんていうメニューも見えま した。〈2013.12.21.〉



  博物館
 


テッサロニキ考古学博物館



裏手の屋外展示場

目抜き通りのツィミスキ通りを歩いてホワイト・タワーへ向かった先に、テッサロニキ考古学博物館 Archaeological Museum of Thessaloniki があります。
祝日閉館。夏期は月曜日12:30〜19:00、火曜日から日曜日8:00から19:00。冬期は月曜日10:00〜17:00、火曜日から日曜日8: 00〜15:00。
1962年に開館した後、数回の増築を経て現在の規模になりました。広大な敷地の中に水平に広がる建物が印象的です。設計はギリシャのモダニズム建築家パ トロクロス・カランティノスPatroklos Karantinos (1903-1976)。このひとはオスマン時代のコンスタンティノープルに生まれ、アテネで亡くなりました。テッサロニキ・アリストテルス大学の教授 だった時期もあったそうです。
収蔵品はテッサロニキを中心とするマケドニア地方の出土品で、先史時代、アルカイック、古典期からヘレニズム、ローマ時代と目もくらむようなラインナッ プ。とりわけ古代マケドニア王国時代のコレクションが見事です。テッサロニキを歩くとビザンティンを感じますが、この博物館に入るとここが「古代マケドニ ア王国」だったことを意識させられます。





古代マケドニアの至宝



「デルヴェニのクラテール」

テッサロニキから60キロ余り西にヴェルギナの遺跡があります。そこはアレクサンドロス大王の父王フィリッポス2世の墳墓だということが1977年に判明 し、さまざまな出土品がこの博物館に展示されています。繊細な黄金の冠や装飾品には本当に目がくらみます。他には各時代の彫刻、陶器、モザイクなど、どれ も圧倒的な迫力。
「デルヴェニのクラテールDerveni Crater」もたいへんユニークです。デルヴェニもテッサロニキにほど近いマケドニア王国の街で、1962年にその遺跡の墳墓からクラテールが発見され ました。前350年ごろのものとされています。クラテールは地中海文化圏で葡萄酒と水を混ぜるために使われていた容器です。昔は葡萄酒を水で割り、蜂蜜な どで風味をつけて飲んでいました。このクラテールは高さ90.5センチ、重さ40キロという巨大なもの。金色に輝いていますが、銅と錫の合金製です。ギリ シャ神話で酒神といわれるディオニュソスのモティーフが全面に描かれ、とても精緻な装飾が施されています。発掘されたときは、焼いた人骨が中に納められて いたということです。実際にクラテールとして使われたのではなく、儀礼用のものだったのかもしれません。



展示室



モザイク部屋



エジプトの影響が見られる杯





  大理石の彫像

どの部屋も展示の仕方が工夫されていて、解説も丁寧です。とりわけ装飾品や彫像のライティングが素晴らしく、収蔵品の質とともに水準の高い博物館だという ことがわかります。ヨーロッパに現存する最古のパピルス断片、「デルヴェニ・パピルスDerveni Papyrus 」もこの博物館に保存されているということでした。
ミュージアム・ショップも充実しています。写真集や解説書はもちろん、金属製品のアクセサリー、大理石やテラコッタ製のレプリカなど、実に精巧にできてい て感心します。どうせレプリカを作るなら、このくらい緻密に作らなければ面白くありません。ヘレニズム時代の彫像など、小さな物を思わずお土産に買ってし まいました。



ビザンティン文化博物館



展示室





さまざまなイコン



ビザンティン・グラス

考古学博物館の隣はビザンティ ン文化博物館Museum of Byzantine Cultureです。
月曜日13:00〜20:00、火曜日から日曜日8:00〜20:00。閉館日なし。チケットは考古学博物館との共通券が割引きになります。
ここも素晴らしくモダンな建物ですが、外壁が煉瓦のせいかビザンティン建築の雰囲気がそこはかとなく漂っています。1994年開館。ギリシャの建築家キリ アコス・クロコスKyriakos Krokos(1941-1998)設計。
内部はテッサロニキを中心とするギリシャ北部一帯のビザンティン美術で満ちあふれています。3、4世紀の初期キリスト教時代から1453年ビザンティン帝 国滅亡までの教会内部の祭壇、装飾品、モザイク画、イコン、大理石のレリーフ、陶器製品などが結集したという印象です。他にも初期キリスト教徒の生活や埋 葬の方法などを紹介するセクションや、ビザンティン以降19世紀までのキリスト教関係の遺物が見やすく展示されています。とくに13世紀から15世紀のイ コンが並べられた展示室が圧巻。その量と質には驚くばかり、迫力に満ちたコレクションです。



案内用プレート



この先に総大理石のお手洗いが

展示室の床は大理石。ゆったりと空間を使っています。この博物館そのものがビザンティンという時代と文化を具現しているかのようです。館内の案内板もモザ イクをあしらったデザインで、しゃれています。遊び心を感じます。
びっくりしたのはお手洗い(博物館は総じて滞在時間が長いため、見学の合間にどうしても行くことになります。何だかいつもお手洗いの紹介をしているような 気もしますが…)。広い廊下から個室内部、洗面台、壁まですべて大理石、しかもウルトラモダンなデザイン。何とも贅沢なお手洗いでした。 〈2013.12.21.〉




  テッサロニキ・ユダヤ博物館

街の中心部に、ひとつ興味深い博物館があります。テッサ ロニキ・ユダヤ博物館 Jewish Museum of Thessaloniki です。
火・金・日11:00〜14:00、水・木11:00〜14.00、17:00〜20:00。土・日休館。内部の写真撮影は禁止です。建物はイタリアの建 築家ヴィタリアーノ・ポツェーリVitaliano Pozeliによる設計。1904年に建造され1917年の大火を奇跡的に免れたものです。もとはアテネ銀行やユダヤ新聞社として使われていました。 1997年開館。ポツェーリは他にテッサロニキ銀行やオスマン時代のイェニ・ジャーミーなども設計しています。
アレキサンドリアからテッサロニキにユダヤ人がやって来たのは前140年ごろといわれており、ヘレニズム時代を通じてコミュニティを形成、その後金融や絹 貿易などで街の発展を後押ししました。ユダヤ世界には一般に、南欧・中東系のセファルディムと東欧系のアシュケナジーというふたつの大きな勢力がありま す。テッサロニキにはセファルディムの人々が多く住んでいましたが、15世紀からはアシュケナジーのコミュニティもあったそうです。
博物館には、儀礼で使われた祭祀道具や墓碑、民俗誌的な紹介、テッサロニキに暮らすユダヤ人に焦点を当てた写真やさまざまな資料が時代ごとに展示されてい ます。16世紀から20世紀までの出版物をそろえたライブラリーもありました。
展示は第二次大戦で終わっています。1941年のナチス・ドイツ占領後、1944年に街が解放されるまでの間に49000人のユダヤ人が強制収容所に連行 されました。テッサロニキに住むユダヤ人の実に96.5%がホロコーストの犠牲となったわけです。
折しもテッサロニキを訪れる数日前に、ポーランドのアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を見学していました。収容所にはヨーロッパ各地からユダヤ人が 送り込まれましたが、その最東部のひとつはテッサロニキだったのでした。〈2014.1.31.〉



  テッサロニキの美味
 









にぎやかな市場

テッサロニキにはおいしいものが満ちあふれています。エーゲ海の新鮮な魚介類、豚や羊などの肉料理、塩味が効いたフレッシュタイプのフェタチーズ、力強い 味の野菜やハーブ、大粒のつやつやとしたオリーブ、そして太陽の恵みが凝縮されたようなワイン。
トマトやオリーブオイル、ハーブを使った料理は、まさに地中海料理そのものです。ギリシャ料理はイタリア料理、スペイン料理、モロッコ料理とともに「地中 海の食事」として2010年ユネスコの無形文化遺産に登録されました。

街の中心部に市場があり、八百屋や魚屋、チーズ、オリーブ、ハムやベーコンなどの豚肉加工品を扱う店が軒を連ねています。魚は種類が豊富でしかも安い。海 域としたらイスタンブールあたりとそれほど違わないと思いますが、こちらの方が圧倒的にたくさん種類があります。トルコと地理的に近く、歴史も重なり合っ ているテッサロニキですが、魚に関してだけは民族的な好みの違いを感じます。
肉類はスパイスをまぶして串焼きにしたりオーブンで焼いたものが多く、魚介類はグリルやフライ、マリネなど。イカやタコもよく見かけます。いずれもさっぱ りした味付けで日本人好みの味、素材のおいしさを十分に堪能できます。総じて量がたっぷり、ダイナミックな盛りつけで、ワインや葡萄から作った蒸留酒のウ ゾを片手に仲間同士でわいわいやるのにぴったりです。



居酒屋通り



サラダの上にはチーズがかかっています



メゼのチーズコロッケ



ギリシャのビール「ミソス」



樽出しワイン

街にはこぢんまりした居酒屋(タヴェルナ)がひしめくエリアがあり、夏場は外に椅子とテーブルを並べて涼しい夜風を楽しみながら食事をします。夜の9時を 過ぎたころから地元の人々が集まりはじめ、楽隊なども入って夜中までにぎやかです。
そういうお店にはメゼと呼ばれるさまざまな前菜が用意されています。オリーブオイルを使った冷製の野菜料理、フェタチーズのサラダ、焼いたチーズやチーズ のコロッケ、ズッキーニの花にピラフを詰めたもの、塩漬けの葡萄の葉で肉や米を巻いて調理したドルマデス、刻んだきゅうりをヨーグルトであえたザジキなど など。
バリエーション豊かなおつまみで一杯やるわけですが、どこの店も瓶入りのワインというものを置いていません。ワインを注文してもワインリストはなく、赤か 白か、ドライかスウィートか、量はどのくらいかと訊かれます。やがて、日本酒をお燗するときに使う「ちろり」のようなアルマイトのカップに入ったワイン と、ワイングラスが運ばれてきます。
最初はわけがわからず面食らいましたが、要するに瓶ではなく樽から直接出してくるようなのです。これがまたどこで飲んでも安くておいしい。等級のない地酒 の類なのでしょうが、瓶入りでは味わえないフレッシュな風味と軽やかさがあります。それでいてしっかりとしたボディもあり、バランスが取れています。お店 によって仕入れ先が違うらしく、店ごとに違う味わいが楽しめます。
テッサロニキに来る前、ギリシャ人の友だちにお薦めワインなどを教えてもらったのですが、居酒屋でこういう出し方をするとは聞いていませんでした。友だち はアテネの生まれ育ちと言っていたから、もしかしたらこれはテッサロニキだけのやり方なのかもしれません。ギリシャは他の街を知らないので何ともわかりま せんが。
空気が乾燥して日射しが強烈な夏は、ビールがおいしい季節。神話という名前の「ミソス」は、ギリシャで初めての国産ビールとして1997年テッサロニキで 生まれました。ピルスナー・タイプのラガービールで軽いのど越しなので、日本人にも飲みやすい味です。



毎度おなじみイカリング



ダイナミックなイカ姿焼き



豚肉のロースト

タヴェルナではメインの料理も充実しています。変わったところではウサギやエスカルゴ、山羊の料理もありました。肉も魚も数種類ずつ用意してあるお店が多 いようです。イカリングはやっぱりギリシャでも柔らかくて美味。豪快イカの姿焼きも絶妙な火の通り具合、身が厚くて食べ応えあります。本当に何を食べても おいしいものばかり。1週間近くの滞在中に、一度もはずれがないという幸せな経験をしました。



トルコのシミットみたいな「クルーリー」



暑い季節にはアイスクリームやフラッペ

ギリシャ料理にはトルコ料理と共通するものがたくさんあり、名前もよく似ています。トルコ語ではメゼ、ドルマ、ジャジュク、キョフテ。ギリシャ語でもメ ゼ、ドルマデス、ザジキ、ケフテダキア。フェタチーズはトルコのベヤズ・ペイニル(白いチーズ)と瓜二つです。イスタンブールでは胡麻つきドーナツ型塩味 パン「シミット」を売る屋台がたくさんありますが、ここでも同じものを同じような屋台で売っています。ギリシャでは「クルーリー」という名前でした。
他にもトルコのボレッキのようなほうれん草入りのパイ、ドネルケバブの豚肉版ギロ、羊の臓物あぶり焼きのココレッチ。トルコと比べるとギリシャの方が塩 味、スパイス、油控えめでおだやかな感じがします。
お菓子はケーキ類の他に、トルコと名前も実態もほぼ同じバクラヴァ、カダイフィ、ルクム、ルクマデスといったものもありました。ルクムはトルコではロクム (ナッツ入り餅菓子)、揚げドーナッツの飴がけルクマデスはロクマと呼んでいます。
一方トルコでは、魚の名前はギリシャ起源のものがたくさんあるそうです。トルコ語でイカはカラマール、海老はカリデスですが、ギリシャ語ではそれぞれカラ マリア、ガリーダとなります。両国ともにビザンティンの時代からギリシャ独立までの長い間、同じ帝国の領土にあったわけですから、共通する言葉や料理があ るのも当然のことかもしれません。
街の人々はカフェでよくフラッペを飲んでいます。フラッペは濃いインスタントコーヒーをシェイクして冷やした飲み物。かき氷状になっているわけではありま せん。注文時にミルクや砂糖をどうするか訊かれます。気候風土にぴったり合った味わいです。



量り売りの酒屋



ホテルの部屋で宴会

イスタンブールに戻ったら豚肉製品は手に入りにくいので、お土産用にハムやベーコンを買おうと何回か市場に行きました。それにこの市場のあたりは、かつて ユダヤ人が多く住んでいた地域だそうで、シナゴーグもあるというので尋ねてみたのですが、はっきりわかりませんでした。
その代わりといっては何ですが、市場内で酒屋を見つけました。店先にはやはりワインの瓶は見あたりません。大きな紙パックの箱が並んでいます。店内には新 しい空のペットボトルも。どうやら紙パックに入ったワインをペットボトルに移して、量り売りしている様子です。なるほど、タヴェルナのワインはこういう酒 屋から買ってきたのかとわかりました。樽ではなくて紙パックというのが今風ですが。
値段は1リットルで表記してあります。一番安いのは1.80ユーロ!?あまりの安さに茫然としていると、店のおじさんが味見するかと言ってきます。そりゃ 断る理由がありません。おじさん小さなプラスチックのコップになみなみと注いでくれます。味見の分量をはるかに超えています。この時はまだ午前中。これか ら街の見学をする予定だったので、酔っぱらうわけにはいきません。そんなにたくさんいらないと言うと、「何で?だって味見はタダだよ、たくさんあった方が いいでしょ」などと言うのであります。3種類ぐらい味を見て、結局1.5リットル6.23ユーロというのを買いました。
さて、こうなったらこの日の夕食はタヴェルナではなく、ホテルのお部屋で酒盛りといきましょう。サラダ用の野菜、レモン、パン、オリーブ、チーズなどを市 場で調達。メインの温かい料理は、頃合いを見てテイクアウトができるお店で熱々を買ってきます。豚の串焼きスヴラキとギロ、たっぷり2人分ぐらいありそう なスパゲッティ・カルボナーラ。
旅行に行くと必ずこうした「お部屋食」をやってみることにしています。食堂で食べるのも楽しいけれど、地元の人たちと一緒になって買い物をしたり、よそ行 きでない料理を味わってみると、いろいろな発見があるものです。経済的な効果も期待できます。
ところがテッサロニキではそもそも居酒屋の値段が安いため、出来合いのものを買ってきて食べても、それほど値段に違いがないということに気がつきました。 量り売りワインが徹底的に安いということが影響しているのでしょうか。
トルコも野菜や果物など食材は安いのですが、精肉とワインの安さはギリシャにかないません。日本からするとどちらも2分の1から5分の1の値段で安いこと には変わりありませんが、仔細に見てみると食材、とくに豚肉や魚の豊富さとアルコールの安さという点ではギリシャは天国みたいです。宗教的な規制が関係し ているのかもしれません。



圧巻の食料品店

充実したテッサロニキの食生活でしたが、もうひとつ。目抜き通りから少し入ったところに、大きな食料品店がありました。1924年創業とかで、骨付きハム や大きなチーズのかたまりなど、何やらおいしそうなものがウィンドウにぶら下がっています。
入ってみるとこれがすごい。店内はハム、ソーセージ、チーズ、パン、牛乳、乾物、瓶詰め、スパイス、焼き菓子、チョコレートなど、ありとあらゆる食品で びっしり埋まっています。よくよく見ると、ギリシャ産のものの他に、フランス、ドイツ、イタリアなど、ヨーロッパ各地のものも。言ってみれば輸入生鮮食品 マーケットという感じでしょうか。おまけに輸入品でもほとんど各国の現地価格です。EU内は関税がかからないそうですが、それを実感した一瞬でした。
ふと見ると地下に続く階段があります。何だ何だと下りていくと、そこはヨーロッパ以外の国から来た食品パラダイスでした。韓国、中国、インド、東南アジア 各国、南米などからの缶詰、麺類、乾物、瓶入り調味料、インスタント食品。もちろん日本の醤油、味噌、海苔、わさび、ロングライフパック入りの豆腐も見え ます。そのラインアップと充実度は尋常ではありません。
要するに「エスニックといえばこんな感じのもんでしょ」という、通りいっぺんの品揃えではないのです。たとえばインドネシア人がこの店に来て自国の食品や 調味料を買って料理すれば、ほぼ完璧なインドネシア料理を作ることができる、というレベルです。つまり各国の料理の基本を知っている目利きが選んだベー シックアイテム・コレクションといってもいいでしょう。さすがに生鮮はありませんでしたが、なくても各国料理を再現することは十分可能だと思わせる迫力。 今までいろいろな国で輸入食品を扱う店をのぞいてきましたが、そういう意味でこんなにそろっている店は初めてです。
しかし何でテッサロニキで?地元の人々はエスニック料理が好きなんでしょうか?街には寿司バーも中華料理屋もカレー屋も見あたらないのに?そもそもアジア 系の人はどのくらい住んでいるのでしょう?街で東洋人を見かけたことはほとんどなく、地元の人は日本人がめずらしいという雰囲気なのに?
この店がイスタンブールのアパートの近くにあったら嬉しい、いや、東京の我が家の隣にあったらもっと嬉しい!恐るべし、テッサロニキ…。 〈2014.2.28.〉